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2001年5月の11件の記事

2001/05/29

[閑話] 何が足りない? 陽水の「花の首飾り」

 井上陽水は嫌いではない。だが,彼の「花の首飾り」には,タイガースの加橋かつみが歌ったものに比べて,明らかに何か,足りないものがある。こちらがウブで影響を受けやすかった時代に耳にした,ということだけでは説明がつかない,というかそれを引き算してもまだ足りない何か。

 それは,「こがれる」ということではないか。加橋かつみの声は,ここではないどこか,手の届かない高みへの思い,たとえば絵や物語の中の乙女たちに向けられていたのではないか。成就が難しい,のではなく,そもそも成就などあり得ない思い。それゆえにピュアに抽出された絶望的なまでの「こがれ」。

 陽水のアルバムの中では,振り返ってみれば「勝者としてのペガサス」や「今夜」「海へ来なさい」「なぜか上海」を含む『スニーカーダンサー』が一番好きだ。時期的には麻薬事件から復活したころの作品だったかと思う。物語世界にダイブしていそうで,実はそれをこちら側から見ている陽水。「廃墟の鳩」においても後先考えずにダイブしてしまう加橋。ちょっとあてはめすぎだろうか。

2001/05/27

『だれが「本」を殺すのか』 佐野眞一 / プレジデント社

Photo_2【ヘエッー,がんぱ書店っていうんですか,かわった名前ですね】

 本書は『東電OL殺人事件』などで知られるノンフィクション作家・佐野眞一が,出版クラッシュの現状と打開策を探る労作。雑誌「プレジデント」に1999年2月号から約1年間連載,連載当時は原稿用紙にして200枚弱だったものを,書店・流通・版元・地方出版・編集者・図書館・書評・電子出版と広角的かつ詳細な取材を積み重ね,約1000枚(!)まで加筆している。

 無造作にページをめくっても,
「取次には汗を流して売ろうという発想がないんです。小さなバイクで街中を走り回って利用者に紙を届けているコピー機の会社や,自販機に商品を補充して回る清涼飲料会社のようなロジスティックスの発想がない。取次はビジネスパートナーだとは思うけど,まったくアテにはしていません」(往来堂書店店長 安藤哲也)
「いまの出版流通問題を解決するには,もし僕だったら,すべての出版物を収録した電子目録をまずつくる。各書店にその端末を置けば,誰でも自由に店頭にない本を発注することができる」(セブン-イレブン・ジャパン会長 鈴木敏文)
「図書館は近代的市民を育成していかなければならない,ちびくろサンボ問題に象徴される差別図書問題は全国図書館人共通の問題として今後も粘り強く取り組んでいかねばならない……。進歩的文化人そのままの言説の洪水に,私はやれやれと思った」(「本の学校」シンポジウム 図書館関係者の分科会について)
などなど,容赦ない言葉が並ぶ。

 その意味で,先に紹介した『出版大崩壊』より格段に現場主義的であり,多面的である。それぞれの現場における温度差,覚悟の違いもより明確だ。たとえば『出版大崩壊』では一方的に悪者扱いだったブックオフも,ビジネスとしてクールで正常に見える。
 しかし,「事実だから真実に近い」は必ずしも真理ではない。

 読書家の多くはまじめに作られた本をよしとする。「よい本が売れない」ことが問題で,言ってしまえば古い教養主義のまま現状を愁う。みすず書房や晶文社は「よい出版社」であり,セブン-イレブンやブックオフ,さらにアマゾン・コムのようなビジネスライクな売り方には違和感を持つ。
 だが,歴史や哲学の本が超訳本より大切というのは,1つの考え方にすぎない。著者は「良書信仰にこり固まった,いわゆる名門出版社といわれる版元ほど,出版文化の砦を守れという口あたりのいいスローガンをいいたてて,出版流通の四十年体制と労使対立の五十五年体制を結果的に温存しつづけた」と非難するが,雑誌やコミックより書籍ばかり話題にする著者自身,「よい本」信者のようにも見える。少なくとも本のデジタル化やオンライン書店についての発言にはミルクの皮膜を通したようなもどかしさが残る。
 本当に殺されかけているのは何で,悲鳴をあげているのは誰なのか。それが名門出版社や大手取次だとしたら,読書家の知ったことではない。

 もう1点引っかかったのは,「力のあるリーダーが1人現れたら,何とかなるのでは」といった楽天主義が見え隠れすることだ。本好きゆえの楽天主義なのだろうが,どうにも甘い印象で鼻についた。
 数千社の年商全部足してホンダ1社とどっこいのちっぽけな業界である。自社の扱う製品が売れない原因に若い顧客の「本離れ」や「頭の悪さ」を挙げて平気な現状の大手名門がつぶれてしまうなら,その程度に脆弱なものだったということ。それでも書かれる「本」,読み継がれる「本」があるならそれでよし。

 本は大切だから大切にしなければ……これは同語反復,ただの思い込みに過ぎない。

2001/05/23

[閑話] うおへんの親分

 調べものをしていて,ふと「魚偏」は「うおへん」なのか「さかなへん」なのか気になって,辞書を引いてみた。
 結果は以下の通り。

  『広辞苑 第四版』
  うお‐へん【魚偏】
    漢字の偏の一。「鯨」「鮮」などの偏の「魚」の称。

  『大辞林』
  うおへん 【魚偏】
    漢字の偏の一。「鯨」「鮮」などの「魚」の部分。

 ……「うおへん」の漢字の代表は「鯨」と「鮮」なのか。哺乳類に代表を奪われてしまった,ほかの魚たちの立場(いや,泳ぎ場か)はいったい。

2001/05/22

出版バブル崩壊,流通パニックへの百の予兆 『出版大崩壊 いま起きていること,次に来るもの』 小林一博 / イースト・プレス

82【腐海のほとり】

 本や雑誌といったペーパーメディアの売れ行きが悪いというのは少し前から言われていることである。最近はコミックさえ不調,とよく耳にする。若者の活字離れ,ブックオフなど新古書店に圧迫を受ける新刊書店……しかし。そんな認識は甘い,今出版の現場に起こっていることはもっとずっと深刻で,もっとずっと危険だ,というのが著者の主張である。

 たとえば,書籍の場合,発行から約6か月間,書店店頭に置かれ,6か月が経過したところで売れなかった本は版元に返本される。そこで売上が確定するわけだ。ところが,ごく一部の大手出版社に限り,書籍を納入すると本来7か月後にもらえるはずの売り上げ金を取次からなんと即金でもらえるのだという。で,7か月後に返本数と調整して精算される。
 なんとも甘い優遇だが,これら大手出版社の本が売れ続けている間はまだよい。ところが,最近のように本が売れなくなると,返本がかさむ。当然,精算時に赤字が発生し,出版社から取次に膨大な返金が必要になる。そこでどうするかというと,返本時までにともかく本を作り,取次に卸す。すると,あら不思議,刷った本の数だけお金がもらえる。
 しかし,粗製濫造の本がそんなに売れるわけもないから(返本率50%はおろか,70,80%の書籍もざら),精算するとさらに減益。だから,さらに新刊を発行して取次に……。
 という構図で,ここしばらく新刊書籍の点数が増大し(70年代の約3倍),その一方で本が売れず書店が1万店規模で減っているため書店の売り場を圧迫,長期間置いておけば売れそうな本も(ひどい場合は箱も開けずに)返本に回る。

 この悪循環で,もはや業界最王手の講談社でも,『五体不満足』400万部という超スーパーヒット(なんだそうな。知らなかった)をもってしても書籍部門の赤字がまかなえなかった,というのである。ほとんどサラ金に手を出しての自己破産パターンではないか。

 ブックオフ等の新古書店と出版社間のトラブルというのも,読み手が新刊を買わなくなる,程度の問題かと思いきや,
(1) 一部の赤字に苦しむ出版社が返本を断裁するよりマシと新古書店に売って再販モラルを崩す。
(2) 旧来の古書店と違って古本持ち込み時に客のチェックをしないため,書店店頭の万引きが増える。書店の利益率は低いので,1冊万引きされると同額の本を5,6冊売らないと赤字。
(3) 一部の書店が新古書店やマンガ喫茶の在庫(つまり古本)を返本と称して出版社に返本(定価の7割近くが返金される……立派な詐欺)。
といった,重く苦い問題を含むのだそうだ。とくに3つ目は,実は地方の新古書フランチャイズ店は新刊書店と同じ経営者によるものが多く,組織的な犯罪の可能性もあるらしい(返本の中に,スリットがない,カバーと中身が違う,マンガ喫茶のハンコが押してある(笑)などが増えているとか)。

 このほか,雑誌の売上・広告の低落,大型書店開店時の優遇とそれに起因する市場在庫逆流の危険など,さまざまな問題が明らかにされる。以前から出版業界の問題を内部告発する本はあったが,ここまで深刻な内容のものではなかった。これらが事実なら,バブル崩壊の大パニックは目前である。

 著者は出版社,取次,書店それぞれに向けて,悪循環からの脱却を主張するが,閉鎖的でプライドの高い出版業界に変化への適応ははたして可能なのだろうか。
 三度の飯よりの本好きとしてはまこと心配な限り。食欲がわかなくて,本書と一緒に購入してきた『だれが「本」を殺すのか』(佐野眞一,プレジデント社)もまだ開く気にならないのだ。

2001/05/20

ミステリはなぜに青春を謳うのか 『メビウス・レター』 北森 鴻 / 講談社文庫

2【はじめて手紙を書くよ,今はもうどこにもいないキミに。】

 作者の北森鴻はアマチュア当時,鮎川哲也編『本格推理1 新しい挑戦者たち』で「仮面の遺書」という,色彩を扱って非常によくできた短編ミステリを発表している。
 1995年には『狂乱廿四考』(東京創元社)で第6回鮎川哲也賞を受賞して作家デビュー。1961年生まれとのことだから,世代的には綾辻行人や有栖川有栖らとそう変わらない。遅咲きの新本格派,ということか。

 本書『メビウス・レター』では,男子高校生が美術室で謎の焼身自殺を遂げ,それから数年後,作家・阿坂龍一郎宛てに事件の真相を追究する同級生「ぼく」の手による手紙が次々に送りつけられる。阿坂は同じマンションに住む人妻のストーカーに付け狙われ,担当編集者が誰かに殺害され,次第に追い詰められていく。手紙の差出人の正体は? 事件の全貌は?
 いかにも折原一あたりが書きそうな錯綜した設定だ。

 しかし,こういった,倒叙モノ(書き手が誰であるかがキモ,というミステリの手法)では,あらすじを紹介するわけにもいかず,評価だって突き詰めた話「びっくりしたか,しなかったか」のどちらかで,内容に触れずに下すわけにはいかない。
 そこで,本書を読んで感じたことを2つ,簡単に書いてみよう。

 その一,ミステリの多くは,なぜこうも青春小説なのだろう。
 もちろん,最大の理由は書き手が若いということだ。大学のミステリ研に在籍しながらデビューを果たした作家たちが,高校生や大学生を主人公にするには,世間の狭さからやむを得ないことかもしれない。しかし,遅咲きの北森鴻にそれは当てはまらない。

 その二,ミステリの多くは,なぜこうも演歌なのだろう。
 本書に記された手紙はこう始まる。「はじめて手紙を書くよ,今はもうどこにもいないキミに。」……もうベタベタである。感傷的,情緒的,北の国からセーター編んでいるのである。本書に限らず,真犯人を知りながら苦吟する探偵,「なぜ」と身悶えるワトスン役,「それしかなかった」とうつむく犯人,ミステリの登場人物たちは誰もがみな情緒不安定かつ演出過剰だ。

 思うに,そうでなければ常人の犯した殺人事件など,書き得ないのかもしれない。「メル友に会ったら言うこと聞かなかったし金も欲しかったし」「かわいいと思って声をかけたら悲鳴あげるし」とトリックもアリバイも気にせず殺してしまう,それでは小説にならない。少なくとも「一生懸命耐えたのよ,でも……」と言わせる程度には背景や動機がなければ推理に足る事件とは言えまい。だが,ごく普通に常識や想像力を持つ大人なら,少々の金や色恋沙汰では殺人までは犯さない。殺意にいたるほどこだわりを持たないか,あるいは損得を勘定してしまうからだ。
 結局,情緒過剰でなければミステリの主役は張れないのである。

 本書の登場人物たちのさまざまな行動も,複雑な構成を剥ぎ取り,そもそもの動機を振り返ると,実は滑稽なまでに目的と行為のバランスが悪い。その程度の動機でそうまでやるか,それを気にするならなぜほかの関係者を放っておく,と言いたくなるような行為ばかりだ。

 しかし,この程度はミステリとしては許容範囲だろうとも思う。
 むしろ本書については,愛川晶による解説にあった,編集者の独断によって出版中止にいたったという経緯が興味深い。理由がどうしても想像できないからだ。内容に問題があるようには見えないし,売れそうにないなら原稿段階で手直しさせるべきだろう。ゲラ刷りまで進行して,はたして,なぜ?

2001/05/18

ヒーロー舞い戻る 「週刊コミックバンチ」創刊1号 / 新潮社

【オレの事か… そりゃスマンね】

 青年コミック誌「週刊コミックバンチ」の創刊号が5月14日(火曜日)に発売された。
 コミック誌の創刊は,珍しいというほどでもないが,少々ひねった頭でっかちかターゲットをしぼったオタク向けが多く(だからよいとかいけないとかいうことではもちろんない),このようなメジャー志向の週刊誌の創刊はここ数年あまり記憶にない。

 この雑誌が話題になったのは昨年の夏で,2000年8月8日のZAKZAKによると
「大手出版社の新潮社(本社・東京,佐藤隆信社長)が、『週刊少年ジャンプ』元編集長の堀江信彦氏(44),漫画家の原哲夫氏(38),北条司氏(41)らと共同で設立した新会社『Coamix(コアミックス)』を軸に,来春をめどに漫画週刊誌を創刊する計画を進めていることが8日までに分かった。新漫画誌は8月中に名称が決まり,創刊時約50万部を予定。」
とのことだった。5月中旬の発売だから,ほぼ予定通りに進行したことがうかがえる。

 その陣容だが,これはもうまるっきり80年代の少年ジャンプ。
 なにしろ創刊号の新連載が,『北斗の拳』『花の慶次』の原哲夫,『シティーハンター』『キャッツ・アイ』の北条司,『よろしくメカドッグ』の次原隆二。さらに創刊2号には『県立海空高校野球部員山下たろーくん』『ペナントレースやまだたいちの奇蹟』のこせきこうじ,『The Momotaroh』『リベロの武田』のにわのまことの連載が用意されているというのだから,鳥山明,ゆでたまご,車田正美らがいないのが不思議なくらいだ。
 ターゲットは,その当時少年ジャンプの熱心な読者だった現在の20代,30代のサラリーマンか。お色気,ギャグは飾り物程度,モーニングやオリジナルに見られるサラリーマン頭脳戦的色合いもほとんどなし。あるのはアクション,男気,勧善懲悪……往年の少年ジャンプをそのままシフトしたような作風だ。
 要するに強くてかっこいい主人公が敵を倒してわくわく……王道といえば王道である。

 それだけではない。原哲夫の連載の主人公は『北斗の拳』のケンシロウの師リュウケンの兄・拳志郎。北条司の連載は『シティーハンター』の事実上の続編。次原隆二の連載の主人公は『よろしくメカドッグ』と連続性こそないが,老年のメカニック。いや,それだけではない。今泉伸二の『リプレイJ』はさえない中年サラリーマンが学生時代に再生し人生をやり直すという話,渡辺保裕『ワイルドリーガー』はかつて日本プロ野球で活躍したピッチャーが9年の空白後に復活する話,そして柳川喜弘の作品は柴田錬三郎原作の『眠狂四郎』だ。
 『北斗の拳』や『シティーハンター』を持ち出したのは,ネタに困ってや営業的な話題作りではないのだろう。連載がこぞってそうなのだから,これは編集方針なのだ。要するにこの雑誌がやってみせたいことは,単なるヒーローの提供ではなく,ヒーローの「復活」なのだ。

 これだけはっきりした編集方針を打ち立てたコミック誌というのは,そうあるものではない。その方針の是非はわからないし,5年前なら苦し紛れにしか見えなかっただろうが,小泉内閣の支持率を見ても,この国は今,閉塞感の反動として強く猛々しいヒーローの復活を求めているようにも見える。さて。
 
 若手の連載にも絵に力があり,火曜日は(少なくとも関東では)週刊コミック誌のエアポケットでもある。来週以降,しばらく買い続けることになりそうだ。

 ……でも,やっぱり狂四郎は雷蔵のがいいな。

2001/05/16

濃い口醤油ホラーサスペンス 『ETRANGER ─エトランゼ─』 原作 梶研吾,漫画 富沢 順 / 集英社(ジャンプ・コミックス デラックス)

5【その男に銃を持たせるな!】

 集英社の青年誌,スーパージャンプに連載されていた『企業戦士YAMAZAKI』(全12巻)という作品をご存知だろうか。

 主人公はメガネをかけた冴えない中年サラリーマン。
 彼はかつて集英商事に務める優秀なエリートサラリーマン・尾崎達郎だったが,会社の不祥事を押し付けられ,あげくに過労死してしまった。今の彼は,残された妻子に送金するため,ネオ=システム社からサイボーグの体を与えられ,つぶれかけた会社に赴いてはその再建に取り組むA級派遣社員・山崎宅郎なのだ。製造,サービス業,業種を問わず日夜アイデアを振り絞り,会社再建に努める山崎。そんな彼を抹殺せんと次々現れては破天荒な武器で襲いかかるライバル企業戦士たち。

 1話完結のストーリーは毎回サービス満点で,人情,恋愛,お色気,アクション,ギャグ等々,およそ青年コミック誌で求められる要素はほとんどすべて達者な作画に込められ,さらに山崎を慕って彼の後を追う家出娘・鹿島倫子の成長物語としても読める,という至れり尽せりな作品である。
 ことに毎週の企画会議にあえぐサラリーマンの方に,ぜひ一読をお奨めしたい。主人公が提供したアイデアのいくつかはのちに実際に製品化あるいは実施されており(本当),残りのいくつかも会議の議題に上げるだけの価値はある。つまり,その製品やサービスが実現可能か,あるいは利益を生むか否かは別にして,「先週の会議のあと,このような企画を考えてみたのですが」と会議で口にする程度にはリアリティがあるのだ。なぜなら,山崎の仕事は,マンガの中の社会とはいえ,「顧客のニーズを調べ,それに応じたサービスを提供する」という基本ラインから絶対に踏み外さないからだ。

 そんな『企業戦士YAMAZAKI』の富沢順が現在スーパージャンプ誌上で連載しているのが,表題のホラーサスペンス『ETRANGER』(Eは上にアクセント記号,Aは上下反転)である。

 若い女性が内臓をえぐり取られる猟奇殺人事件が相次ぐ東京。被害者は臀部の皮膚および大殿筋をむしり取られ,食道に至る内臓すべてを奪われ,オブジェのようにマンホールに上体をのぞかせていた。
 ある事件以来,第六機動隊第七中隊(SAT,特殊急襲部隊)というキャリアを捨てて警視庁総務部庶務課の仕事に励む主人公・久我彩人警部補が,否応なく事件に巻き込まれていく。異形の怪物が愛する妻・真由を襲い,その喉笛に噛みついたのだ。幸い傷は頚動脈をはずれ,命に別状はない。しかし,それは二人の静かな生活の終わりだった。真由の傷は異常な速さで消え,彼女の身辺では奇妙な出来事が続く……。

 ここまでで,60ページ少々。1巻を読んだ限りでは,『企業戦士YAMAZAKI』に見られた全方位サービス精神が,設定を複雑にし過ぎている感じだ。怪物の全身像も開幕早々に描かれてしまった。真由が首を噛まれたということは……と,それに続く展開は誰にでも見当がつくだろう。
 要するに,サービスのつもりが,手の内を明かし過ぎなのだ。映画「エイリアン」の怖さが,なかなか怪物の全身が把握できないことに起因していたことを思い起こしていただきたい。怪物の異形や無残な事件を描くことが恐怖を招くわけではないのだ。

 しかし,こうなったらしょうがない,どんどん濃い事件を描き尽くしていただきたい。ともかく富沢順の絵は職人的に巧みで安定感があるし,若い女性をキュートに描くことにもたけている。あとは「向こうの世界」に先に行ってしまった真由をできる限りクールに描いてくれることを祈るばかりである。めざせ世界のハンニバル・真由。

2001/05/14

黙殺するは我にあり 『歴史をかえた誤訳 原爆投下を招いた誤訳とは!』 鳥飼玖美子 / 新潮OH!文庫

Nimg7982【翻訳者は反逆者】

 相変わらず烏丸の購買意欲をくすぐる新潮OH!文庫,今月の新刊の1冊である。
 女性通訳による著書といえば米原万里『ロシアは今日も荒れ模様』を取り上げたところだが,そちらは「いけ好かないインテリゲンチャ」と,そこまで言うか烏丸。その際気になったのが,通訳という仕事を通して得られた高官や民衆の言動を公表してよいのか,ましてやそれを笑いのタネにしてよいのか,の2点だった。

 本書は,タイトル買いのため,読み終えてカバーを取るまで書き手が女性であるとは知らなかったのだが,同じ女性通訳の手によるエッセイとは思えない,がちがちに硬派な──大学の先生の手によるような,と思ったら,著者は立教大学の教授だそうである(家人が言うにはNHKテレビ英会話のセンセイでもあるそうだ)。
 ともかく堅い。「通訳者の倫理」という項では,通訳者の守秘義務として「通訳という立場で知りえた情報は,その場を離れたら,すぐ忘れる。メモも慎重に廃棄する。いわんや外部で会議や会談の内容をしゃべったりはしない」とびしり言い放つ。通訳者は発言者になりきり,いくら心の中で「これは絶対に黒だ」と思っても発言者が「これは白です」といったら,「白」と訳さなければならない,通訳者本人の弁明なり説明は許されず,すべて墓場まで持っていってしまうのが通訳者としての倫理,と言い切るのである。

 しかし,そうあるべき通訳の仕事の中で,あるときは勘違いから,あるときはどうしても越えられない文化の壁のため発生し,歴史に大きく影を起こした誤訳の数々……ただし,その内容は決してスキャンダリズムに流れず,1つ1つ,慎重に解析されていく。

 たとえば,大戦末期,ポツダム宣言に対して鈴木貫太郎首相が強気な静観の意をこめて「黙殺する」という言葉で応じたところ,それが“ignore”つまり「無視する」と翻訳され,結果的に原爆投下を招いた件。
 日米会談における「善処」「ハリネズミ」「浮沈空母」等の誤訳事件。実際にはどう言ったのか,それはどう翻訳されたのか,どう翻訳すべきだったのか。
 また,涙ぐましいまでに言葉が選ばれ,捻じ曲げられる,安保,防衛,自衛隊派遣等に関する用語。“command”は「指揮」ではなく「指図」,“alliance”は「同盟」でなく「同盟関係」,“preparations”“readiness”はいずれも「戦闘準備」「即応態勢」でなく単に「準備」。ペルーの日本大使公邸人質事件における“uso de fuerza”は「武力行使」でなく「実力行使」……。
 「反戦の女王」ジョーン・バエズ来日の際には,CIA(と自称する者)からの圧力に,テレビ番組の中でとんちんかんな誤訳が展開される,という事件も起こる。

 これら,いかにも政治色の強いトラブルだけでなく,翻訳の難しさとして,著者はさまざまな文化における誤訳も取り上げている。太宰の『斜陽』に登場する医者の「白足袋」をどう翻訳すべきか,「ホトトギス」と「ウグイス」の違いは……。

 通訳とは2つの言語によって2つの文化を翻訳することである。そのためには,文化についての深い理解が必要である(優秀な通訳者,または翻訳者には,かえって外国滞在の経験がない者が多いという)。
 というわけで,通訳としてカダフィ大佐のインタビューに同行して以来消息の知れない(と噂の)T君,元気?

 おまけクイズ。以下はどう翻訳すべきでしょう。
(1) Full I care, cowards to become miss note.
(2) Oh, my son, near her gay girl.
(3) To be, to be, ten made to be.

2001/05/11

その件について御説明 『巨大な落日 大蔵官僚,敗走の八百五十日』 田原総一朗 / 文春文庫

Nimg7864【こういうのを,官僚バカというのだろうか】

 これだけ有名なジャーナリストでありながら,代表作が思い浮かばない。著作は何冊か読んだが,どうも描かれた対象に比べて「著者」の印象が薄い。攻撃の切れもテレビのトークよりどことなく甘い。もちろん,本来インタビューを受ける側より聞き手が目立ってはまずいわけだが……。
 そんな田原総一朗による本書は,橋本龍太郎内閣が行政改革の目玉として大蔵省解体論を打ち出してから,紆余曲折を経てそれが実現する(大蔵省から金融検査・監督部門が「金融監督庁」に移管し,大蔵省が「財務省」となる)にいたる2年半の経緯を関係者の証言を元に検証したドキュメンタリーである。

 当初,つまり住専処理に世論が沸き立つ1996年2月,自民党幹事長加藤紘一が大蔵省の権限分離を言い出して与党プロジェクトチームが組まれた時点では,住専処理等いくつかの不手際に対するマスコミのバッシング攻勢にも大蔵官僚の結束は固く,およそ大蔵省解体が早期に現実のものになるとは(おそらく言い出した政治家たちすら)考えていなかったのではないか。本書の次のような表現は,この国を支えてきたと自認する大蔵官僚たちの当時の対応ぶりを見事に描いているように思われる。
「大蔵官僚たちは,省の権益を守るためには,全省一丸となるのが常だ。それはそれは一糸乱れぬ作業である。そして事務次官から,課長,課長補佐クラスまでそれぞれに分相応の相手を標的として,『御説明に』といい,当事者,関係者たちをしつこく訪問する」
 大蔵解体をテーマとする与党プロジェクトチームはあっさり「御説明」にぐらつくが,解散するわけでもなく,内輪で仲違いなど繰り返しながら検討が重ねられる。

 この後の展開は非常に奇妙なものだ。この闘いは,自民党対大蔵省,マスコミ対大蔵省の形で展開するのだが,その自民党には大蔵官僚OBがあふれ,また,経済政策,つまり「頭」は大蔵任せという政治家も少なくない。本来,勝ち目のない闘いだったはずなのだ。
 実際,この後の200ページ,ボクシングで言えば次のような展開が続く。
「自民,右アッパー。大蔵,軽くかわして自民党の顔面にジャブジャブジャブ」
「マスコミ,渾身の左ストレート! その前にゴング,レフェリー割ってはいる」
「大蔵優勢,自民手が出ない!」
「大蔵優勢,マスコミ足が動かない!」

 で,気がつくと,なぜか大蔵省が足元に倒れているのである。
 ボディブローが実は効いていた,ということなのか。その最たる有効打は結局のところ,例の銀行のMOF担によるノーパンしゃぶしゃぶ接待スキャンダル……だとするならなんという情けなさ。
 後半に登場する現役大蔵官僚は「外的刺激(厳しい批判)をたくさん受けすぎて,反論する気力も何もなくなって思考停止状態だ」と退行ぶりを語る。先の引用の,見事なまでの裏返し。

 振り返れば,現実の行政を政府自民党から委ねられ続けてきたプロ集団=大蔵省が,80年代後半から90年代の前半にかけての一番舵取りの難しいときに日本経済を暴走させ,巨大な負債を残した,これは紛れもない事実だ。
 誰が担当しても妙案はなかったかもしれない。どうあがいても「失われた10年」は訪れたかもしれない。しかし,少なくとも,彼らのおでこには一度「無能」のレッテルが貼られてしまった。無能な役人が思考停止……それが事実なら,少なくとも血税から給与報酬を受け取るべき状態ではないと思われるのだが。さてさて金融ビッグバン,いや,この国の行く手は。

 教科書に 載るやパンしゃぶ リスト付き 知るも知らぬも 楼蘭の砂 ……しょもな。

2001/05/06

♪メスを持ってはアメリカ一の 『Dr.検死官』 トーマス野口,ジョゼフ・ディモーナ,佐瀬 稔 訳 / 講談社+α文庫

Nimg7653【検死官はガッツを必要とする】

 これまで,読み手の迷惑顧みず(?)須藤武雄『法医学の現場から』,渡辺孚『法医学のミステリー』など,法医学,検死関係の書籍を何冊か紹介してきた。実は本書もぜひ読んでみたいと思っていた1冊なのだが,1995年の文庫化の後,早々に品切れになってしまい,最近ようやく発見できたものである。その内容,手応えたるや,ブックオフをハシゴした労力に十分見合うものであった。

 トーマス野口氏はロサンゼルス郡検死局(ロス疑惑のアレである)の前局長であり,テレビの「Dr刑事クインシー」のモデルとしても知られている。ロサンゼルスという場所柄もあって,彼が検死に関わった人物にはマリリン・モンロー,ロバート・F・ケネディ,シャロン・テート,ジャニス・ジョプリン,パティ・ハースト誘拐犯,ウィリアム・ホールデン,ナタリー・ウッド,ジョン・ベルーシ……とビッグネームが並び,その死を巡る謎もまた興味深い。たとえばジャニス・ジョプリンの死が,普段は粗悪なヘロインになじんでいたのが,たまたまそのとき手に入れたヘロインが高純度のものであったためというのは初めて知った。

 しかし,本書のキモはそれだけではない。
 日本の検死官の多くが警察機構の奥に隠れ,職務をまっとうしたのちようやく書籍で心情を吐露するのに比べ,トーマス野口氏は,ロサンゼルス郡検死局長に登りつめ,新しく法医学センター・ビルをオープンして法医学の世界に数々の金字塔を打ち立てる一方,再三マスコミやハリウッドを敵に回し,「スター専属コロナー(検死官)」としてスキャンダラスに攻撃される。曰く,「うぬぼれ,エゴ,野心,いつも大物でいたいという欲求……」。

 そのあたりのうかがえる,たとえば以下のような一節。
「以来,私は検死局長の職に留まり,一三年の間に,ロサンゼルスにおける法医学を隆盛に導いたのである」
「彼らは『演技過剰』とか『自分の名を売るために話をふくらます』などと批判した。私はただ,検死官としての信念を貫こうとしただけなのに,である」
「私の性格にいかにクセがあろうとも,プロとしての私の能力に,郡参事会,行政府が,一片の疑いさえ投げつけることは不可能だったのである」

 検死という仕事がキャリアの1つの階段であり,上司やマスコミと闘うという構図においては,パトリシア・コーンウェルの『検屍官』シリーズの主人公ケイ・スカーペッタを思わせる。コーンウェルの作品は,あれはあれでリアリズムにのっとったものだということか。
 さすが主張と裁判の国アメリカ……と感心したところでやっかいなことに気がつく。トーマス野口氏は決してアメリカに育ったわけではなく,実は戦前の教育を受け,日本医科大学に学んだ,生粋の日本人なのだ(1952年渡米)。
 つまり,いかにもアメリカ的に見える彼の闘いは,強烈なモチベーションと主張をみなぎらせた日本人に対するロサンゼルスエスタブリッシュメントの異化作用である,とみなすこともできなくはない。

 本書は,マリリン・モンローら著名人の死の謎を描くハードボイルドなドキュメンタリーであると同時に,そういった彼我の違いにいやおうなく向きあわさせられる文化論でもある。とりたてて「検死官本」に興味のない方にもぜひご一読をお奨めしたい(その意味で品切れはまことに残念)。

2001/05/03

背中に重荷,前後左右に敵 『監督たちの戦い[決定版]』(上・下) 浜田昭八 / 日経ビジネス人文庫

Photo【解雇(ファイヤ)されるために雇われる(ハイヤ)】

 スポーツの記録に人生の意味を重ねるのはオヤジの悪い癖だ。だが,自らを木鶏たり得ずと語った双葉山以来,スポーツを語るのはプレイヤー,マスコミ,オヤジが一体となってルールを取り交わした大いなる頭脳戦であり,居酒屋のカウンターで自らの薀蓄を傾けるのはオヤジ及びオヤジ予備軍にとってこの上ない楽しみの1つであった。
曰く「トンビは内外角の投げ分けが身上なんだから,あのスライダーが外れた後にヒットエンドランは無謀だったね」
曰く「千代は相撲が大きすぎた。前ミツを取るようにしたら伸びると俺は前から言ってたわけよ」
曰く……。

 そうして全国5000万のオヤジが浅漬の評論家と化す中,酷い目にあうのはプロ野球の監督だ。
 プレイヤーはまだよい。10勝すれば,3割打てば胸を張れるし,そうでない場合は実力が足りないだけ。レギュラーにしてもらえない,いい場面で使ってもらえない,ちょっと打たれただけで変えられる……言いたいことは山ほどあるだろうが,それなりに活躍すれば評価も給料もついて回る。
 それに比べて,監督は大変だ。敵は相手チームだけではない。身勝手なオーナー,機能しないフロント,無能なコーチに雄弁すぎるコーチ,そして覇気がありすぎるかなさすぎる現役プレイヤーたち。年が近ければなめられ,離れすぎると会話が通じない。
 優勝すれば親分,マジックと持ち上げるマスコミも,翌年勝てなければ無能扱い(なにしろマスコミに巣食うのはヌカ漬レベルの評論家どもだ),6球団のうち2位,3位なら上出来,とは誰も言わない。リーグ優勝できても,たった7試合の日本シリーズに勝てなければ評価はBクラスである。

 本書は,上巻に王貞治,仰木彬,野村克也,上田利治,西本幸雄,吉田義男,近藤貞雄,三原脩,下巻に長嶋茂雄,星野仙一,森祗晶,広岡達郎,大沢啓二,川上哲治,藤田元司,鶴岡一人という歴代の名監督の苦闘を語るノンフィクション。
 ここしばらくの野球本の中では,実に読み応えのあるもので,上下巻合わせて800ページ弱の野球本など電車の行き帰り,2日もあれば読み終えるのが通常だが,ほかの本に浮気しつつぽつぽつ拾い読むのに10日近くかかった。重い。切ない。辛い。あのV9監督の川上でさえ気の毒に思われると言えばおわりいただけるだろうか。
 いたずらに人生論に翻訳しているわけではない。むしろ,数字に残る記録や,当時のマスコミの報道,さらに当時あるいは現在の監督当人,あるいは周辺のプレイヤーへのインタビューをこつこつと積み上げただけなのだが,1つの試合,1つの采配についての記述が実に重い。とても読み流すことができないのだ。

 しかし,悲劇の闘将西本とか稲尾4連投とか,そういった共通の知識,認識を持たない非野球ファン,あるいは最近の野球ファンにこの本の面白さ,切なさがどれだけ伝わるのだろう。よくもあしくも日本プロ野球はスポーツではなく,プロレス同様,記憶と認識のゲームなのである。その意味ではサッカーよりは能,歌舞伎に近いと言ったら言いすぎか。

 おりしも1日の読売中日戦の視聴率は11.9%と低迷,同じ日の近鉄日ハム戦では1回表の先頭打者初球本塁打が決勝点となるというプロ野球史上初の珍記録が生まれたにもかかわらず反響はないに等しい。エース,首位打者の抜けた日本プロ野球はこのまま大リーグの二軍と化し,オールドファンは昔の記録と記憶に溜息をつくしかないのか。……さらにマイナーなスポーツのファンに比べれば,こうして素晴らしい本にめぐり合えるだけマシではあるのだが。

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