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2001/04/03

[雑談] ホラー小説と映像

 昨今の作家は,作品をものする際にはたしてどれほど映像化(映画化)を意識しているのか……。そういう問題について,ホラー作家の多くにとって,彼らが怖がり,熱狂した「ホラー」の原体験はいずれも映像だったのではないか,ということを考えてみた。

 誰かが「東京湾に巨大恐竜が出現して暴れるが,天才科学者が苦悶の末,彼の研究成果を……」とかいう小説を書こうとしたとき,いかに内容に純文学的な表現やテーマを盛り込もうとしても,東宝怪獣映画的な描き方にしかならないのではないか,いってみればそういうことである(たとえば,フランスの心理小説や中国の歴史モノのような書き方は不可能ではないはずなのに,誰もそうは書かない,書けないだろう)。

※そもそも,東宝怪獣映画は,スタッフがその少し前に手がけていた戦争映画のノウハウ,セリフ回しを抜きには語れない。

※逆に,原民喜の『夏の花』『心願の国』や井伏鱒二『黒い雨』のようなゴジラ小説もまた魅力的かもしれない。

 トマス・ハリスも,映像について,出世作『ブラック・サンデー』当時から多少その気味はあったような気はする。彼は綿密な調査と硬派の文章力を持ち合わせた小説家ではあるけれど,それと同時にかなりの映画好きなのではないだろうか。
 彼の作品には,映像化できない場面というのはあまりない……というより,『ハンニバル』にいたっては映画用の絵コンテをテキスト化したような感さえある。少なくとも,彼がモノカキになりたい,と思うにいたった最初の一撃は,ゲーテとかボードレールとかではなかっただろう。また,彼にとってのフィレンツェは,いかに登場人物に薀蓄を語らせようと,古典の中の花と権謀術数の都市ではなく,いかにもなアクション映画の舞台にしか見えない。

 「ホラー」に限定すれば,どれほど映像的でも別にかまわないのだが,個人的な好みでいえば,「本」で読むならば,食人鬼が出てきてがつがつ死体を食べるシーンの連続するホラー小説より,「死体の一部が損傷していた。いったい,誰が何のために……」という謎が提示されたまま,登場人物が(誰のしわざ?)(まさか,この傷は……)と惑ううちに幕,といった薄ら寒い作品を読みたい気がする。もちろん,よい出来で,という前提はあるのだが。

 また,20年後のわが国の作家の傾向を想像すると,無意識に格闘ゲームやRPG,コロコロコミックの影響が現れるのではないだろうか(角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫,徳間デュアル文庫等収録の作品のことではない。それらは,自覚しつつRPGを取り入れて書かれている。ここで言うのは,純文学っぽい恋愛小説や,シリアスな経済小説に,ドラクエやFF,ミニ四駆,遊戯王カードの影響が……という話である)。

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