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2001/04/07

マスコミの誤報について その一 『誤報 ─新聞報道の死角─』 後藤文康 / 岩波新書

Photo_2【サンゴ汚したK・Yってだれだ】

 関東大震災下の「朝鮮人暴動」(1923年)
 元号「光文」事件(1926年)
 林彪事件(1971年)
 国際産業スパイ事件(1972年)
 ロス疑惑(1981年~)
 教科書検定事件(1982年)
 大韓航空機爆破事件(1987年)
 「なだしお」事故(1988年)
 グリコ・森永事件(1989年)
 幼女連続誘拐殺人事件(1989年)
 サンゴ損傷事件(1989年)
 湾岸戦争(1991年)
 松本サリン事件(1994年) ……

 本書は,元新聞記者・紙面審議会委員の著者が,あるときは市民の人権を侵し,あるときは世論を誤らせてきたマスコミの「誤報」の数々を紹介し,それぞれの原因と経緯,さらにその防止策,善後策を考えるものである。

 「誤報」はなぜ起こるか。
 第一に,マスコミが,犯罪事件では捜査当局を最大かつ最重要な情報源にしていること。第二に,記者が時間に追われ,確認を怠る場合。第三に,ほかの記者,新聞,テレビなどとの過剰な競争心理がチェックの甘さに結びつく場合。極端なケースでは,「サンゴ損傷事件」のようにでっちあげ,捏造にいたることさえある。
 「誤報」をなくすには,ともかくほかの情報源によるクロスチェックを重ねる以外にない。もちろん個々の記者が,報道というものがいかに大きな影響を与えるかについて自覚し,その一方で社のシステムとしてのチェック機構を整備することだろう。

 一方,「誤報」が明らかになった場合の後始末もまた重要である。いかに速やかに適切な「おわび」「訂正」を掲載するか,そこにマスコミ各社の姿勢,誠意が問われるのは言うまでもない。

 本書は1996年の発行だが,その後も「誤報」は相次いでいる。
 たとえば朝日新聞が1999年12月,雅子妃の懐妊について朝刊で華々しく報道しておきながら,翌日,急にトーンダウンした件。この報道は「誤報」とまではいえないものだったかもしれないが,少なくともスクープ報道の直後,朝日新聞は何かに気がつき,口を閉ざしたに違いない。3日後の「(懐妊は)明確に断言できる段階ではない」との宮内庁の発表まで,誤報の可能性があること,現在詳細を確認中との旨を明確にすべきだったのではないだろうか。

 また,本書でも取り上げられている「松戸OL殺人事件」とは,19歳の信用組合職員の殺害事件(1974年)で容疑者として逮捕された小野悦男が,一審の無期懲役の判決から,1991年4月のニ審では人権派の弁護士の活躍などで無罪を勝ち取り,「冤罪のヒーロー」として祭り上げられ,各マスコミが大々的に「おわび」「訂正」したことを示す。ところが,小野容疑者は,後日,幼女誘拐殺人未遂,また首なし女性の焼死体についても殺人容疑で逮捕され,無期懲役が確定している。
 当初の松戸OL殺人事件について,人権派弁護士は「冤罪だったのだから誤報」という指摘を未だに繰り返しているようだが,この事件はむしろ裁判,報道の限界を示しているようで興味深い。

 昨今,インターネット上のニュースサイトで通信社の生の報道に触れられるようになったため,ときに大手新聞の記事がそれに“妙に”手を加えていることがわかるようにもなった。たとえば,ごくまれながら,生の報道では
 「○○の○○がいついつ,AはBであると語った」
だったものが,前半が消え,
 「いついつ,AはBであることが明らかになった」
に書き換わっているということがある。よしんば前者が事実であっても,後者は事実とは限らない。のちにAはBでないことが明らかになったとき,前者は(報道において全く責任がないわけではないものの)誤報ではないが,後者は明らかに誤報となる。

(つづく)

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