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2001年6月の12件の記事

2001/06/29

[追悼] 『ムーミン谷の冬』 トーベ・ヤンソン,山室 静 訳 / 講談社文庫

8【たったひとりでも,ぼくがむかしから知っているものがいるといいんだがなあ】

 「ムーミン」シリーズで知られるフィンランドの画家,児童文学作家のトーベ・ヤンソンが27日,ヘルシンキ市内の病院で亡くなったそうだ。
 トーベ・ヤンソンは1914年ヘルシンキ生まれ。父は彫刻家,母は商業デザイナーという芸術一家に生まれ,新進画家として活躍ののち,1945年に『小さいトロールと大洪水』を発表,以後1970年まで書き続けられたムーミンシリーズは世界各国で翻訳され,子供たちに愛された。

 日本ではアニメの影響もあって,「ムーミン」(ちなみにカバではない。トロールという一種のお化けである)は平和な谷を舞台に元気な少年を描くほのぼのストーリー,という印象が強いが,原作は文章こそ平易ながら,(第二次世界大戦の影と思われる)不安や寂寥感がどこかに漂う,少々前衛的な作風である。とくにムーミンパパを主人公にした一部の作品など,枯れた人生論,アフォリズムの趣で,児童文学と言ってよいものかどうか。
 もちろん残虐な事件が起こるとか,そういったことはないのだが,少なくともサザエさんやアルプスの少女ハイジのようにポジティブ一辺倒ではない。ムーミン谷は必ずしも明るく安全な領域ばかりではないし,また意思や言葉の通じない生き物も少なくない。また,アニメでは明るく活発なサブキャラたちも,原作ではよく言って個人主義,ありていにいえば身勝手だ。スナフキンは言うなれば世捨て人であって,決してムーミンの成長を見守る温かい先生というわけではないし,ムーミンパパも穏やかなばかりの人生を送ってきたわけではない。
 要するに,ムーミンは子供だが,その外側には大人の世界が広がっているのである。

 『ムーミン谷の冬』は,烏丸が初めて読んだトーベ・ヤンソンの作品で,確か国際アンデルセン賞の受賞作を集めた全集の1巻(エンジ色のハードカバー?)だったように記憶している。
 雪にとざされた厳しい冬を暖かい家で眠ってすごすトロール一家,ところが,主人公のムーミンが冬ごもりの最中にふと目を覚まして眠れなくなってしまい,暗い外に出て,夏には会えない生き物たちと知り合う,そんなお話である。
 全体に,あの,雪の日の音がこもるようなし……んとした感じがたちこめ,森の中でろうそくのまわりに雪玉を積み重ね,オレンジ色のランプのようにしたものなど,とくに事件というわけでもないのに30年経っても忘れがたい。

 たとえるなら,小学生3年生くらいの少年が,たまたま夜明け前に目を覚まして家族にこっそり家を出,大人の世界を垣間見る,そんな感じだろうか。
 大人たちは,自分の時間,領域に紛れ込んできた少年をかまうでもなく,突き放すでもなく,少年はやがて薄闇の中に胸を張る……。そして,夜明け。

 『ムーミン谷の冬』は,講談社文庫のほか,「ムーミン童話全集」「青い鳥文庫」(いずれも講談社)に収録されている。機会があったらぜひ手にとっていただきたい。

2001/06/28

ジェットコースターSFバトルアクション 『コドク・エクスペリメント』(全3巻) 星野之宣 / ソニー・マガジンズ

4【私を殺せると…? 母親を!!】

 間の悪い作家というのがいる。恋を楽しめる気分ではないのに小粋で泣けるのを連発されたり,似たタイプの作家を追っかけた直後で最初から倦怠感が漂ったり。
 星野之宣はそんな作家の1人で,SF,実力派,繊細かつダイナミックで実験的な画風ときたひには我が家の本棚にコーナーがあってよさそうなものだが,実は5,6冊しか持っていない。

 最新作『コドク・エクスペリメント』は宇宙を舞台としたストロングスタイルのSFバトルアクション。
 この「コドク」は「孤独」でなく「蟲毒」の意。蛇や蜘蛛,百足,蠍といった毒虫を壺の中で闘わせ,最後に生き残ったものから最強の猛毒を抽出する呪術のことである。
 昨今のホラーコミックでは定番の術の1つで,石川優吾『童乱(タンキー)』にはシンガポールの企業を壺,社員を毒虫とみたてる術師が現れ,諸星大二郎『諸怪志異』シリーズにもビターな蟲毒譚が一編収録されている。最近では高橋留美子『犬夜叉』で主人公の宿敵・奈落がこの術を利用した。
(「蟲毒」は,中国に古来伝わる呪術,と紹介される場合と,当節流行の陰陽師関連の術として取り上げられる場合とに分かれる。これらコミック,ホラーの中で一番最初に取り上げたのはいったい誰のどの作品だったのだろう?)

 物語は,巨大惑星の潮汐力によって崩壊寸前の衛星・デロンガVアルファに置き去りにされたキャノン伍長が,獰猛な肉食獣に追われながら復讐を誓うシーンから始まる。その「コドクエクスペリメント(実験)」が生み出した最強の生物とは……。
 この後は粗筋を書くのも面倒なくらい,途方もない怪物とアクションのオンパレード,一度読み始めるともう途中下車はできない。その分細かい所を読み飛ばして「おや,コドクエクスペリメントとはいったい誰の何のための実験だったっけ」と疑問が残ったりするのだが,地球征服を狙う悪の結社が幼稚園バスを乗っ取ることを思えば些細な問題だろう。

 星野作品の作法はハリウッド大作SF映画に通ずるものがあり,本作でいえば前半は「エイリアン」,後半は「マトリックス」か(最近文庫化された恐竜SF『ブルー・ワールド』も「ジュラシック・パーク」+「ポセイドンアドベンチャー」だと思えば間違いない)。その分,人間存在を不安に揺らすような(ありていにいえば文学的な)含みはない。稀代の猛女カミラ・バグレス准将も煎じ詰めればシンプルな暴君だし,対する善玉たちの嘆き,怒り,愛情等もマンガとしかいいようのない描かれ方で,安心といえば安心,陰影に欠けるといえば欠ける。
 もっともノンストップジェットコースターが成立するには凝りすぎた性格付けはまず邪魔で,このあたりを作者の人間描写の限界と見るか,プロとしての切り捨てと見るかは悩ましいところだ(それにしても星野作品の登場人物たちはどうしてこう誰も彼も前・思春期的,つまり子供なのだろう? 島本和彦のキャラとの違いを考えてみるのも面白いかもしれない)。

 もう1つの注目点は,バグレスを包む重力ボール等におけるCG(コンピュータグラフィックス)の多用だ。コミック作品ではCGが定着して久しく,昨今はすべてディスプレイ上で描かれた作品もあるようだが,それにしてもグラフィックツールの画像処理がこれほどはまった作品はあまり記憶にない。アイデアの元はあのスクリーンセーバーと読んだが,果たしてどうか。

 ともかくアクションSFとしてはA級,お奨めである。B級でも超A級でもないところが若干問題ではあるのだが──。

2001/06/24

[閑話] 近所のコンビニの兄ちゃんたち

 最寄り駅から少し歩いたところにあるセブンイレブンがこのところお気に入り。深夜番のアルバイト青年2人の立ち居振舞いがとても気持ちよいのだ。

 1人は背が低くてとんがった茶パツ,1人は中肉中背,黒フレームの眼鏡をかけていて,どこにでもいそうな地味な若いあんちゃんたちだが,2人ともまずステップが静かで早い。常に棚の具合や客の動向に目を配りながらスタスタと歩き回り,手を動かしている。そのくせ客がレジに近寄ると,いつ戻ったかレジの中に現れサクサク応対する。
 客がレジの前に少したまるとすぐもう一方がかけつけて「お待ちのお客さま,こちらへどうぞ」。レジ前の客が1人でも,買い物が多いとすぐフォローが現れて袋詰めを手伝う。荷物の発送や注文など,ちょっと角度の違った応答があると,やはりもう一方がレジに駆け寄って,ほかの客が待たされることがない。
 2人ともレジの手さばきが速い。ビニール袋の選択がよどみない。ペットボトルを袋に入れる際にゴンと音を立てたりはしない。そんな2人が阿吽の呼吸で連携プレイをとるのだから,妙なたとえだがサッカーの試合でアイコンタクトだけできれいなパスが通るのを見るような気分が味わえる。

 客は明るい「いらっしゃいませ↑」と「いらっしゃいませ↓」で迎えられ,「ありがとうございました」「またお越しください」と見送られる。2人とも,とても穏やかなのだ。とても,とても楽しそうなのだ。

 ここに書いたようなことは客商売としてはマニュアルかもしれない。しかし気配りに速度がともなったとき,そこには心地よい空間がかもし出される。そんな空間でパンを選び,ヨーグルトを買うことが幸福でなくて,なんなのだ。

 ……そして,そんなことに熱いシャワーを浴びるように癒される己に,おやおやおれは案外へこたれているのだな,と気がついて愕然としたりもする今日このごろ。

2001/06/19

たまにはベタボメもいいでしょう 『ガダラの豚』(全3巻) 中島らも / 集英社文庫

9【あんたも来んかね】

 かつて,ブンガクといえば面白いものだった。
 バルザックやデュマは言うに及ばず,『罪と罰』だって『赤と黒』だって『ウィルヘルム・マイステル』だって読み始めれば手に汗握る面白さである。難解と言われるボードレールやランボーですらウキウキワクワクするし(さすがにマラルメやヴァレリーは少々しちめんどくさいが),漱石や鴎外のネ暗な話もハラハラドキドキの心持ちである。

 面白いブンガク作品はそうでないのとどこが違うのか。
 第一に,スジである。スジのないオデンにはコクがない,と言われたときに関西風と関東風で実は全く別のスジのことになってしまうのだが,そのスジはまた別の機会に通そう。
 第二に,キャラである。キャラが立たねば男がすたる,女がしおれる,火星人が枯れる。
 第三に,言葉遣いである。ここは覚えといて今度あの店でレイコちゃんの前で一発キメたろ,というくらいかっこよいキメゼリフの2つ3つはちりばめてほしい。
 人生や社会や迷妄を語るのもよいが,それは人様に読んでいただけるものを提供したうえでの話である。読んでもらえぬ純ブンガクになんの価値がある。

 というわけで,今夜取り上げるのは,面白さではスーパーヘビー級,中島らも『ガダラの豚』。

 第一に,スジが凄い。
 主人公は,アフリカの呪術を研究する大学教授とその妻である。彼らはフィールドワークでアフリカを訪れた折に娘を失い,それ以来8年間,やや投げ遣りな人生を送っている。そんな折,妻が新興宗教にかぶれ,その教祖の奇跡はすべてトリックであると証明することになり……と,しごく理性的な第一部が氷だとしたら,夫婦とその息子,スプーン曲げで一世を風靡した超能力青年らがテレビ局の特報番組の撮影のためにアフリカに向かい,恐ろしい呪術者と出会う第二部が水,命からがら日本に戻った後のジェットコースター的展開の第三部がもうもうたる水蒸気。著者がプロレスをはじめ格闘技のファンであることも影響しているのだろう,理性と呪術敵味方入り乱れてのタッグマッチはひとたび読み始めるとページを繰る手が止まらない。
 第二に,キャラが凄い。
 アル中気味だがどこか憎めぬ大学教授,第二部以降俄然生気を取り戻す妻,生真面目な教授の弟子,世をすねた超能力青年をはじめ,殺られ役の端役にいたるまで個性派がそろう。マンガすれすれの破天荒な性格付けながら,いずれもどこかに白いもの,黒いものを抱えた者たちである。
 第三に,見事なまでの会話の妙。
 随所に味のあるやり取りが重ねられ,1ページ分を抜き出しただけても味のあるコントができ上がりそうだ。ことに後半無残に殺されてしまう……いや,読んでいただければ一目瞭然だろう。

 怒涛の展開に面白がって付き合うだけでもよいが,語られる問題は決して軽くはない。超常現象について,甘い考えを持つ者には少々キツい内容かもしれない。殺害シーン,寄生虫についてなど,少々エグい描写もある。
 だが,全体を通しての爽快感,あふれる元気,これはどうだ。
 本書は推理作家協会賞受賞作品である。賞などどうでもよいが,それにしてもなぜそんな賞なのか。直木賞選考委員は何をしていたのか。

 この国のブンガクは,ミステリだ時代小説だホラーだ恋愛小説だとジャンル分けに熱心なあまり,一番大切な面白さをないがしろにしてきた。それでもたまにこうしてどのジャンルにも押しはめようのない,しかも底抜けに面白い作品が登場するからたまらない。『ガダラの豚』,しいていえば「大文学」である。

2001/06/17

ほんの少し復調 『不肖・宮嶋の天誅下るべし! 写真に嘘は写らんど!』 宮嶋茂樹 / 祥伝社

41【よっしゃあ! 任したらんかい!】

 前作『不肖・宮嶋の一見必撮!』は,写真がつまらない,文章のノリが悪い,編集が底なしに勘違いと,とことんがっかりさせられた1冊だった。個々の記事が「一発やったらんかい」的破壊力に欠けるため,どうにも救いがないのである。

 たとえば初期の快作『ああ、堂々の自衛隊』では,カンボジアのPKOに動向して動向を撮影する記事や写真の1つ1つに,大朝日・大毎日やピースボートへの強烈な反発があった。世のおきれいごとにおさまらない報道カメラマンの骨太いガッツとでもいうか,無茶を承知のバイタリティがあった。振り返ると,その力が最も明確な形で結実したのが『不肖・宮嶋 史上最低の作戦』であったように思われる。ノルマンディー上陸50周年記念式典にて旧ドイツ軍砲台後で日章旗を振る,北朝鮮に潜入し偉大なる首領様の銅像の前でポーズを真似る,CIA秘密訓練センター潜入,四泊五日ほとんど飲まず食わず眠らずのレインジャー訓練動向,硫黄島戦勝(!)記念日撮影,そしてオウムとの確執など,もはや伝説レベルの強烈な記事が並んでいる。東京拘置所の麻原彰晃スクープ,韓国・光州動乱,ハマコーの裸参り,成田闘争,人肉事件の佐川一政などの記事の並ぶ『突撃取材・血風録 死んでもカメラを話しません』と並ぶお奨めの1冊である。
 そのほか『不肖・宮嶋 南極観測隊ニ同行ス』や『不肖・宮嶋の ネェちゃん撮らせんかい!』もまたバサラ的味わい深く,漢(おとこ)たるもの常に座右に置きたい。

 などと,旧作の名シーンばかりあつめたドラえもんビデオみたいな書き方になるのは,新刊『不肖・宮嶋の天誅下るべし!』について書くことがあまりないからである。
 前作『不肖・宮嶋の一見必撮!』よりは1つ1つの記事にボリュームがあるだけなんぼかましだが,それでも角投手の愛人マンション張り込み,森進一・昌子の熱海温泉旅行強撮,オーストラリアでハレー彗星撮影(失敗),三田寛子の大学受験入試会場潜入,フロリダ・ディズニー取材などのフライデー,クレアネタは,雑誌が雑誌だけにターゲットからしてヌルい。南極観測隊同行ウラ日記なども,不肖・宮嶋の著作に長年付き合ってきた身には少々インパクトにはかける。全体に,これまでの単行本で後回しにされたネタであることは否定できないのである。

 しかし,それでも,面白くないかといえば,やはりそこそこ笑えるのが不肖・宮嶋本である。
 また,チベットで行方不明になった長谷川美子カメラマンについて触れた一節,東名高速に出没するベンツ300Eの覆面パトカー撮影,そして出所したオウムのマハーケイマこと石井久子の追跡記事には,初期よりヌルいとはいえ,宮嶋らしい反骨精神がうかがえる。「子どもたちと静かな普通の生活を送っていけたらと希望しております」という石井に対し「殺された十九人も六〇〇〇人以上の被害者も皆,静かな普通の生活を送りたかったのである」と返すあたりは溜飲が下がる。

 ところで,本書の「まえがき」には,タレントの告白本が売れていることに対抗して「彼女は自分で書いてたかどうか知らんが,私は本当に自分で書いたぞ!」とある。サイバラの『鳥頭紀行』で有名になった,ホモカツこと勝谷誠彦が原稿を書いていた,あの話はどないなっとんや?

2001/06/16

『陰陽師 10 大裳』 原作 夢枕獏,作画 岡野玲子 / 白泉社(Jets comics)

Photo_2【晴明が生命を選ばないのなら おれは海の藻屑だ】

「なんだかなあ……心配になるのだ晴明よ」
「博雅の心配ぐせは新刊が出るたびだな」
「ひどいな。お前が出てくる本だから心配しておるというのに」
「そういうおぬしも出てくるではないか」
「それはそうなのだが……このごろ一冊ごとに分厚くなり、最初のうちは一巻の中に二つ三つの話がおさまっておったものが、今度の十巻めではとうとう一つの話さえ終わらなかったことが心配なのだよ」
「ほう」
「おれはな、晴明。このシリーズにはなにやら深い意味があるように思えてならんのだ」
「わかるか博雅」
「だがそれはな、言葉にあらわしてはいけない、なにか尊いもののように思えるのだよ。ところが今度の十巻では晴明、お前がずっと喋り続け、心をあらわにし、髪をふりみだして安摩を舞う。おれはそれが心配なのだ」
「うむ。しかし主人公たるもの、わかったような顔でうなずいているだけではいかんのだがな」
「そうだろうか晴明。夢枕獏原作のこのシリーズでは、陰陽師たるおぬしの凄みを描くためにおれが呼ばれてきたように思われてならないのだよ。だからおれは多少呑気でピュアなワトスンでそれはかまわぬのだ。おれを間において菅公が暴れ、おぬしが軽々と受ける。おれをはさんんで黒川主が攻め、おぬしが悠々と受ける。おれを道化にして真葛どのが怒り、おぬしが蒼々と受ける。それが陰陽師のあり方ではなかったのか」
「ほう。博雅、案外わかっているではないか」
「それがこの十巻では……一巻を初めて手にした者は二巻の発刊を待ったことだろう。二巻を初めて見たものは一巻を探したことだろう。三巻、四巻、五巻とそれは変わらぬ。だが今回の十巻をはじめて手にした者に、はたして晴明、おぬしの凄みはわかるだろうか。真葛どの妖しさは伝わるだろうか。菅公や黒川主、玄象ら、鬼の眷属ならではの一本はずれた調子は伝わるであろうか」
「確かに……今回は少し本音を喋らさせられすぎたとは思っているのだよ、博雅。おれも真葛も嘆いたりあわてたり、少々人間味を出しすぎたようだ。おまけに、ハナピーだのウェイブだの、たまに混ぜるから効果のある現代用語も多用しすぎときている。要するに過剰すぎるな、あれもこれも」
「そうなのだよ、晴明。不思議のあらわれはそうでないもののなかにすべり込んであるときに一番驚かされるものだ。塔が炎に包まれた中でいかに衣を焼こうとも、人の目には見えぬのではないか」
「うむ、おれもな、困ってはいるのだよ。今回、ことに前半などまるで岡野玲子の創作ノートだからな。しかもそんな折も折、義父たる手塚治虫賞受賞(岡野玲子は手塚眞の妻)ときたものだ。余計なことを……」
「晴明、おれはどうすればよいのだ。なにかできることはないのか。真葛どのが泣きくれるなど、このウェットさ、まるで日出処天子終盤の二の舞ではないか」
「うむ……そうだな、博雅。ひとつ笛を吹いてくれぬか」
「む。こんなときにか」
「こんなときだから、笛の音がいいのさ。葉二は持ってきているのだろう」
「そうか、わ、わかった。吹こう」

   ヒィリ ラ… ヒィラ ハ…
         ヅ ドォ ドォン ドォン

   ヒィ…ラ…ハ… フロ…ルロ…オ…
         ヅ ドォ ドォン ドォン
         ヅ ドォ ドォン ドォン

2001/06/13

ドーナツブックスいしいひさいち選集 36『クローン猫』 いしいひさいち / 双葉社

36【キーボードでつき指してアイテテ革命】

 昨秋2年ぶりに新刊2冊,と喜んでいたら早くも36巻の登場である。
 「クローン猫」というサブタイトルは過去の「いかにも葡萄」「椎茸たべた人々」「ああ無精」「毛沢東双六」「とかげのアン」などに比べると今一つパッとせず,さすがにネタ切れかと思われるものの,収録4コマたるや言うべきにあらず,いしいひさいちはやはりいしいひさいちである。
 ここしばらくの定番,ナベツネワンマンマンをはじめ,ノーテンキ森ヨシロー,グリーンビル・ワドル艦長,ノンキャリウーマン三宅さん,101匹忍者くんまで,例によって例のごとし。一時期少し目についた「ずっこけ」オチがほとんど見当たらないなど,高め安定のクオリティである。

 それにしても,あの不肖宮嶋,鳥頭サイバラですら単行本をいくつか売るうちにいまやどことなくゴージャス,ゴーマンなもの言いが目につき始めたものを,いしいひさいちのこの変わらなさはどうだ。バイトに明け暮れる貧乏学生を描いてその情けなさ加減が20年以上維持できるというのはいかなる精神構造なのか。

 ことに,仲野荘13号室のオッサンの電車とび込みを描く最後の1編に漂うものはもはや幽味,玄妙としか言いようがない。

「リストラされて,ラーメン店失敗して,タクシーの運転手で体をこわした,とか言う」
オッサンの人身事故に集まったバイトくんら野次馬が,
「15分で運転再開」
と聞いて線路の信号線こっそりぶち切って言うのだ,
1時間ぐらい止まったれよ

2001/06/11

カラスマルは偉くもなんともないが 『カラスは偉い ─都会のワルが教えてくれること─』 佐々木 洋 / 光文社知恵の森文庫

6【またとない】

 うるさい,怖い,汚い,不吉だ……カラスにあまりよいイメージはない。とくに都市部では巣の周辺でヒトが襲われて怪我をするケースもあり,ゴキブリ,ネズミ等と並んで嫌われものの1つである。
 東京都では,昨年来,カラスの捕獲作戦が進められている。電話で申し込みを受け付け,巣を除去し,ひなを捕獲するというものだ。数百か所規模で実施が予定されているという。しかし,実際のところ,彼らの喜ぶ生ゴミを放置して,遠方から呼び寄せているのはヒトの側である。呼びつけておいて捕獲,撤去,カラスにしたらひどい言いがかりだ。まぁ,国内でも最もありふれた鳥の一種だった朱鷺を無造作に滅ぼし,オス,メスとも中国から借りてきて「ひな元気に育つ」と喜ぶのに比べれば同じ身勝手でも正直なだけましかもしれないが(子孫のためにもはっきりと言うべきだろう,私たちはニッポニア・ニッポンと名づけられた大切な鳥の,野生種の最後の1匹まで死なせた国民である)。

 と,ややカラスに肩入れした書き方をしてはみたものの,烏丸は(ハンドルに烏の名を用いているくせに)カラスが好きか嫌いかといえば,とくにどちらの意識もない。ニュートラルといっていいだろう。
 ただ,夜明け前の電信柱にずらりと200羽(ひぃふぅ……10匹でこのくらい,全体では,と大雑把に数えてみた)ばかり並んでいるのを見たりすると,さすがにちょっと怖い。一斉に襲ってきたら少しまずいんじゃないかという凄みがある。しかも,「きゃつら,こちらをの個体を識別し,考えを把握しているんじゃないか」と思わせるにたるだけの頭のよさを感じることが多いことだし。

 本書は,江戸川区北小岩に世界でただ1つの「カラス博物館」を公開するほどのカラス好きな著者が,カラスの賢さ,家族愛,さまざまな不思議な習性(言葉を覚える,遊ぶ,適応能力が高い,などなど)に注目し,紹介した本である。
 埼玉県川口市のグリーンセンターをねぐらとするカラスの大群が早朝京浜東北線に沿って上京して都心で生ゴミをあさり,また帰っていく,という話に「あれっ?」とカバーを見直すと,著者近影に見覚えがあった。著者の佐々木洋氏は「プロナチュラリスト(自然案内人)」という変わった肩書きを持つ人物なのだが,最近たまたま覗いた「町中で見られる生き物」というタイトルの講演の講師だったのであった。

 数羽でチームを組んで,1羽が電線の上から小石やクルミの実を落とし,ほかの数羽でそれを奪い合う「石落とし」に興じるカラス,滑り台で滑って遊ぶカラス,ごった返すラッシュ時のホームで電車を覗き込む鉄道マニアのカラス,中高年のオバちゃんの笑い声そっくりの声でなくバカ笑いカラス,高いところから貝を落として割るカラス,公園で居眠りする人のポケットからものを取り出す「すりガラス」などなど,さまざまなカラスが紹介される。
 カラスを呼ぶことのできる伊豆大島出身のタレント(森川朱里)まで紹介される。

 付録として,「烏」や「鴉」という文字を使った言葉や地名一覧,さらにはカラスの登場する主な本まで紹介されて,(なんの役に立つかはともかく)資料性もなかなかだ。
 おや,エドワード・D・ホックの『大鴉殺人事件』も入っている。椎名誠の『銀座のカラス』もそういえばそうだ。『カラスがハトを黒くする?』ってほんとか。『カラスの勝手はゆるさない!!』,ごめんなさい,『烏の沽券』,いやはや,『カラスの死骸はなぜ見あたらないのか』,矢追先生の有名なとんでも本,『烏天狗カブト』,コブラの寺沢武一の作品,『蛸とカラスの共和国』,なんだそりゃ……。

2001/06/10

子カラスたちへ

Nakayoshi この週末は家人が京都に出かけ,子カラスと3人で留守番である。
 プールや買い物で楽しい1日を過ごした子カラスたちだが,最近それなりに大人びて,と思われていた上の子カラスが夜になって突然顔をくしゃくしゃにして泣き出した。考えてみればこの子カラスども,生まれてからずっと母親のいない夜など過ごしたことがなかったのだ(父親はいないことのほうが多いが)。
 叱ったりなだめたりしながらも,思うのは大阪の事件の子供たちのことだった。

 お母さんが一晩いないくらいで泣いてはいけない。
 殺された8人の子供たちはね,もう,お母さんの胸に抱かれることも,お父さんの膝ではねることもできないんだよ。夏の海でいっぱいに光を浴びることも,木枯らしの中でサッカーボールを追いかけることもできないんだよ。どきどき新しいページをめくることも,肩を寄せて歌うことも,もう二度と,二度とできないんだよ。

2001/06/06

20年の疲弊 『奇術探偵 曾我佳城全集』 泡坂妻夫 / 講談社

81【佳城というのは墓場の意味だった】

 本書は,引退した美貌の奇術師・曾我佳城を探偵とするミステリ短編集で,二段組500ページを越えるハードカバー大作である。昨年6月の発行,「このミステリーがすごい!」2001年版第1位作品でもある。

 しかしこれを3,200円で購入するには少々抵抗があった。実は収録22編のうち14編は
 『天井のとらんぷ』(講談社文庫 1986年8月発行 420円)
 『花火と銃声』(同 1992年8月発行 480円)
で発行済み。420円,480円で各7編,残り7編のために2,300円……というさもしい算段もなくはない。だがそれ以上に気になったのは,最近の泡坂作品のクオリティである。

 念のため書いておくが,泡坂妻夫は国内のミステリ作家としてはベスト3に入れたい大好きな作家である。短編集「亜愛一郎」シリーズはチェスタートンのブラウン神父譚に匹敵,いやそれ以上と面白く読んだし,今もたまに夢に見るほどだ。
 しかしここ数年の作風は……。
 近作の文庫の解説を見てみよう。

 『宝引の辰捕物帳 凧をみる武士』(文春文庫 1999年8月発行)
  ──絶妙な趣向が凝らされていると同時に,深い人間洞察に裏づけられて……

 『からくり東海道』(光文社文庫 1999年6月発行)
  ──からくり尽くしで構築したこの贅沢な伝奇小説……

 『亜智一郎の恐慌』(双葉文庫 2000年7月発行)
  ──亜愛一郎シリーズをはじめ泡坂さんのほかの作品の熱心な読者であればあるほど,にやりとさせられる仕掛けがあちこちに施されているのですが,そんなことは知らなくても,これ一冊だけでじゅうぶんに楽しめ……亜愛一郎の現代シリーズに比べて,ミステリーとして少し物足りない気が……

 実のところ,『凧をみる武士』については絶妙な趣向とも深い人間洞察とも思えなかった。『からくり東海道』のからくりはぴんとこない。『亜智一郎の恐慌』にいたっては解説からもミステリとしてつまらないことが明らかだ。

 最近の泡坂作品の解説者は,作者がマジシャンとして有名であること,本職が紋章上絵師であることを繰り返すばかり。関係ないだろ。そんなこと知らなくとも泡坂作品は十分,いや破天荒に面白かったではないか。
 あの(ネタばれになるので作品名は伏すが)お遊び精神の権化ともいえる信じがたいトリック,製本・編集にまでタネを仕込んだからくりの数々,「本の体裁をとったマジックショー」の作者はもういない。作者の情熱が失せたのか,空回りしているのか,それはわからないが……。

 曾我佳城シリーズも,旧い文庫2冊に収録されていた作品のほうがずっとよい。
 大学の先生がついつい目先のことに興味を引かれ,ふらふら深入りしてしまう「天井のとらんぷ」,テレビのニュースバラエティショウの会話だけで事件を描き上げる「白いハンカチーフ」,スキー場の山荘を経営する若夫婦ウナトット,カマトットの二人の会話が奇妙な漫才のように展開する「ビルチューブ」などなど。各編に登場するきりりとした女たちもすがすがしい。

 今回初めて収録された7編はそれらに匹敵する出来とは思えず,最終話の「魔術城落成」にいたってはミステリ史上何度も書かれたウェットかつ凡庸な締め方,しかもそれまでの切れ味,探偵の存在感を全否定しかねない不自然さである。トランプはこぼれ,帽子は濡れてしまった。手品の域ではない。

 とっぴんしゃん,とんでもはっぷん,すっとんきょう。
 願わくば,もう一度あのとぼけたアクロバットの妙味を味わいたいものだ。解説,選評の諸氏も,持ち上げるばかりでなくもう少し正直に書くべきと思うのだが,如何。

2001/06/03

ようやく発売! 『となりのののちゃん』 いしいひさいち,おがわひろし / 東京創元社

Photo【トホホケキョ】

 この機会に,と,手元のいしいひさいち本を数えてみた。
 双葉社『ドーナツブックス』35巻,チャンネル・ゼロ『問題外論』17巻,同『バイトくんブックス』7巻,少年画報社『スクラップスチック』7巻,東京創元社『大問題』シリーズ6巻など合わせて114冊

 中にはプレイガイドジャーナル社『バイトくん』3巻,双葉社『がんばれ!!タブチくん!!』3巻などいまやレアとなった単行本も含まれている(オークションで万単位でやり取りされるものもあるようだ)。
 我ながら少々鼻が高いのは,昭和53年(1978年)11月1日発行のWeekly漫画アクション増刊『いしいひさいちのがんばれ!!タブチくん!!』があることだ。プガジャのバイトくんが単行本になるより前のものだから,いしいひさいちの作品が全国区でまとめられた最初の冊子ではないかと思う。もちろんタブチくんはまだ阪神の現役扇風機で,後藤監督,チームメイトが中村,藤田,ブリーデン,江本,古沢,佐野の頃である。
 同じアクション増刊で昭和61年(1986年)8月3日発行,『タブチくん みんなのプロ野球』もある。この増刊にはなんと欄外にタブチくんシリーズの研究データ(キャラクター別4コマ出演本数,セリフ文字数ランキング,タブチくんの阪神,西武時代の(もちろん4コマの中での)全成績,球団別総比較など)が掲載されており,何に使えるかはともかく,恐ろしく資料性が高いのだ。

 ……と,いささか自慢げに書いてはいるが(否定はしない),さりとて自分がいしい本のコレクターであるという意識はない。なにしろ朝日新聞連載の『ののちゃん』を1冊も持っていないのだ。単に「おもしろそうな4コママンガ」を買って積んで捨てなかった結果が114冊。いしいひさいちがいかに凄いかということだろう。

 さて,115冊めの『となりのののちゃん』は,一見朝日の『ののちゃん』の単行本のように見えて,実は違う。東京創元社の新刊案内には,なんと「経営危機に陥ったアニメ制作会社チャンネル・ゼロリが起死回生の一策として打ち出したいしい被災地原作『となりのののちゃん』のアニメ化をめぐる一大騒動。連作長編漫画」とある。連作長編漫画!
 本書をめぐっては,いしい本の発行・委託編集で知られるチャンネル・ゼロの業務縮小やアニメ「ホーホケキョとなりの山田くん」のスタジオ・ジブリとの確執などが噂され,それを裏付けるかのように再三発行が延期されてきた。気になる,気になる……。そして,ついに書店店頭に並んだ『となりのののちゃん』!

 ……なんということはない,ののちゃん回りの単行本未収録4コマに旧作を加えて,前後に「ののちゃん」をアニメ化するぞというストーリーギャグ(といえるかどうか)の枠をはめただけ。アニメの企画書や脚本,絵コンテなどもちょこちょこっとはさまってはいるが,どうも企画倒れというか,別にそんな枠がなくてもという感じである。

 まぁ,そう思うのも,発売前の噂に勝手に下世話な期待をふくらませた反動だろう。新作,未収録作の数からみたコストパフォーマンスには少々疑問があるものの,個々の4コマがつまらないというわけではない。それらにおいて,いしいひさいちはいつものようにいしいひさいちである。また,妙な「枠」があるだけ,コレクターズアイテムとしての価値があることも否定はしない。

 というわけで,結論。
 悪くはないが,「連作長編」としては「地底人」シリーズの勝ち。あっ,あほーっ。 ←それは「最低人」

2001/06/01

これまたヒーロー復活 『大魔神』 筒井康隆 / 徳間書店

2【だ,大魔神さまだ! 大魔神さまがお怒りになったのだ!】

(ナレーション)
ときは平成十三年。巷ではコミックやポップスのリメーク,カバーが相次ぎ,政界では二世,三世議員が永田町の利権を争う。人々は新しいヒーロー,ヒロインを産み出す力を喪い,底知れぬ不景気にあえいでいた……。

(シーン1)
おたく風の村人A 徳間映画があの「大魔神」を復活させると発表してもう1年以上経つんじゃが,いったいどうなったんだか。
おたく風の村人B ありゃあ1999年1月だったかのう。しかも,脚本が筒井康隆。どんな作品になるかわしら特撮ファンはわくわくしたもんじゃが,その後とんと便りもない。ポシャってしまったのかのう。
子供 たっ,大変だよう,本屋さんに,こんな本が。こんな本が。

(ごごごぉぉっ……と嵐の音)

(メイン・タイトル「大魔神」。スタッフロール
  脚本 筒井康隆
  カバー 寺田克也
  カバー/ポスター 菅原芳人
  帯・表紙 唐沢なをき
  扉・本文挿画 沙村広明)
   :

(だんだん面倒になってきたので,以下普通の文体で)

 今や大リーガー・佐々木投手のニックネームのほうが通りのよい「大魔神」だが,ご存知の通り,これは1966年に上映された大映の特撮映画のタイトルである。具体的には
 「大魔神」(1966年4月公開。併映「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」)
 「大魔神怒る」(同年8月公開。いわゆる水の大魔神)
 「大魔神逆襲」(同年12月公開。いわゆる雪の大魔神)
の3作。

 公開年にご注目いただきたい。たった1年の間のことなのだ。
 しかし,埴輪のように穏やかな顔の魔神が腕を顔の前にかざすや一転鬼のような形相に変じ,ずしぃぃん,ずしぃぃんと重い足音とともに城下を踏みにじる姿は毎回圧巻。この3作だけで「大魔神」の名はゴジラ,ガメラとともに特撮映画の代名詞となった。
 演出的にも,重厚な時代劇設定はゴジラシリーズなどよりむしろリアリティを感じさせ,一方青をバックに前景を撮影,別に撮った後景と合成する「ブルーバックシステム」を初めて導入するなど,技術的なポイントも高い。
 もしレンタルビデオ屋などで見かけたら,ぜひご覧いただきたい。馬鹿馬鹿しいまでの勧善懲悪ストーリーではあるが,それゆえ今見てもいっこう見劣りしない(さすがに3作目は少々お子様ランチの感があるが)。

 さて,新作である。
 「大魔神」を復活させるなら,方針は2つしか考えられない。1つは旧作と同じく時代劇とし,シンプルに押し切る。もう1つは現代,あるいは未来を舞台にし,思いきりSF色,カルト色を加味する(たとえば「ターミネーター」。あるいは「帝都物語」という手もあるか)。
 はたして天下の異才・筒井康隆が選んだのは……。

 実はこれが意外なことに,まったくオーソドックスな時代劇。多少スプラッタな要素はあるが,もともとが悪役人を踏みつぶしたり非道な領主を杭で突き殺したりする作品である。この脚本なら,1966年に公開されていてもまったく違和感はなかったろう(1箇所,お約束のギャグはあるが,どうも駄作と言われた平成「ゴジラ」の武田鉄矢登場シーンを思い起こさせて嫌な予感がよぎる)。

 正直にいえば,筒井らしくねじれまくったシチュエーションSF「大魔神」を期待していたのだが,これはこれで1つの判断か。少々疑問な展開もあるが,映画は空間×時間芸術であり,脚本だけでは測れない面もある(単純な話,ヒロインの魅力だけでヒットする可能性だってある)。
 とりあえず,徳間映画のお手並み拝見。

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