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2001年3月の18件の記事

2001/03/29

『雪の峠・剣の舞』 岩明 均 / 講談社KCデラックス

Nimg5883【それは 悪しゅうござる】

 『風子のいる店』『寄生獣』『七夕の国』の岩明均の新刊。初の歴史作品集でもある。

 大雑把に紹介すると,『雪の峠』は関ヶ原の合戦後,西軍についた常陸の佐竹氏が東北に転封され,そこに城を築くまでの新旧の家臣たちの葛藤を描く中篇。『剣の舞』は村を襲った侍たちに親兄弟を殺され自らもなぶりものになった少女ハルナが疋田文五郎(新陰流の創始者・上泉信綱の弟子)に剣を学び,復讐を果たそうとする話。
 いずれも,地味ながら実によい味に仕上がっている。後者は少しウェットに流れる気味があるが,前者の淡々としているようで濃密な知恵合戦,後者の文五郎の冴えた存在感,池波正太郎あたりが原作を書いていてもおかしくない印象だ。

 岩明均については,評価が二分というか,とくに代表作の『寄生獣』について永井豪『デビルマン』の亜流という見方があるらしい。確かに,人類に敵対する存在を体内に取り込んだ主人公が人類とその敵とのはざまで孤独な戦いを強いられるという設定は似ているが……亜流とまで見下すのはどうか。描かれた世界観は「洗濯物をたたんで重ねる」のと「たたんだ洗濯物を蹴飛ばして散らす」くらい違うように思う。あるいは「神が死んだ」と騒ぐのと「神なんていないのだがさてどうしよう」と考える違い。どちらがどう,については今はおこう。

 ただ,岩明という作家が,他人の作品からインスピレーションを得,それをとくに隠し立てするつもりのないことは明らかで,オリジナルの設定で大向こうをうならせる,という作業には向いていないのかもしれない。
 その意味で,現代を舞台としたSFでありながら時代考証的雰囲気を取り入れた『七夕の国』はよい経験になったのではないか。時代小説では,信長だの家康だの柳生一族だの,実在の人物や逸話を元に話をふくらませても盗作,剽窃と言われる心配はないのである。

 今回まとめられた『剣の舞』においても,時代小説のみならず,小山ゆうの女剣客もの『あずみ』からの影響は隠しようがない。
 小山はさいとうたかを,岩明は上村一夫という全く異なる大物のアシスタントとしてスタートしながら,この2人の作風というか透明度が(陽陰の違いはあれど)驚くほど似ていることに今回驚かされた。人の心や痛みを描きながらどこか突き放した距離感,それゆえにギャグと同じタッチで淡々と描かれる残虐シーン,一種抽象的なまでのクライマックスの高揚。
 たとえば,重要な登場人物がパラサイトやあずみに殺される場面を想像していただきたい。鋭い刃風で腕を切り落とされて「おっ」と言いながら手首から先のない自分の腕を見るときの「ほう,よい切れ味だな」「見事な剣技だ」「なるほど腕の断面はこうなっているのか」などがないまぜになり,自分の腕が切られたこと,己がまもなく殺されることを失念したような風情。そんなものを描けるのは小山と岩明の2人だけと思うがどうか。
 いずれ(『あずみ』の連載がまとまったら),両者の違いについてきちんと検討してみたい。

 とにかく,歴史マンガに小さな,しかし確かな新しい可能性を感じさせる『雪の峠・剣の舞』,どうかご一読願いたい。

 ……それにしても,岩明均の発表の場はどんどんマイナーな雑誌に移っていく。
 『雪の峠』モーニングマグナム増刊(講談社)
 『剣の舞』ヤングチャンピオン(秋田書店)
 そして新連載『ヘウレーカ』がヤングアニマル増刊“嵐”(白泉社)……。
 なにか,問題でもあるのだろうか?

2001/03/27

『WWW激裏情報』 激裏情報,にらけらハウス / 三才ブックス

Nimg5795【UG】

 少し前に,『ロシアは今日も荒れ模様』を例に米原万里という通訳,エッセイストの本から漂う胡散臭さについて簡単に取り上げた。
 実際のところはロシアの高官,民衆の実態についてそこそこ参考になる本であり,「いけ好かないインテリゲンチャ」とまで言われるほど(言ったのはおめーだ > 烏丸)悪い本ではない。奨めもしないけれど。

 しかし,それだけ一方を貶めるなら,どういう本ならいいのよ,という例を挙げなければ片手落ちだろう。なに,「片手落ち」は差別用語だから使用を控えたほうがよろしい? なるほど,ごもっとも。だが,そういうことが気になる方は以下は読まないほうがよろしい。それどころではない少々エグめの話題である。

 米原万里については「日本側の外交官や企業の役職者に同行し,ロシア側の高官を相手にする著者には,苦労がないとは言わないが,食前酒をなめなめテラスから民衆を描く趣」と述べた。それに対し,同じ笑いをとるにしても,もっと性根の座った,アンダーグラウンドで命がけな姿勢を評価するのはイカにもまっタコ自然の理(ことわり)である。ここで不肖宮嶋こと宮嶋茂樹やサイバラこと西原理恵子を挙げるのは順当といえば順当の雨の中0-5だが(うぅっ……),彼らの著作についてはすでにネット上でも再三紹介されており,まあ言ってしまえば今さら珍しくもない。
 そこで本日は,ロシアならぬ某国の某人物を題材とし,非常にユニークかつトンガッた作品をWeb上で発表し続け,大手新聞紙上でも紹介されながらこれまで主だった出版社が尻ごみして最近まで単行本に恵まれなかった「にらけらハウスっ!」を紹介したい。

 どうぞ各人でこっそりアクセスし,とくに「GO!GO!正日君(不定期連載中)」(どこの誰をおちょくってるのか,もろばれやんけ)全43話をご覧いただきたい。米原万里の「お笑い」とやらがいかにチョコザイな,インテリのお遊びに過ぎないかご理解いただけるのではないか。にらけらハウスのこの傾き(かぶき)ぶり,花の慶二も草葉の陰からちょもらんまであろう。

 にらけらハウスは,にらとけらの夫婦ユニットだが,その画力,表現力は
   GO!GO!正日君特別編 南侵
   GO!GO!正日君特別編 やわらかな秋の日差しの中で
   GO!GO!正日君特別編 おばあちゃん
の3つの特別編だけ見ても明らかである。カラスがこう言っても説得力がないかもしれないが,「やわらかな秋の日差しの中で」「おばあちゃん」には,一読後,鳥肌が立ち,しかるのち感涙にかきくれたものだ。
 ただし,いきなりこの3編だけ読んでも登場キャラが把握できないだろうから,やはり「GO!GO!正日君」には順に目を通しておいていただきたい。

 『WWW激裏情報』はそんなにらけらハウスの初の単行本である。ただし,激裏情報(これは著者名,というかハンドル)との共著。内容は,
   爆発物/危険物
   交通違反
   パチンコ
   公衆電話
   工学系馬券師講座
   ドラッグ
   クレジットカード
   消費者金融
   保険金
   クラッキング
   おまけ
   逮捕日記
といったかなりキナクサイを通り越してコゲクサめのアンダーグラウンド情報。さすがは「ラジオライフ」の三才ブックス,ということで,わかる人だけわかればよろしい。

2001/03/26

『リング』 鈴木光司 / 角川ホラー文庫

Nimg5744【やはり,ボクシングのビデオだと思ってました】

 怖い怖い本当に怖いと「本の雑誌」で紹介されているのを見て以来,90年代ホラーのスタンダードとして読まないわけにはいくまい,と思いつつ,なんとなく手にしてなかった本書であるが,思うところあってようやく読むことができた。

 思うところ,といってもたいしたことではない。池田雅之訳編による小泉八雲怪談集『おとぎの国の妖精たち』(社会思想社現代教養文庫)をぱらぱらめくっていたら「怪談」に収録された「お貞の話」という生まれ変わりについての話があって,『リング』の主人公が「貞子」というやや古風な名前であるということくらいは聞いていたので,鈴木光司がなんらかの意味でこの「お貞」を,パクるとは言わないまでも一種のオマージュとして『リング』を書いたのかどうか,そのへんが気になったからである。

 結論としては,よくわからなかった。ちなみにハーンの「お貞の話」は英題では"The Story of O-Tei"だそうで,「貞子」とは別段関係ないのだろう。

 さて,『リング』であるが,これが,驚くほどにちっとも怖くなかった。小松左京あたりがショートショートで書いていたら着想の妙に感心しただろうに,といった印象である。エグい本は嫌いではないが,人並みに怖いものは怖いほうだし,ホラー小説でこれほどまでに徹頭徹尾怖くないのはなぜだろう。

 なぜほかの読者は怖い怖いと騒ぎ,自分はちっとも怖くないのか。烏丸の背筋に電流が走った。……まさか,という思いでその閃きを一旦脳裏から消したが,『リング』の文庫本をひっくり返したとき,瞬間に流れた電流は確信に変わっていた。『リング』の文庫本の裏にはブックオフの値段シールが貼ってあった……(わかるかなー?)。

2001/03/24

消えたマンガ家 その五 『おしおきしちゃうから!』 岩館真理子 / 集英社マーガレット・コミックス

Nimg5656【ほんとは きこえてた……】

 烏丸世界ツアーより,通常モードに戻る(ああ,照れくさかった)。

 ところで,もちろん岩館真理子は消えたりはしていない。現在もレディスコミック誌上でもの憂くもふくれっつらのキャラは健在である。大島弓子ばりの心理ドラマとしての評価も高い。しかし,クラスメートと過ごす時間のように心から楽しめたB級学園ラブコメの岩館真理子は──もういない。

 単行本第1冊めにあたる本作『おしおきしちゃうから!』も,あらすじを紹介するのが馬鹿馬鹿しくなるようなお話ではある。主人公の小室ちとせはハンサムな業平くんが好きなのに,弥生ひな子先生が現れてそれを邪魔してすったもんだ……。それに,他愛ないギャグがちりばめられる。
 そのギャグというのが,なにしろ
  「てぶくろの反対知ってる?」「ろ・く・ぶ・て…かな?」バンバンバンバン
とか,
  業平くんに美人の妻が! → いとこが「妻麗子」という名前だった。
といった程度なのである。それがすんなりおさまる展開,絵柄だったわけだ。

 また,当時の岩館真理子の連載には,連載ごとの小道具というかお楽しみがあって,たとえば『ふたりの童話』ではさまざまな恋占い,本作ではなぞなぞだった(その占いやなぞなぞにしても,別に岩館真理子のオリジナルというわけではなく,ラジオの深夜放送などで流行っていたものだったが)。

 さて,岩館真理子は週刊マーガレットで学園モノを多数連載したのち,レディスコミックに移る。
 あまり語られていないことだが,彼女の軌跡は実にわかりやすい。中高生を描き(『おしおきしちゃうから!』『初恋物語』など),卒業を描き(『ふたりの童話』『春がこっそり』など),大学生を描き(『グリーンハウスはどこですか?』『チャイ夢』など),主婦を描き(『えんじぇる』など)……つまり彼女は,デビュー以来,生真面目に自分の同世代を描き続けた,ということになる。OLモノが存外に少ないこと,夫婦を描いてもその多くが必ずなにかエキセントリックな,あるいは離婚した夫婦であったあたり,本当に正直に,自分の知っている世界を描き,知らない世界は描かなかったことがわかる。
 岩館真理子が,現在の作風にいたる気配を最初に見せたのは,北海道の下宿屋に現れた少し体の弱い女子学生を描いた『グリーンハウスはどこですか?』あたりからだったろうか。そのあたりから岩館真理子は,自分の所属する世界からではなく,内なる声に身を任せるようになる。ネームを読み返さない,という伝説の所以である。

 だから,『おしおきしちゃうから!』の岩館真理子は,もういない。
 彼女は今も高校生や大学生の登場人物を描き続けてはいる。しかし,自分がリアルタイムにどっぷり所属する世界と,時間の半透明な壁を通して見る世界とは違う。
 およそ馬鹿馬鹿しい,文字通り「マンガ」としかいいようのない『おしおきしちゃうから!』には,あの,箸が転んでも笑って泣いた,描き手読み手の高校時代がこもっており,それはもうどこにもない。

 などと感傷にひたってもしょうがない,というわけで,ひな子先生にならって,なぞなぞを何問か。

(1) まま母殺しの毒薬の名前は?
(2) 鳴門海峡でおぼれた人をたすける薬は?
(3) 不二家のポコちゃんがお風呂に入っているペコちゃんをのぞいた。そのときペコちゃんなんていった?
(4) 4人家族の家にブラジャーが送られてきた。宛名は誰あて?
(5) 赤いコイと黒いコイが池で泳ぎの競争をした。勝ったのは?

2001/03/23

憧 憬

 
                (───に)

  きみに,見せたいものがある。それは
  小さな木の実で,天と地の涯てのベル
  ツイムというところでだけ手に入る。
  本当に小さな,小さな赤い木の実で,
  人びとはそれを口にするたびにうまい
  と言うのだ。
 

2001/03/22

カゴメ

 
  さっきまで坂のくだりで鬼から逃げて笑っていた
  子どもたちが
  今はしゃがんで歌っている
  甘やかな輪 をえがき

  その輪の中で
  妻は一人
  目をおさえて泣き出してしまったのだ
 

2001/03/21

アビシニア

 
  祭りの渦を抜けて
  薔薇色の髪飾りをつけたまま眠りました
  あれはわたしでした 愛しい人よ
  あなたのそばで踊っていた
  あの舞姫はわたしだったのです
 

2001/03/20

ラビロウ村の倒錯

 
  永い 永いいつわりの時が熔けて。
  ラビロウの屋敷にライラックの花が揺れる日。
  エピィ おまえは白い花嫁になる。
  十六年経ったら本当のことを言うから
  本当のことがわかるからエピィ
  でも今はむり とても言えそうもない
  今は金貨を待っていよう
  それから虹屋で一杯ひっかけてこよう
  エピィお幸せに
  どうかエピィお幸せに
  少しおかしいって? いいやなんでもない
  ちょっと酔ってるだけぼくを
  笑わないでぼくに
  驚かないでほんの少し今日は
  酔っているだけなんだから。

  その昔この村には寂しい男がいた。
  それから嘘つきが一人。
  おまえの父親と エピィ
  エピィ エピィ このぼくと。

  酔ってるだけ酔ってるだけ酔 っているだけ
  泣いてなんかいないほら笑ってるだろ
  エピィそんなにのぞきこまないでぼくを
  笑わないでぼくに
  苦しまないでぼくの
  エピィ今日はよいお天気。
  今日は本当によいお天気。
  花盛りのラビロウ村。
  結婚式。
  エピィ。
 

2001/03/19

舞 姫

 
  ぺるしあの酒は強い
  我々は酔うて沙場に臥していた
  もるぎあなお前は
  何を想うておるのか
  何時まで
  さうして踊つているのか
  皆が眠つてしまつたあとも
  もるぎあなお前は
  一人舞う炎が照らす薄絹の
  紅切れと一振りの短剣指に絡ませ
  鈴の瞳幼さの火照る頬
  あらべすくの刺繍の隠す小さな胸が
  踊る
  踊るもるぎあなお前は
  何を想うておるのか
  何時まで
  さうして踊つているのか
  砂漠の夜は静かなので
  舞姫の想いは熔けることがない
  もるぎあな踊る
  ぺるしあの酒は苦い
 

2001/03/18

そしてごらん今は

 
  そしてごらん今は
  冬
  花も獣も蜜蜂の羽音も
  暗い土の奥底深く眠って
  枯れ草の残り香さえ絶えてしまった
  だけどごらん風が
  優しく
  おまえの肩に触れる
  淡い緑の芽にこがれて
  土を見つめて首をかしげるひとよ
  どうかごらんぼくの
  生命が弧を描いておまえの空を飛んでいる
  夢なのね
  とおまえは風にささやいた(もう一度)
  夢なのよ
  (夢ではない)
  ああそのかぼそい声の陰影に
  ぼくの生命が揺れる
  揺れる
  (夢なはずがない)
  だからごらんやがて
  ひと朝の雪解け水の甘さに
  ぼくは芽生えうたうだろう
  おまえの目のもと
  揺るぎないウクライナの黒土のうえに
  だからごらん今は
  冬
  だけれどもおまえの胸にはほうら
  ふるえるものが宿りはじめる
  ふるえるものが宿りはじめる
 

2001/03/17

抱 擁

 
  抱きしめるということ。
  ひたすら抱きしめる ということ。
  この両腕をそのしなやかな背にからませ
  二度と放しはしないということ。
  はなればなれな有りようを押し合わせ
  うめくまで強く
  きつく しめあげるということ。
  具体的に 女は かならずセエタアを着ていること。
  顔の
  とくに左半分を相手の胸に押しつけること。
  頬に 熱く激しい鼓動を
  額に 乱れた息のしめりけを
  髪に まさぐる
  冷たくとがった白い指を感じるということ。
  そして何より おのれの腕の中に
  こわれそうな胸をつなぎとめること。
  叫ぶより
  泣くより
  抱きしめるということ。
  ひたすら 抱きしめるということ。
  二人そのまま
  石
  になってしまう
  抱きしめるということ。
 

2001/03/16

夢裁判

 
  少女A,ある日少年Bを告訴します。
  無断でわたしのこと,夢に見るなんて酷いわ
  肖像権の侵害よ,基本的人権の冒涜だわ
  と,いうのです。
  少年B,腹を立てます。
  逆に提訴の申し立て。
  ぼくの夢に勝手に出てきたのは君のほうじゃないか
  不法侵入罪の適用がなされるべきだ
  と,いうのです。
  喧々囂々裁判は長引きます。
  少女Aやがてふっくら美しい娘となります
  少年Bいつの間にか,たくましい青年になってしまいました。
  今日は新任の裁判長のやってくる日
  裁判長,長女の三つの誕生日なので早く帰りたい
  そこで早々に決着をつけることにしました。
  コンコン,静粛に!
  判決を下す!
  少女A,少年B,二人の罪はともに重く許しがたい
  よって二人とも無期懲役の刑を課す
  死ぬまで互いの手を放さず
  一生しっかり見つめ合うこと!
  閉廷!
  花吹雪舞い散る中
  第一書記ここに記します。
 

2001/03/15

消えたマンガ家 その四 『ヴィクトローラきこゆ』 三岸せいこ / 集英社ぶ~けコミックス

Nimg5354【失意や絶望 愛 もしくは罪によって……】

 笈川かおる,耕野裕子,内田善美,上座理保,水樹和佳,吉野朔実。少し遅れて清原なつの,逢坂みえこ。

 ぶ~けが大好きだった。少女マンガとしては「抑えが効いてる」印象が強く,当時のあわただしく先の読めない日々に,とても好もしく思われたものだ。

 三岸せいこはりぼんデラックスでデビュー,のちにぶ~けに移り,短編集『ヴィクトローラきこゆ』『夢みる星にふる雨は…』,そしてそれらに収まらなかった短編『ドーンを待ちながら』だけを残して消えてしまったマンガ家である。

 先に『白いトロイカ』を紹介したテキストの中で,1960年代のマンガは著作権に呑気だった,というようなことを書いた。これは必ずしも,1970年代以降のマンガがコピーライトに厳格だった,という意味ではない。
 古都シランで行われる西側の経済会議に向かったレーゼンビージュニアは,森の中をたまのりして歩く娘に気を取られて事故を起こしてしまう。目覚めたとき,古都シランは,古風なドレスを着てゆっくりと道をゆきかう奇妙な人々にあふれていた……。三岸せいこの代表作の1つ,『ヴィクトローラきこゆ』も,設定のオリジナリティという意味ではかなり怪しい。パクりもとは,1960年代の映画『まぼろしの市街戦』,戦場の爆弾の仕掛けられた村に精神病院の患者だけが残され,奇妙な世界が展開する……設定だけ見るとまったく同じである。「ある映画のワン・シーンを再現したくて」と当人が書いているくらいで,イメージのコアを得た,本歌取り,というには無理があるだろう。
 しかも,パクっているのは映画だけではない。過去の記憶がさざなみのようによみがえるシーンは大島弓子,奇妙な人々の繰り広げるドタバタは萩尾望都,登場人物が愛に気づいたシーンの点描は名香智子……。要するに1970年代に少女マンガの可能性を押し開いた24年組のいいとこ取りである。

 だが,亜流だから安心できる,亜流だからなごむ,そういうことだってある。三岸せいこの作品が,ある種のいたみに対して治療効果がある,それはまぎれもない事実である。

 霧雨のように降りしきる過去の中にまどろむ主人公。過去が現在に復讐し,未来が過去を祝福する。大半の作品が,最後には過去の切なく暗い夢を振り払い,主人公がリアルな世界に歩み出すことで幕を閉じる。繰り返し,繰り返し,提供される主旋律。
 つまりこれは,少女マンガが,白馬の王子を待つおとぎ噺からリアルな恋と性と生活のレポートに変わる端境期の苦心の作であり,その意味でこの作者は消えるべくして消えたのかもしれない。

 …………あーっ,ダメだダメだ。3日間,何度か書き直してみたけれど,どうしてもうまくまとまらない。
 あと,書き残したこととして,あれですね,大島弓子の(とくにバナナブレッドより前の)ファンの方は,ぜひ三岸せいこの作品集を手に入れてご覧ください。パクられた大島弓子の技法について,逆にさまざまな発見を得られるかもしれません。
 というわけで,2~3割の出来だけど,もういい。アップしちゃおう。

(2017年6月30日追記)
下はぶ~けデラックス1982年9月10日号に掲載された「ドーンをまちながら」です。
久しぶりに読んでみましたが、昔と変わらず、楽しく、切ない。なぜこれを描ける人がペンを片づけてしまえるのか、さっぱりわからない。本当に、惜しい。
Photo_4


2001/03/11

消えたマンガ家 その三 『白いトロイカ』 水野英子 / 白泉社

Nimg5219【Golden Years】

 振り向くと,そこに微笑むのは追っ手に撃たれ死んだとばかり思っていた愛しい青年。乙女は「おお」と瞳をうるませてその胸に飛び込む……。

 第二次大戦終結後,アメリカの属国として,その風俗習慣からファッション,音楽まで,追いに追ったこの極東の植民地だが,どうしても取り込むことのできなかったものの1つがそういったボディランゲージだ。
 そんなバタくさいシーンを最も自然に,最も流麗に描いたマンガ家,それが水野英子(みずのひでこ)である。

 『白いトロイカ』は,少女マンガ勃興期に活躍した水野英子の代表作の1つ。なにしろ週刊マーガレットが創刊されたのがケネディ暗殺と同じ1963年,その翌年,東海道新幹線開通,東京オリンピック開催の直後に連載が開始された作品である。

 19世紀初頭のロシア,農奴の夫婦に育てられたロザリンダは,かつて皇帝に刃向かって殺された貴族と歌姫の間に生まれた娘だった。彼女はコザックの若者と知り合い,たまたま地主のもとを訪れていた音楽教師に母親譲りの歌の才能を認められ,コザックやジプシーたちに助けられて首都・ペテルブルグに向かう。そこで知り合った青年貴族は皇帝の圧政に反乱を起こそうと……。
 というわけで,久しぶりに読み返してみたが,30年以上昔の作品とは思えないほどテンポがよく,とても単行本2冊分に収まっている話とは思えない。波乱万丈,絢爛豪華,疾風怒濤,さりとて複雑に過ぎるわけでもなく,登場人物の描き分けも清濁,ギャグを交えて豊饒だ。
 要するに,質の高い映画に近いのである。

 週刊誌の登場とともに伸び盛りだった1960年代のマンガは,著作権についての意識がノンシャランだった時代背景,編集方針もあって,スポンジが水を吸収するように貪欲にあらゆる既存のメディアのよい面を取り込んでいった。水野英子にしても『すてきなコーラ』で映画『麗しのサブリナ』をまるまるパクるなど,現在から見れば問題だろうが,ストーリー,描写ともに大胆に映画の魅力を取り入れている。本作も,もととなった映画はあったかもしれない。しかし,水野英子以外のいったい誰が映画をここまでマンガに昇華できるというのか。その描線のしなやかな美しさ,キャラクターの魅力は,今なお鮮烈で,読み返すたびに衝撃を受ける。

 水野英子は女性ながら(短期間ではあるが)石森章太郎,赤塚不二夫らとともにトキワ荘に暮らしたことでも知られている。ただ,1969年にロックと狂気を描いた『ファイヤー!』で創作の1つの頂点を極め,その後はほとんど作品を発表していない。
 主人公の「歌」の魅力を追い求める旅路がそのまま「自由」への希求であること,そんな主人公を権力システムから外れた人々(コザック,ジプシー,ヒッピー等)が助けることなど,『ファイヤー!』と『白いトロイカ』には共通点が少なくない。この「歌」を「マンガ」に置き換えて作者の思いを読むのは簡単だ。だが,ロザリンダは歌劇場の歌姫より自然の中での生活を選び,アロンは他人は魅了するものの,ついに自分の歌を見つけ出すことができない。

 現在,水野英子がどうしているのかは知らないし,新しい作品を描こうとしているのかいないのか,描くべきか否かもわからない。
 しかし,ときどき復刻される『ファイヤー!』を除く彼女の作品の大半が絶版で手に入らないというのは問題だ。惜しい,のではなく,問題,なのである。

2001/03/09

消えたマンガ家 そのニ 『陽だまりの風景』 阿保美代 / 講談社コミックスフレンド

Photo【あれは 天使が まいごの 子ねこを さがしている ロウソクの灯】

 マーガレットで桂むつみが連載を続けていたのとほぼ同じ時代,ライバル誌の少女フレンドでファンタジックメルヘンのページを担当していたのがこの阿保美代。
 1980年ごろ,週刊少女フレンド,別冊少女フレンドに,4ページから,せいぜい10ページ程度の,少し物悲しいイラストストーリーが載っていたことをご記憶の方も多いのではないかと思う。

 阿保美代は「あぼみよ」と読む。昭和30年3月3日生まれ,魚座・B型。身長154cm,体重52kg。青森市出身,日大芸術学部映画学科卒業。……これは作品集『ルフラン』(東京三世社)に手書き文字で書いていたプロフィールだが,少女マンガ家でこれほど詳細に答えている例はあまり記憶にない(だからなに,ということはないけれど)。

 彼女の作品の登場人物は,母親を失った子供だったり,恋人と別れた青年だったり,一人静かに列車を待つ駅長だったり……。
 子ねこを見失った少年が(実は子ねこは事故に遭って死んでしまっているのだ),星でいっぱいの夜空に天使が子ねこを連れていくさまを夢見る,とか,まあそういったお話。
 大半は少女誌向け砂糖菓子,としか言いようのない甘やかなメルヘンだが,ときにサイダー程度には酸味の効いたショートショートになっていることもある。
 あくまで「マンガ」としてのコマ割り,セリフ,ストーリー展開に力点を置いた桂むつみに比べ,夜空,雨,雪を描いた大ゴマに代表される阿保の絵柄は装飾的で,イラストレーション的味わいが濃い。もっとも,その1コマを切り抜いて額縁に入れるのは無理があって,そのあたりがマンガの不思議なところだ。

 代表作の1つとおぼしき「緑のことば」(『くずの葉だより』収録)では,公園で雨に遭った青年が,雨やどりしながらオーボエを演奏する。通りがかった乙女が,大きな木にもたれて雨の音,枝々のざわめき,オーボエの音色に耳を澄ます。演奏を終えた青年が声をかけようとすると乙女は走り去っていってしまう。彼女は耳が不自由だったのだ。

 と,言葉で説明しても,吹き出しも擬音もないたった6ページのこの作品(ハッピーエンドである,念のため)について何一つ伝えられないような気がする。

 不思議なのは,作品にもよっては,描画のタッチが『ガラス玉』の岡田史子に似ていることだ。ベタで塗りつぶされた青年の目,うねうねと情感をみなぎらせる少女の髪,風景でなく心象を語る樹木,などなど。
 似ているからといってどうということもないのだが,なんとなく岡田作品,阿保作品に「象徴主義」というレッテルを割り振ってみたくなるわけだ,これが。もちろん,2人の作風はボードレールとベルレーヌくらい違うわけなんだけれども。

 ちなみに阿保美代はこの10年ほど見かけなかったのだが,最近,講談社ソフィア・ブックスから『マンガ二人でつくる基本料理がいきなりおいしくできる本』を重金碩之の原作付きで発表している。消えてしまったわけではなかったようだ。

2001/03/08

消えたマンガ家 その一 『みるくパステル文庫』 桂むつみ / 集英社マーガレット・コミックス

Nimg5139【あれから もう3年】

 有吉京子『SWAN -白鳥-』,池田理代子『オルフェウスの窓』,山本鈴美香『エースをねらえ!』,岩館真理子,塩森惠子,柴田あや子,川崎苑子,弓月光等々。こう並べただけで,おわかりになる方には「ああ,そう! あのころ!」と手を打つような……正確な部数などは知らないが,集英社・週刊マーガレットが活力にあふれていた1970年代。そのマーガレットに,毎号,必ず見受けられる,独特な,縦より横に長い顔のマンガがあった。桂むつみの作品である。

 桂むつみの単行本は決して多くはない。

  街角のメルヘン(1978年5月20日)
  初恋初雪(1978年12月20日)
  みるくパステル文庫(1980年12月25日)
  月のひとしずく[1](1981年5月30日)
  月のひとしずく[2](1981年6月30日)
  うそでしょオ?(1982年1月30日)
  センチメンタル(1983年5月30日)

これですべて。全部。作品の発表時期も,1977年から1982年の,おおよそ5年間に限られている。

 作風は,タイトルが物語るように,「メルヘン」「初恋」「パステル」「センチメンタル」。
 「鼻ペチャ ド近眼 寸たらず」(街角のメルヘン)かつドジでグズな女の子が,神戸とおぼしきオシャレな街角で背の高い若者と出会い,そして……というお話。

 正直言って,これらの作品,連載当時は苦手,というか眼中になかった。「りぼん」「なかよし」よりやや高い年齢を対象にした週刊マーガレットで,夢見がちな若年層をカバーする,そんな気配が絵柄からも濃厚で,まあ言ってみれば一人「詩とメルヘン」パートをまかなっている,そう見えたものだ。

 しかし,プロはそれほど単純なものではない。
 たとえばマイフェーバリットな1冊,『みるくパステル文庫』を見てみよう。小次郎先輩にあこがれて演劇部に入った主人公・森田くるみは,せっかくめぐってきたオフィーリアの役で舞台で転んでしまう。おまけに仕送りを使い果たし,そうこうするうちに,小次郎のライバル・ムサシ率いる落研のハナになってしまう。小次郎への告白はほかの少女に先を越され,ムサシには似合いの恋人がいて……。

 「メルヘン」「初恋」「パステル」「センチメンタル」のてんこ盛りだ。しかし,それで説明しきれないものが1つだけある。それが「時間」だ。いや,桂むつみ作品の底にずっと流れるメインテーマはこの「時の流れ」か,とさえ思われる。人を引き離し,人をいやし,また人を引き離す,時。

 だから,一見おとめちっくなファンタジーに見えて『みるくパステル文庫』には意外なほど救いがない。けなげさは報われず,優しさは空回りする。
 甘すぎるケーキのようなハッピーエンドの代わりに,作者は「あなたのお気に召すままに」とのメッセージで物語を閉ざす。その階段のシーンに風船を手放してしまう子供を描く,なんという巧さ。

 そして,作者自身,最後の『センチメンタル』でほんの少し絵柄を変え,時の向こうに消えてしまう。それ以上描くことができなかったのか,描く必要がなくなったのか。後者であれかしと祈る。

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 ……というわけで,「本の中の名画たち」は少しおいて(読み終え,表紙をスキャン済みの本はすでにたくさんあるのだが,どのように紹介するかで少々煮詰まってしまった),消えたマンガ家についてしばらく考えてみよう。リクエストがありましたら,できうる限りお応えしたいと思います。

2001/03/05

『ロシアは今日も荒れ模様』 米原万里 / 講談社文庫

Nimg5021【ニホンはロシアを笑えるか?】

 著者・米原万里は芸名からも明らかなように,海原千里・万里の弟子である。……もちろんウソだ。しかし,担当編集者の心のどこかにも,その寒いギャグはあったのではないか。腹帯は「笑うっきゃないあの国の秘密を暴く! ゴルビーもエリツィンも愛しくなる。下ネタも裏話もぜーんぶ実話!」である。背表紙の惹句は「過激さとズボラさ,天使と悪魔が共に棲む国を鋭い筆致で暴き出す爆笑エッセイ」である。

 しかし,笑えない。釈然としない。

 第一に,著者はロシア語の通訳として長年活躍し,その仕事を通して知り合ったロシアの民衆や,ゴルバチョフ,エリツィンらの言動をエッセイとしてまとめているわけだが……職業倫理的に問題はないのだろうか。もちろん,そのあたりをまるで考慮していないわけではなく,たとえばエリツィンの側近が暴露本で著した事実を追認するような形でエピソードを語ったりはしている。しかし……それは,著名人の手術を担当した外科医が,「週刊誌に病名が載ったのだから自分も喋ってよいだろう」というのに近くないか。

 第ニに,描かれたロシア人の悲喜こもごものエピソードは,冒頭のとことんなウォッカ話から酔っ払って失敗に終わったクーデター,そしてソビエト連邦崩壊後のどたばたまで,なるほど1つ1つ興味深く,可笑しい。しかし,1つの大国が酒で持ち崩し,体制が崩壊し,貧困と民族対立の中に泥船として沈没していくさまのどこが「爆笑エッセイ」なのか。
 同じロシア周辺の民族紛争を描くにしても,自ら戦渦の真っ只中に飛び込み,壮絶な笑いを誘う宮嶋茂樹に比べて,どうか。また,ロシアの,党や書記長をコケにする小噺のビターな魅力は,密告の危険の裏返しだからこそではないか。それに比べて,おそらく日本側の外交官や企業の役職者に同行し,ロシア側の高官を相手にする著者には,苦労がないとは言わないが,食前酒をなめなめテラスから民衆を描く趣はないだろうか。

 というようなことを著者の「いけ好かないインテリゲンチャ」な印象だけで書くのはさすがに失礼。もう少し丁寧に読んできちんと立証しようかと思ったところ,知人の『ガセネッタ&シモネッタ』評を拝聴して,なんとなく「ほかの本もそうか」と脱力,気分がヘナヘナとなえてしまった。

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 てなわけでこの1週間は,『ハンニバル』(トマス・ハリス)を読んだり,『陰陽師 付喪神ノ巻』(夢枕獏)を読んだ勢いで今昔物語(といっても対訳付き)をぱらぱらめくったり,『ゼロ』(里見桂)の新刊を読んだり,『金融迷走の10年』(日本経済新聞社編)にうなったり,と,読書的には充実していながら書評をアップすることができず,これ皆先週の果報なりとなむ,語り伝へたるとや。

2001/03/01

『フリーマントルの恐怖劇場』 フリーマントル / 新潮文庫

Nimg4882【エルスペスはいやだって】

 今週は『消されかけた男』はじめブライアン・フリーマントルの作品を何冊か手にする烏丸である。しかし,本筋のチャーリー・マフィンものを何冊か読んだところで,つい傍流の短編集に手を伸ばしてしまうのが烏丸の悪い癖。まずはタイトルにひかれて『屍泥棒 プロファイリング・シリーズ』,ついでこの『恐怖劇場』。

 本書は,なんというか,功成り名遂げた大物ポップミュージシャンが,かつて慣れ親しんだオールディーズをリメイクしてアルバムを1枚こしらえた,そんな感じだろうか。内容はかなりオーソドックスな「怪談」である。
 もちろん,怪談といっても,作者自身述べている通り,目に見えない“東洋的魂魄”ではなく,人間の姿をもった“西洋的ゴースト”のほうである。同じ幽霊でも足があるし,どすんとドアを閉め,人にたたれば皮をはぎ,腹を裂く。
 東欧の村に伝わる領主の呪いを描いた「森」,英国の名家を舞台にした悲劇「ウェディング・ゲーム」のような正統派の怪談から,霊界との通信で株の動向をはかる「インサイダー取引」,作者得意のスパイを主人公とし,苦笑いを誘う「魂を探せ」など,全12話はバラエティに富み,気分転換にはうってつけ,逆にいえば別にフリーマントルでなくともよさそうな,そんな作品群である。

 さて,それだけならことさら紹介するほどのこともないのだが,少し興味深く思ったのが収録作の1つ,「遊び友だち」だ。ブロードウェイで成功した夫婦が,ロード・アイランド州の古い家を別荘に買い求める。その家での生活は快適だったが,やがて子供たちが,その家に住むエルスペスという幼い友だちのことを口にするようになる。……

 どうやらこれは,英米の怪談の1つの鋳型らしい(SFにおける「冷たい方程式」のようなものか)。
 本棚から探してみた限りでも,
   ローズマリー・ティンパリイ「ハリー」(ハヤカワ文庫『幻想と怪奇(2)』収録)
   ジョン・コリア「ビールジーなんているもんか」(ハヤカワポケットミステリ『怪奇と幻想(2)』収録)
   A・M・バレイジ「遊び相手」(ハヤカワ文庫『ロアルド・ダールの幽霊物語』収録)
 これらはいずれも,古い家に越してきた子どもが,その家に住む子供と親しくなり(もちろん,大人たちにその子供の姿は見えない),最初は子供の空想と思われたものが,だんだん……という展開である。誰のどの作品を端緒とするのかはわからない。サキにも,この通りではないが似た設定の短編があるようだ。
 見えない子供は,たいてい,遠い昔,その家でなんらかの事故や病で死んでしまった子供で,悪意があるわけではないが,その家に越してきた子供たちを自分の側にとり込もうとする……。
 大人たちの反応はさまざまで,とくにバレイジの「遊び相手」は,従来の作品への鎮魂というか,一種逆手にとった結末で,冷たい清冽な水が心に流れるような思いにかられる。
 フリーマントルも,また,その鋳型に新しいバリエーションを加えようとしたのだろう。それが成功か失敗かといえば,さてどうか。 ←読み取り課題

 ところで,我が家の長男も,3歳から4歳にかけて,目に見えない友だちでなく,目に見えない「ぼくのニホン」についてときどき思い出したように口にしていた。もとより,国と市と家の区別もつきかねるような幼児のことで,他愛ない空想とわかっているのだが,ときに淡々と「ニュースだよ。ぼくのニホンで人がたくさん病気で死にました」などと言われると少々薄ら寒い思いをしたものである。

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