『だれが「本」を殺すのか』 佐野眞一 / プレジデント社
【ヘエッー,がんぱ書店っていうんですか,かわった名前ですね】
本書は『東電OL殺人事件』などで知られるノンフィクション作家・佐野眞一が,出版クラッシュの現状と打開策を探る労作。雑誌「プレジデント」に1999年2月号から約1年間連載,連載当時は原稿用紙にして200枚弱だったものを,書店・流通・版元・地方出版・編集者・図書館・書評・電子出版と広角的かつ詳細な取材を積み重ね,約1000枚(!)まで加筆している。
無造作にページをめくっても,
「取次には汗を流して売ろうという発想がないんです。小さなバイクで街中を走り回って利用者に紙を届けているコピー機の会社や,自販機に商品を補充して回る清涼飲料会社のようなロジスティックスの発想がない。取次はビジネスパートナーだとは思うけど,まったくアテにはしていません」(往来堂書店店長 安藤哲也)
「いまの出版流通問題を解決するには,もし僕だったら,すべての出版物を収録した電子目録をまずつくる。各書店にその端末を置けば,誰でも自由に店頭にない本を発注することができる」(セブン-イレブン・ジャパン会長 鈴木敏文)
「図書館は近代的市民を育成していかなければならない,ちびくろサンボ問題に象徴される差別図書問題は全国図書館人共通の問題として今後も粘り強く取り組んでいかねばならない……。進歩的文化人そのままの言説の洪水に,私はやれやれと思った」(「本の学校」シンポジウム 図書館関係者の分科会について)
などなど,容赦ない言葉が並ぶ。
その意味で,先に紹介した『出版大崩壊』より格段に現場主義的であり,多面的である。それぞれの現場における温度差,覚悟の違いもより明確だ。たとえば『出版大崩壊』では一方的に悪者扱いだったブックオフも,ビジネスとしてクールで正常に見える。
しかし,「事実だから真実に近い」は必ずしも真理ではない。
読書家の多くはまじめに作られた本をよしとする。「よい本が売れない」ことが問題で,言ってしまえば古い教養主義のまま現状を愁う。みすず書房や晶文社は「よい出版社」であり,セブン-イレブンやブックオフ,さらにアマゾン・コムのようなビジネスライクな売り方には違和感を持つ。
だが,歴史や哲学の本が超訳本より大切というのは,1つの考え方にすぎない。著者は「良書信仰にこり固まった,いわゆる名門出版社といわれる版元ほど,出版文化の砦を守れという口あたりのいいスローガンをいいたてて,出版流通の四十年体制と労使対立の五十五年体制を結果的に温存しつづけた」と非難するが,雑誌やコミックより書籍ばかり話題にする著者自身,「よい本」信者のようにも見える。少なくとも本のデジタル化やオンライン書店についての発言にはミルクの皮膜を通したようなもどかしさが残る。
本当に殺されかけているのは何で,悲鳴をあげているのは誰なのか。それが名門出版社や大手取次だとしたら,読書家の知ったことではない。
もう1点引っかかったのは,「力のあるリーダーが1人現れたら,何とかなるのでは」といった楽天主義が見え隠れすることだ。本好きゆえの楽天主義なのだろうが,どうにも甘い印象で鼻についた。
数千社の年商全部足してホンダ1社とどっこいのちっぽけな業界である。自社の扱う製品が売れない原因に若い顧客の「本離れ」や「頭の悪さ」を挙げて平気な現状の大手名門がつぶれてしまうなら,その程度に脆弱なものだったということ。それでも書かれる「本」,読み継がれる「本」があるならそれでよし。
本は大切だから大切にしなければ……これは同語反復,ただの思い込みに過ぎない。
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