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2000年12月の24件の記事

2000/12/31

自己と非自己,寛容(トレランス)と非寛容(イントレランス) 『免疫学個人授業』 多田富雄,南伸坊 / 新潮文庫

Nimg3267【免疫と免税は同じ語源から】

 『生物学個人授業』に続く個人授業シリーズ第2弾。
 個人授業と言ってもフィンガー5ではないし,もちろんルノー・ベルレーでもない。元「ガロ」の編集長で現イラストレーター,エッセイストの南伸坊が生徒役で生物学,医学などの先生に受講し,理解したことを自分なりにまとめるというものである(雑誌「SINRA」に掲載)。
 今回の講師は東大医学部名誉教授,東京理科大生命科学研究所所長で免疫学の権威,多田富雄先生である。

 「免疫」とは「疫を免れる」と書くことから,一般には「病気を免れる体の仕組み」とされることが多い。「はしかに一度かかると,一生はしかにはかからない」といった経験的な知識,それを応用したジェンナーの種痘(牛の天然痘にかかると天然痘にかからない。雄牛のことをラテン語でvaccaということからvaccine(ワクチン)という言葉ができた),さらには細菌の発見に伴なうパスツールの狂犬病ワクチンの開発……そういった医学の系譜である。
 文字数の都合で詳細は端折るが,次いで起こった歴史的発見の1つがほんの数十年前の
「蛋白質レベルでの免疫研究,最後の成果〈IgEの発見〉」
そしてもう1つが
「細胞レベルの免疫研究,最初の成果〈T細胞の発見〉」
なのだそうで,ここから免疫学は長足の進歩を遂げる(おぉ,IgEといえば『体にいい寄生虫 ダイエットから花粉症まで』に登場した抗体ではないか)。

 ところで人間の臓器の1つに「胸腺」というものがある。これは心臓の表面を覆うような黄色っぽい組織で,子供のころは大きいが(といっても30グラム程度)成長するとだんだん小さくなり,老化するとほとんどなくなってしまう。その存在は2000年前から知られていたが,40年ほど前,ようやくこれが免疫を司る非常に重要な臓器であることが判明する。ここで作られるTリンパ球という細胞の表面に,自分か自分でないかを区別するレセプターが作られ,この何千万種というレセプターが,あらゆる非自己(抗原)と反応する機能をもたらし,免疫という防御システムに参加するのである。
 つまり,免疫の本質は「自分と他者を区別する仕組み」であり,単に病気を治すだけでなく,アトピーやスギ花粉症の原因にもなる。輸血や臓器移植の障害でもあるし,やっかいな自己免疫病の数々の原因ともなっているわけだ。

 しかし,自分以外のものが入ってきても,免疫系が反応を起こさないこともある。この免疫系の「寛容」の,1つの条件は生まれた瞬間または生まれる前の経験。1つは異物が極端に微量か逆に大量である場合。そして1つが,異物が口から入った場合なのだという。
 この3つ目が不思議だ。たとえば牛乳を2リットル飲むと牛の蛋白質が血液中を流れるが,それでも抗体は作られず,ショックも起こらないのだという。なぜそうなるのか,理由は解明されていない。また,同じ口から入って,アレルギーを起こす食材とはどう違うのか?

 免疫系の巧緻かつ複雑なシステムは,実に不思議で魅力的だ。自己という生物としての「個」の概念そのものを再認識する契機とでもいおうか。そして,免疫系が解明され始めたこの時代に,エイズという免疫システムそのものを破壊する病気が他者との関係から伝播するのもなにかまた暗示的だ。

 本書は受講者・南伸坊のフィルタを通す分,わかりやすいが入門書としても重要な観点の抜けや誤解が皆無でない可能性がある。多田先生の『免疫の意味論』(青土社)はやはり必読だろうか。

2000/12/26

『英米短編ミステリー名人選集5 革服の男』 エドワード・D・ホック / 光文社文庫

Nimg3196【いいえ,何も思いつかないわ】

 昨今の欧米では珍しい本格ミステリ短編集『サム・ホーソーンの事件簿I』がなかなか面白かったので,ホックをもう少し読んでみることにした。本棚を調べると実は以前にも1,2冊読んでいるようなのだが,記憶は見事山のあなたの空遠くに霧散している。
 というわけで,光文社文庫『革服の男』を注文して読んでみた。ホックは先にも書いた通り短編プロパーで,しかもシリーズキャラクターものが多いようなのだが,本書はその引き出しの多さをまざまざと感じさせる作品集になっている。

 たとえば2000歳に近いコプト教徒のオカルト探偵サイモン・アーク,価値のないものしか盗まない怪盗ニック・ヴェルヴェット,田舎医者サム・ホーソーン,100編を越える作品で活躍のジュールズ・レオポルド警部,イギリス諜報部暗号解読専門家ジェフリー・ランド,西部探偵ベン・スノウ,ジプシー探偵ミハイ・ヴラド,長編『大鴉殺人事件』で登場したミステリ作家バーニイ・ハメット,「おしゃれ探偵」をモデルにしたインターポールのセバスチャン・ブルーとローラ・シャルム,古今の探偵をパクったパロディ探偵サー・ギデオン・パロ,百貨店バイヤーのスーザン・ホルト,といった具合。
 実は,今紹介したのは『革服の男』に登場する者たちだけであって,木村仁良の解説で紹介されるホックのシリーズキャラクターは優にこの倍はある。

 するとどういうことが起こるかというと,本書収録作だけ見ても,たとえば熱気球から搭乗者が墜落する謎を追う「熱気球殺人事件」,旅客船での宝石盗難と殺人を描く「五つの棺事件」,州知事選の立候補者が人狼を射殺したという「人狼を撃った男」,フリーマントルふうエスピオナージ「七人の露帝」,ミステリー作家とファンの集いを舞台にした「バウチャーコン殺人事件」,ルーマニアに定住するジプシーがモスクワの競馬に参加して事件に巻き込まれる「ジプシーの勝ち目」,スー族の呪われたテント小屋を扱う「呪われたティピー」,これらにもちろん金や愛憎のからんだオーソドックスな事件を加えて,もうこの作家の頭の中はどうなっているのだろう,という全12編の活況である。

 思うに長編ミステリは,長いがゆえに人間性についての矛盾が露見することが少なくない。トリックを重ねる連続殺人事件など,頑張れば頑張るほどゆがんでくるのである。そんなに頭がよい犯人ならもっとほかの方法で目的が達成できるだろうし,いくら密室やアリバイを構築しても,容疑者への世間の目は冷たい。
 それに比べれば,短編は不自然に見えそうな点をはぶき,中心のアイデアに全力投球すればよい。また,ポー,ドイルなど,ミステリの始祖が短編だったことも忘れてはならない。

 もちろん短編のほうが楽などというつもりはない。
 アイデアは常に斬新で魅力的でなければならないし,長編のようにキャラクターの魅力やユーモア,おどろおどろしい雰囲気で引っ張るわけにもいかない。また,作品数を増やすには広範な発想と勉強も必要だろう。さらに,映画化などによる副収入も多くはないに違いない。
 だからこそ,短編プロパーたるホックの姿勢は高く評価したい。しかも,1つ1つの作品は重厚で,「刑事の妻」のように言葉少なだがトリックより人生の苦味を重視する作品もある。

 日本でも,佐野洋が数年前ミステリ短編1000作執筆という快挙を成し遂げたにもかかわらずあまり高い評価を得たように思えなかった。本格派の若手は,長編ばかりでなく,もっと磨き上げた短編にも挑戦してほしいと思うのだが……。

2000/12/25

[雑談] おもちゃのカンヅメ「未来缶」もゲット

Nimg3168【最高で金,最低でも銀】

 続いては,「未来缶(正式名称:未来から落ちてきたカンヅメ)」。

 とある小さな農場で,一人の農民が未確認飛行物体と遭遇した。3か月後,記憶を失った彼が再び姿を現したとき,その手には1つの光るカンヅメがあった。それこそ,彼が2099年を訪れたときのカンヅメだったのだ!

 ……というわけで,缶のデザインは,過去缶よりこちらのほうがcool。なにしろ銀色の左右のフタはどちらも開けることが可能なのである。

 缶のすぐ左は,「キョロちゃん宇宙へ行く」,プラスチックのチューブの中で,なんとキョロちゃんが浮いている! スーパージェッターでもおなじみの反重力装置だ。
 その下,「メタリックカードケース」,あなただけのナンバー入り。未来人はこの銀色のケースで名刺のやり取りをしている。もちろん,タコ足火星人だって,名刺を差し出すときは右手,受け取るときは両手だ。
 その手前,銀のボールに肌色の足が生えているのが「物体X」。左右に10回くらいねじって平らなところに置くと,うねうねと動き出す。未来人はついに永久運動機関を実現したのか!
 カードケースの右,青いのが「不思議な球体」。ボールを滑らせても,転がしても,中の青い模様はそのままだ! しかも渦巻き模様は常に北の方向を指しているぞ。ということはその反対は南ということか。さすがは未来科学!
 その右が「宇宙の積み木」。添付画像ではわかりにくいが,黒い台の上で,星型,月型の薄い金属片でいろいろな形が作れる。未来の幼年教育の教材なのだろう。独創的な空間感覚で21世紀のアートは君のものだ。
 最後,右手前は「ミラクルシート」。宇宙生物を描いたシートを手のひらに乗せてしばらくすると,わにゃわにゃと動き出す。おおっ,21世紀のバイオテクノロジーは,お好み焼きの上のカツオぶしを無機物で再現することに成功したのかっ!

 しかし,皆さん,ここで見たことは決して外に漏らしてはならない。未来のグッズが公になってしまうと,歴史が狂ってしまうのである。

[雑談] おもちゃのカンヅメ「過去缶」ゲット

Nimg3166【クエッ クエッ クエッ チョコボーオールー】

 「おもちゃのカンヅメ」とは言うまでもなく森永製菓の「チョコボール」の景品で,長寿プレゼントの1つとして有名である(もう一方の長寿プレゼント,ライオンのブルーダイヤ「金・銀・パールプレゼント」は1998年に復活したが,今も昔も当選した人の話を聞いたことがない……)。
 「チョコボール」の箱の取り出し口のところに,金のエンゼルがあれば1枚,銀のエンゼルなら5枚を送ればこの「おもちゃのカンズメ」がもらえるのだが,その内容は「男の子向け」と「女の子向け」,「中高生向け」と「小学生向け」と,缶のデザイン,内容ともに,あれこれ変遷してきた。
 今回,最新の「未来缶」と「過去缶」をそれぞれ手に入れたので,内容を簡単にご紹介しよう。
 まず,「過去缶(正式名称:過去から発掘されたカンヅメ)」から。

 缶のデザインは四角缶タイプで,マヤ文明ふうのキョロちゃんが描かれている。
 添付画像,缶の左下は「革風巾着袋」,ナンバー入り。旧石器時代には貴重な石器をこれに入れて持ち歩いた。早朝には袋から出して発掘現場に埋めたりもしたらしい。
 その右は「動く恐竜」,動かすと恐竜の首が上下する。見事な人形ストップモーション! ただし,ラクウェル・ウェルチは付いていない。
 手前左は「万華鏡」。レンズを覗くとプリズムの働きで風景がきれいに分割されて見える。トルテカの王ケツァルコアトルが呪術に用いたと言われている。
 その右が「砂時計」,こちら側だとキョロちゃんの足跡,反対側だとキョロちゃんの目の形に砂が落ちる。ちょっと不思議な感じ。ただし,砂が全部落ちないので,時計としては使えない。トルテカの王ケツァルコアトルが目覚ましに用いたと言われている。
 その右,「勾玉」。のぞき窓から中をのぞくときれいな絵が見える。トルテカの王……くどい。
 その右,「ステープラー(台座付)」,普通のホッチキスの針(No.10)が使える。ところで,あなたはホッチキスの針は,針? 芯? タマ?

 というわけで,「未来缶」に続く。

2000/12/22

『サイエンス・サイトーク ウソの科学 騙しの技術』 日垣 隆・中谷 陽二・千石 正一・守 一雄 / 新潮OH!文庫

Nimg3097【信じる者は騙される】

「午後のくるくるカラスマルアワー,本日ご紹介する本はまたしても新潮OH!文庫」
「ことさら宣伝するつもりはないのですが,妙にウマが合うといいますか。また選んでしまいました」
「新潮社から上げ底の菓子折りが届く,ということはありませんか」
「山吹色のお菓子は無理でしょうが,もしお歳暮にミカンなりが届いたなら受け取るのはやぶさかではありません」
「新潮社の皆さま,ミカンの送り先は渋柿区銀杏,KMラジオ,午後のくるくるカラスマルアワーまで」

「さて本日取り上げる『ウソの科学 騙しの技術』ですが,これは『愛は科学で解けるのか』に続くサイエンス・サイトークの2巻め。サイエンス・サイトークというのは作家・ジャーナリストの日垣隆さんが第一線の科学者の方々をお招きし,テーマを設定して学生の前でディスカッション,それをTBSラジオとインターネット上のサイトと文庫の3つの形でメディアミックスして発信するものです」
「文庫版ではラジオでは時間の制約で放送できなかった内容まで書き下ろしされるそうです」
「今回のゲストは,構造主義生物学者・池田清彦先生,精神病理学者・中谷陽二先生,動物学者・千石正一先生,教育学者・守一雄先生の4方。それぞれ常識の中のウソ,科学的なふりをした騙しについて語っておられます」

「最初の池田先生が仰ったのは,科学はただの仮説であり,科学の名の元に語られた事象でも検証,再考が大切,ということでよろしいのでしょうか」
「そうですね,ダーウィンの進化についての仮定が出てきて生物についての考え方がひっくり返り,メンデルの遺伝法則の研究でそれまでの進化論が否定される。次にはダーウィンとメンデルの両方をくっつけようという話になる。科学はいわば頭の中の約束事であって,仮説なのです。たとえば1つとして同じH2Oはないのに,水は全部同じだとして話を進める」
「『地球の温暖化は人為的な温室効果の結果』『カマキリのメスは交尾のあとオスを食う』などは一見科学的でも,実は証明されていない。後者は実際はほとんどないようですし,環境ホルモンや電磁波が人間に与える悪影響もそうですね」
「宗教と科学は『信じる』という点で似ているわけです」

「それと関連して守先生の『信じる者は足すくわれる?』という話が問題になってくるわけですが」
「そう,たとえば予言や占いを信じさせるテクニック,信じてしまうレトリックとでもいいますか」
「なぜ人は飛行機に乗るとき『落ちないように』と祈るのか」
「それは,たとえばサイコロで『5が出ますように』と祈る,よい結果が出るとそのことだけが強く印象に残る」
「『家を建てた途端に転勤』,よく聞く話ですが,そういう因果関係があるわけではなく,家を建てられる年齢だと転勤のショックが大きく,記憶に残りやすい。持ち家も家族もない若者の転勤は記憶に残らないわけですね」
「誰かが自分と同じ誕生日である確立は365分の1,という思い込みから,集団の中で『誕生日が同じ=運命の出逢い』と感じることがある。実は集団が23人を越すと,その中に同じ誕生日のペアが存在する確立は5割を越すのです」
「夢も希望もないような気がしますが」
「夢や希望を抱きすぎると詐欺,予言,占いにつけこまれる,ということです」
「占い程度ならまだしも,詐欺,入信となると問題ですね」
「その通りです」
「ここでいったんコマーシャル」
「それでね,私のギャラなんだけど」

本の中の強い女,弱い女 その十三 『はやぶさ新八御用帳(八) 春怨根津権現』 平岩弓枝 / 講談社文庫

Nimg3077【右に聖天社,並んで弁天社】

 以前,マンガの最終回をいくつか話題にしたことがあるが,最後がわからないのはストレスがたまるものだ。『あしたのジョー』や『巨人の星』,『エースをねらえ!』のように最終回が明確で,しかも書店店頭で比較的簡単に手にできるものはよいが,どう終わったのか思い出せないマイナー作品はやっかいだし,『サイボーグ009』のように作者が亡くなってしまったもの,『ゴルゴ13』のように最後が予測できないもの,『ガラスの仮面』のように中断したままのものなどはどうすればよいのか。

 小説でも同様なことはいえる。
 池波正太郎の『鬼平犯科帳』や『剣客商売』は,作者の死によって永遠に未完となった。作中にときどき主人公の老いや死についてふっと触れられているだけに,はたしてどのような終幕が用意されていたのか,それともとくに用意されていなかったのか,そのあたりはわからない。

 時代小説といえば,現在も継続されている作品の1つに,平岩弓枝『御宿かわせみ』(現在24巻まで)がある。江戸後期,大川端の旅篭「かわせみ」を舞台に,武家の次男坊・神林東吾とかわせみの女主人・るいの恋を中心に展開する物語。作品はすべて短編で(総数200編以上!),江戸の町に起こるさまざまな事件を扱かった一種の捕物帳でもある。
 同心の娘だったるいが武家を捨てたこと,東吾の兄・通之進に子供がなく東吾が神林家の与力職を継ぐ可能性があったことなどから2人の行く末に読者ははらはらしたものだが,27年にもわたる連載の間に東吾とるいは夫婦となり,最近は待望の子供(千春)も生まれた。通之進夫婦も(少々わけありだが)麻太郎という養子を得た。しかし,黒船来航など時代背景は切迫しており,展開は予断を許さない。

 とまあ,『鬼平犯科帳』や『御宿かわせみ』は手放しでお奨めできるのだが,同じ平岩弓枝が書き続ける『はやぶさ新八御用帳』はさてどうか。
 こちらの主人公・隼新八郎は,南町奉行根岸肥前守の内与力。本来与力は町奉行所という機関に所属する役職(世襲)で奉行個人の家来ではないが,内与力は奉行が自分の家臣を奉行所勤務とさせたもの。いわば奉行の直属の部下であり,腹心中の腹心といえる。

 『はやぶさ新八御用帳』の第1作「大奥の恋人」は長編で,かなりシリアスな印象だった。切なくもにぎやかな市井を描く『御宿かわせみ』に対し,こちらは武家の禁忌や傲慢,男女の愛憎など救いのないテーマが少なくない。しかし,第3作以降の短編集では「今日もお江戸は日本晴れ」な能天気度が増し,どうも鬼平の権力とかわせみのアットホームさのよいとこどり,そんな感じになってしまった。
 そうなると主人公の調子のよさが鼻につくのは烏丸だけだろうか。奉行の権力をかさに行く先々で「殿様」と持ち上げられ,妻を娶った後でかつて屋敷に奉公していたお鯉を愛していることに気がつく。相思相愛をよいことにお鯉を危険な任務に送り込み,なさぬ仲になり,あげく上司たる南町奉行の身の回りの世話をさせて事件解決のアイデアを借りる。つまり家に帰れば正妻,勤め先には聡明でおきゃんな愛人が待つわけだ。

 文庫の新刊が発売されるたびつい手にしてしまう本シリーズではあるが,その最終回が読めなくともさほど惜しいとは思えない。奉行が失職,新八郎とお鯉が引き裂かれる,妻・郁江が自害,そんな展開ならともかく,一見ほのぼのに見えて内にいろいろ抱えるかわせみに比べ,まるでお気楽極楽なはやぶさ新八。お上にかわっておしおきよ。

2000/12/21

ガメラの炎が2本になったのは火薬をケチるため 『史上最強のオタク座談会2 回収』 岡田斗司夫・田中公平・山本 弘 / 音楽専科社

Nimg3058【脳みそを薄目開けたような感じにして見る】

 少し前にご紹介した,『史上最強のオタク座談会 封印』に続く極悪鼎談。
 オタキング・岡田斗司夫,アニメ音楽家・田中公平,と学会会長・山本弘の今回の標的は「特撮モノ」。現役のアニメスタッフ,声優をぼこぼこにした前回に比べると,古い特撮映画,番組が対象で,アングラな色合いは薄れ,特撮文化全般についてのフランクな批評がベースとなっている(そうか?)。

 ところで,アニメオタク,マンガオタクも切ないものがあるが,それ以上に特撮オタクは業が深い。
 なぜなら,特撮オタクが蓄積し,咀嚼するのは戦後という時の蔭であり,時代の背景にへばりついた濁りなのだ。そうでなくて,いかに『ゴジラ対ヘドラ』の「100万人ゴーゴー大会! イカす,イカすぅ!!」なんてのを愛せるだろう。
 とにもかくにも特撮モノを楽しむためには

岡田 中学生ぐらいの時にね,心の中のシフト・チェンジがあって,「酔狂」というギアがガチャッと入るじゃないですか。

この「酔狂」が必須。幼稚園児がタイムレンジャー見るならともかく,大人が特撮モノに走ると

岡田 前頭葉あんまり使わんようにして見へんかったら,つらいやないですか。

だから,シッポ丸めて空を飛ぶゴジラ(本当)に「まさか」「あほな」と常識フィルターが入る直前,「酔狂」方面に意識を流し,その上で「ほぉ,よーできとるやないか」とラスクくわえて楽しむのである。

 烏丸は十数年前の平成ゴジラブームの折り,毎週都内のオールナイト,二番館をはしごした。浅草で『フランケンシュタイン対バラゴン』を見た夜は,その頃亡くなったゴジラ博士(オキシジェンデストロイヤーで唯一ゴジラに勝った男)平田昭彦の名がスタッフロールに表示された際,場内に沸き起こった拍手に参加。その翌週,池袋で『獣人雪男』を見た折りには幕間の通路で同世代の青年に目で「ライター貸してもらえますか」と訴えられ,「あなたは先週も浅草に」と目で語れば,向こうも「お互いに……」と煙草のけむりをくゆらせるのであった。

「ここは危険です。オタクが,出るのです」目のすわった若林映子
「オウ,あなたここで待っていてくだサイ」ラス・タンブリン
「これをオタク電撃作戦と命名する」田崎潤
「この先は進入禁止であります」轟天号無名兵士
「いいんだ」後部座席の平田昭彦
「あ,あ~,こりゃ大変だ」ゆで玉子こぼしながら藤木悠
「おくらせるわけにはいかないだろう。1日いくらかかると思ってるんだ」苦りきった佐原健二
「青春を返してください」どこからともなくザ・ピーナッツ
「惜しい。実に惜しい」沈鬱,志村喬

 まぁ,とりあえず,ここは特撮カルトクイズをいくつか。

(1) 初代『ゴジラ』を「素晴しい着想で面白い」と絶賛した著名作家は?
(2) ホラー映画『マタンゴ』,食べちゃいけないのは?
(3) 『モスラ対ゴジラ』,インファント島民が宝田明,小泉博たちに赤い液体を飲ませた際,何と言って飲ませた?
(4) キングギドラの3つの首には,実は名前がある。左から順に答えよ。
(5) 『サンダーバード』のロンドン支部,ペネロープの声を担当したのは?
(6) 『決戦!南海の大怪獣』,ある怪獣が現れる時は海の水が凍りついた。なぜ?
(7) 『アルマゲドン』,彗星に核爆弾を仕掛けた後,脱出しようとしたらスペース・シャトルのエンジンが掛からない。どうやって直した?
(8) ロシアからポンキッキーズの「ガチャピン宇宙へ行く」企画,その後音沙汰ないのは?

2000/12/19

あとは白紙 『消えたマンガ家』 大泉実成 / 新潮OH!文庫

Nimg2977【誰も聞こうとはしなかったということですかね】

 本書巻頭で,クイックジャパン編集長・赤田祐一氏は言う,「でもさ,誰にでも胸の中に一人くらい『消えたマンガ家』がいるんだよ」。
 もちろん,消えるのはマンガ家だけではない。ロックミュージシャンも,映画人も,お笑いタレントも,誰もが消えていく。だが,マンガ誌が週刊化された後の時代に現れ,「実力があるがゆえに量産を強制され,その繊細さゆえに,やがて毀れて,消えていく」マンガ家たちには,どこか共通の気配がある。

 オウム真理教をはじめとする宗教団体潜入ルポで知られる大泉実成の『消えたマンガ家』シリーズは,その,消えた(消された)マンガ家たちにスポットをあて,その軌跡を追い,現在を(執拗に)訪ねる。太田出版版では3分冊だったものが,新潮OH!文庫版では「ダウナー系の巻」「アッパー系の巻」の2冊にまとめ直されている。
 それぞれに収録されたマンガ家は,
◎ダウナー系の巻
 ちばあきお・山田花子・鴨川つばめ・安部慎一・中本繁・冨樫義博・内田善美・ねこぢる
◎アッパー系の巻
 とりいかずよし・ふくしま政美・山本鈴美香・美内すずえ・黒田みのる・徳南晴一郎・竹内寛行
(太田出版版の第3巻に収録された「“消えたマンガ家”からの手紙 高橋伸次」「早すぎた“二四年組” 岡田史子ロング・インタビュー」はなぜか削除され,代わりに「鳥山明はエホバの証人だった!?」が収録されている)

 全体に,ダウナー系の作家は,自らの生きざまと作家活動に倦み疲れ,マンガ家であることを放棄したり,何人かは生きることそのものからリタイアしている。
 ことに,通常の生活者としてすら生きながらえなかったあるマンガ家,子供の頃からいじめなどの疎外感に悩み,自分の個人的な見解を世間一般の“常識”にすり換えて作家を支配しようとし恩着せがましく説教を繰り返した編集者に対し後でセクハラ行為があったと訴え執拗にいたずら電話をかけ,バイト先の喫茶店を解雇された後でも通い従業員待合室に座り込む。「痛い」としか言いようがない。
 ハイテンションに勘違いを増幅していくアッパー系では,なんといっても死者まで出した宗教団体「神山会」のヒメ(巫女)と化した山本鈴美香の「とんでも」度が高く,一種,素晴らしい。大泉,赤田両名は神山会に潜入取材を試みるが,山本当人には会えないものの,その父親の自我肥大度が強烈で,彼の繰り出す怒涛のごとき「ありがたいお言葉」を読むだけでもこの本を買う価値があろうというものだ。そして,その顔が六〇代になった宗方コーチだった,というオチ付きでもある。アマテラスについての講演イベントで「大地を固める」ためにシコをふみ狂う一見五〇歳くらいの関西弁のおばちゃん(無論,美内すずえのことである)も実にいい味出している。

 その他,あれやこれやの中で,最も心を打たれたのは『マカロニほうれん荘』鴨川つばめのロングインタビューだった。破天荒な父親のもとに育ち,既存のマンガ界に刃向かう苛烈な青春時代,破滅的な創作活動,終結,布団にもぐり込み死を思う数年,宗教に関する本を読みまくる時期。
 人間は,これほどの沈潜の後でも再生できるのか。

 消えたマンガ家たちの絶頂期が幸福だったのか,不幸だったのか,それはわからない。
 1つだけ言えるのは,人には誰でも「いかに世に出るか」ではなく「いつ,いかに消えるか」がテーマになる時期がやがて訪れる,ということだ。本書を興味深いサブカル本と読むべきか,先人の苦い蹉跌と見るべきか……前者でいられる間は,よいのだ。

2000/12/18

どちら側の山田正紀 『女囮捜査官』シリーズ試論 最終回

【みなし新本格派】

 期せずして3回連載での紹介になってしまった『女囮捜査官』だが,なんとか今回で片付けたい。

 二階堂黎人の解説では,彼において(おそらく他のかなり多くの新本格派の作家においても)「新本格ミステリ」の一種教条主義化が進んでいることが明確にうかがわれた。それは,おそらくいくつかの新興宗教がそうであるように,中にいる分には確たる目標が得られ楽かもしれないが,外から見ればフレキシブルな発想の放棄,誤解を恐れずいえば体育教練の理性放棄からそう遠くない。

 たとえばSFというジャンルも一部マニアによって支えられた面が強かったが,それでもSFそのものは根のところで自由な発想や表現法を追い求める精神のあり方で,その成果については実にノンシャランだった。星ファンと小松ファンと筒井ファン,ハインラインファンとJ・P・ホーガンファンとブラッドベリファンとが同じテーブルにつけることだけでそれは明らかだろう。
 それに比べると自称・新本格派は「教条主義」が揶揄的な言葉,ということすら通じないほど「かくあるべし」にこだわる者が少なくないように見える。《こちら側》の者は《あちら側》のモノを読めない,《あちら側》の者は《こちら側》のモノは読めない……これがシャレでないとしたら,それはなんと貧しい地平線だろう(もっとも第2巻「視覚」の解説を担当した我孫子武丸は,作家にとってジャンル分けなどレッテルに過ぎないこと,山田正紀は初期からミステリを書いていること,山田正紀がSF入門に格好の存在であることを明言,意外や常識的かつ良識的(失礼)だった)。

 さて,では山田正紀はすっかり《本格推理側》の人間になってしまったのか。烏丸の想像ではノーである。
 確かに『女囮捜査官』シリーズは,新本格派が泣いて喜ぶ(悔しがる)パズラー的トリックにあふれている。しかし,そういう素材はそれを尊ぶ読者に対する作者のエンターテイメントの所産であるように思う。だから,もしこのシリーズが《官能サスペンス》として巷で話題になったのなら(実は官能的シーンなどほとんど書かれてはいないのだが),作者は泰然とそちらの色合いを強め,続いて2,3,それに見合った作品を書き起こしたのではないか。

 それが,山田正紀という作家の恐るべき引出の広さであり,逆にいえば彼がどのジャンルにおいてもナンバー1になれない理由でもある。山田正紀はある意味器用に過ぎ,編集者や読み手に応えられ過ぎるのではないか。その姿勢はプロの職人としてはまことに立派だが,どこかに個人の濁ったコアがなければ大成しないのもまた創作という世界なのだ。
 思えば1970年代後半,SF作家として『神狩り』でデビューした折りも,その作風は「小松左京以来,スケールの大きな作風のSF作家がいない」という声に応えてのものだったように思う。そして,「いかにも山田正紀」という手応えは得られず,さりとて小松ほどのゼネラルな印象にも乏しかったように思う。
 結局,山田正紀とは何者かに対する解答はおろか,問いさえないことが問題なのだ。

 山田正紀が今後,どのカードの代わりにも使える便利なワイルドカードとして終わるのか,それとも稀代のエンターテイナーとしてスペードのエースたり得るのか,それはわからない。しかし……いずれにしてもこれほどのスケール,しかも大小のアイデアの詰まった新本格・サスペンス・官能・ポリティクスミステリの大作,全5巻,文庫本にしてざっと2000ページを,たった9か月で書いてはいかんと思うわけよ,オレとしては。

2000/12/17

山田正紀はミステリに寝返ったのか!? 『女囮捜査官』シリーズ試論 第2回

【──女は花だ。しかし病んでいる。】

 さて,昨日『女囮捜査官』シリーズを紹介するのに第5巻「味覚」の表紙を添付画像としたのは,カバーデザインが辰巳四郎で,殊能将之の『ハサミ男』と同じ人ですよ,ということが言いたかっただけである。

 それはさておき,同シリーズは随所に「それだけで1冊書けそうな」アイデアにあふれている。そもそも,この警視庁科学捜査研究所(科捜研)特別被害者部(特被部)が設けられたのは異常犯罪の被害者データを分析し,現実の事件における理想的な被害者像を割り出す「被害者学」の成果による……という設定からして,SF(Science FictionというよりはSpeculative Fiction)的力ワザである。

 各巻の内容をざっと追ってみよう。

 オーソドックスな警察小説の手法に乗っ取り,容疑者が二転三転するフーダニットモノの第1巻「触覚」。
 首都高速5号線上りの大事故の現場で,三十代後半の白髪の怪我人と女の右足が発見される。その男と女の右足,そしてそれを運んだ救急隊員たちが血痕だけ残して消失し,数時間後,首都高の各所で女の左腕,首,胴体,左足が発見される……トリッキーな女性バラバラ連続殺人をメインにし,シリーズ中,パズラー色,猟奇色が最も濃い第2巻「視覚」。
 凶暴な殺人犯を射殺したことで軽度の神経症に陥った志穂は,嬰児誘拐事件で犯人から名指しで身代金の運搬役を命じられる。志穂の頭から,いないはずの双子の妹のことが離れない……。誘拐についての秀逸なアイデアが連発する,多重人格モノの心理サスペンス,第3巻「聴覚」。
 連続放火事件の捜査現場に,全身のムダ毛を剃られ,日焼け止めクリームをくまなく塗られた女性の全裸死体が発見され,傍には被害者を模した人形が……捜査が同時進行的に描かれる(モジュラー形式と呼ばれる)見たて殺人モノ,第4巻「嗅覚」。
 そして新宿西口で発見された若い女の上半身だけの死体をきっかけに天才犯罪心理学者・遠藤慎一郎と彼の産み出した特被部が壊滅に追いやられ,その存在(そして本シリーズ全体)の意味がダイナミックに描かれる最終巻「味覚」。

 いずれも本格推理小説のアイデアに満ちあふれながら,スピード感あふれる文体と展開で,読み手は理屈を噛み締めるヒマもなく作者の演出するジェットコースターにふりまわされる。

 ところで,各巻の解説にいわゆる「新本格」派と呼ばれるミステリ作家が顔をそろえていることは先に述べた通りだが,第4巻「嗅覚」の二階堂黎人の解説は新本格「側」の傲岸不遜さがよく現れていて興味深い。たとえば,こんな具合だ。
「トクマ・ノベルズ版の『触姦』とか『視姦』とかいった語感は…(中略)…その下品な感触が,本格推理のもつ理性の崇高さに煙幕を張っていた。…(中略)…その責は,狙いを誤った作者と出版社に課すべきだろう」
(山田正紀が好きなミステリー作家として挙げた作家について)「カチンと来た。厳密に言えば,この二人の小説は《本格推理》ではないし,セバスチァン・ジャプリゾに至っては《サスペンス》である」
「山田正紀氏が《あちら側》の作者であることを望むなら,《こちら側》の読者である私が,彼の良い読者になることなど絶対にできない」
「氏は今や,完全に《こちら側》の人間になったと信ずるに足りる」
「私としては,山田正紀氏が単なる助っ人で終わるのでなく,《本格推理》を愛する《こちら側》に完全に帰化して,永遠に我々と共に《不思議の国》の住人となってくれることを望むものなのである」

 さらに,続く。

2000/12/16

ミステリ者必読! 『女囮捜査官』 山田正紀 / 幻冬舎文庫

Nimg2904【生まれながらの被害者】

 ロングヘアー,細くしなやかな体,ミニスカートを穿いて,ピアスをつけた若い娘―同じタイプの犠牲者三人はいずれも絞殺されたばかりか,二人はミニスカートを剥ぎ取られ,一人は髪の毛を鋭利な刃物で切られた無残な姿で発見された。
 「山手線連続通り魔殺人事件」の謎を追う警視庁・科学捜査研究所の特別被害者部の女囮捜査官の北見志穂は,犯人の食欲を誘う餌食に扮し,有力な被疑者たちの前にその美貌と肉体を晒す違法ぎりぎりのおとり捜査を強行した。
 犯人は痴漢か,異常者か,驚天動地の意外な真相とは。

 ……というのが,『女囮捜査官1 触姦』(徳間ノベルズ版)の惹句である。
 主人公・北見志穂は“生まれながらの被害者”タイプであり,それを活かした囮捜査官になるのだが,これは正規の捜査官ではなく「みなし公務員」扱いで,そのため現場でも捜査本部でも決してよい顔はされない。
 そんな囮捜査官が凶悪な犯罪に立ち向かう連作長編,しかも全5巻のサブタイトルが徳間ノベルズ版ではそれぞれ「触姦」「視姦」「聴姦」「嗅姦」「味姦」,カバーデザインや惹句もそれに合わせて官能小説っぽいものだった……となると,なんとなく勝目梓ばりの官能バイオレンス路線を想像してしまうが(また,そういうシーンが全くないわけでもないが),実は本シリーズのからくりはそんなに単純ではない。

 まず,作者が,あの,山田正紀である。
 1970年代後半,『神狩り』『チョウたちの時間』をはじめとする壮大かつ挑戦的なSFで当時のSFファンを驚嘆させ,かと思えば『崑崙遊撃隊』などの辺境冒険譚,かと思えば『謀殺のチェス・ゲ-ム』などのサスペンスアクション,あるいは『少女と武者人形』などのホラー,と,さまざまな分野で非常に密度の高い作品を連発し続ける作家である。個々の作品は必ず一定以上の水準を保ち,重いテーマを抱えつつも見事にエンターテイメントたる軸をはずさない。

 では,この『女囮捜査官』シリーズの狙いが官能バイオレンスでないなら,一体何なのか……。
 答えは,サブタイトルの「姦」の文字をそれぞれ「覚」に変えた幻冬舎文庫版の解説の担当者を見れば一目瞭然であろう。
  「触覚」法月綸太郎
  「視覚」我孫子武丸
  「聴覚」恩田陸
  「嗅覚」二階堂黎人
  「味覚」麻耶雄嵩
 そう,本シリーズは,不可能犯罪のトリックに挑戦する,バリバリの「新本格ミステリ」なのであった。そして,それぞれの作品で猟奇的な殺人事件のフーダニット,ハウダニット,ホワイダニットが問われ,それぞれに論理的な決着が与えられるというのが本シリーズの魅力なのである。

 ちょっと書ききれないので,明日に続きます。

2000/12/15

『猟奇文学館2 人獣怪婚』 七北数人 編 / ちくま文庫

Nimg2886【美女と野獣,つうとよひょう】

 少し前にご紹介した『猟奇文学館1 監禁淫楽』の続巻である。
 今回は「人獣」,つまり人間と人間以外のものが結ばれる話で,リアルな「獣姦」となるとさすがに少々エグいが,言ってみれば鶴の恩返しや雪女,羽衣伝説などの民話,昔話がジャンルとしてはこれにあたる。陰陽師・安倍晴明が父と狐の間に生まれた子である,などというのも広義には含まれるかもしれない。
 前巻のテーマ「監禁」は全く対人間的というか,いわば現世のテーマであり,ある意味よほど作家が頑張らないと現実のほうが迫力に満ちた内容となりかねない。というより,前巻に感じたひ弱さは現実の事件をどれだけ凌駕できるかという点でやや心もとなかったことに由来する。
 しかし,今回のテーマは現世的な「獣姦」をテーマにした場合を除けばいわゆるファンタジーの領域であり,作家の自由な発想にゆだねられる。というわけで,客観的・数値的な作品の評価(そんなものがあるとしてのことだが)は別にして,読み手としては素直に楽しめるものが多かったように思う。

 今回の収録作品は,ほんの数ページの掌編も含め,次の12点。

  阿刀田高「透明魚」
  赤江 瀑「幻鯨」
  眉村 卓「わがパキーネ」
  岩川 隆「鱗の休暇」
  村田 基「白い少女」
  香山 滋「美女と赤蟻」
  宇能鴻一郎「心中狸」
  澁澤龍彦「獏園」
  中 勘助「ゆめ」
  椿 實「鶴」
  勝目 梓「青い鳥のエレジー」
  皆川博子「獣舎のスキャット」

 軽い変化球から蟻のたかる毒団子,SFから中間小説,散文詩風まで,種々雑多な品揃えだが,楳図かずお初期の怪奇マンガを彷彿とさせる「鱗の休暇」,ゴジラの原作者・香山滋による秘境趣味あふれる「美女と赤蟻」,馬鹿馬鹿しくも物悲しい「心中狸」など読みどころは少なくない。

 特筆したいのは村田基。あまり知られているとはいえないSFホラー作家だが,「白い少女」が収録されたヤハカワ文庫『恐怖の日常』は,絶版ながら古本屋でぜひとも探してほしい傑作揃い。ことに「反乱」という作品など,全身の毛穴から蟲が沸いて出るような異様な皮膚感覚ホラーで圧巻である。この最後の1ページ分ときたら……思い出しても身の毛がよだつ。
 次いでは,かなり直接的な「獣姦」を描いたある短編だが,それがどれかは言わぬが薔薇の刺か。内容(BGM?)に一部うなずけない点はあるものの,作品を被う生理的なキショク悪さはなんとも言えない。短編集を文庫化する際に他の作品と差し返られたのも「あまりに不健康かなァと自粛」したとのことで,そのくらいの作品の1つ2つ収録しないと「猟奇文学館」の肩書きが泣くというものである。
 ……それにしても,人間ほど気持ちの悪い生き物はいないのかもしれない。妙なバラエティなど意識せず,はっきりエログロに絞って作品を選べばよいのに。それが出来ないのも,筑摩書房ならではか。

 ところで,今回の収録作のうち,「ゆめ」と「鶴」には人間のお相手(?)として鶴が出てくるのだが,実は前巻『監禁淫楽』収録の赤江瀑「女形の橋」も将軍お抱えの若太夫が鶴の新作能を舞うために鶴の里を訪ね歩き,やがて禁忌に触れてしまう,というものだった。「猟奇文学館」2巻,合わせて20編中3編が鶴にかかわるというのは,編者・七北数人の性向をおもんばかるに余りあり,純文学へのくどいこだわりともども,少しいやな匂いだ。

2000/12/13

少年・少女の科学ゴコロをくすぐる 『まんがサイエンスVII 「見る」科学』 あさりよしとお / 学習研究社(NORAコミックス)

Nimg2844【あれは完全にアミロペクチンだよね】

 浮いたり沈んだり,波はあるが,トータルすればそれなりによい人生だと思ってきた。封切りの「キングコング対ゴジラ」や「ウルトラマン」本放送を見られたのはよかった。萩尾望都や大島弓子をリアルタイムに読んで高揚した。ビートルズの解散には間に合ったし,箱根アフロディーテには行けなかったが武道館ではピンク・フロイドを見られた。などなど,あれこれ心に残る幸福のタネもある。
 それでも,小学校5年,6年のときに学研の「科学」であさりよしとおの連載を(あさりよしとおがどんな作家か知らずに)読む,今の子供たちは少しだけ,うらやましいような気がする。

 本シリーズは,『宇宙家族カールビンソン』などの作品で知られるマンガ家・あさりよしとおが,おたっきー度合いをやや抑え,子供たちの身近な謎から最新の科学技術や研究の成果をレクチャーするというもの。
 『まんがサイエンスVII 「見る」科学』はその最新刊,ちょっと目次を覗いてみよう。

 今回はまず,「『見る』科学」を小特集として,8本が並んでいる。

 「テレビ一本『線』勝負」 ……なぜテレビを写真に撮ると,画面に黒いシマが映るのか。
 「ビデオななめ回転のひみつ」 ……意外と知られていないビデオのヘッドの信号記録方法。
 「大きくはっきり見るために -顕微鏡-」 ……なぜ光学顕微鏡では1500倍程度にしかならないのか。一方,電子顕微鏡の仕組みは。
 「よく見えるのはどっちの望遠鏡?」 ……反射望遠鏡vs.屈折顕微鏡。
 「『すばる』世界一の望遠鏡」 ……ハワイ島マウナケア山の山頂にある世界最高性能の望遠鏡「すばる」。口径8.2メートル。ちなみに,もしも直径100メートルのレンズがあったら! たちまち自分の重みで割れちゃうんだって。
 「-双眼鏡- ひみつのプリズム」 ……双眼鏡が望遠鏡と違って上下さかさまに見えないのはなぜ?
 「レンズ付フィルムってAFカメラ?」 ……レンズ付フィルム(いわゆる使い捨てカメラ)でピント合わせしなくてすむのはなぜ?
 「電子の目でピントをチェック AFのしくみ」 ……それじゃあ,カメラのオートフォーカスってどうやってるの?

 そして,読み切り5本。

 「飛んでる地球! -公転-」 ……人工衛星もスペースシャトルもない時代に,どうやって地球が公転してることがわかったのだろう?
 「ハイ(肺),大きく息をすって!」 ……肺胞を全部広げた面積は,大人が息を吸ったときでなんと1000平方メートル。ハイホー♪
 「おもちとごはん どこがちがう?」 ……普通のお米(うるち米)をついてもお餅にならないのはなぜ? お餅を温めると柔らかくなるのはなぜ? このテーマはまったく初耳で,いい勉強になった。
 「細胞内探検ツアー」 ……染色体をほぐすと,1.7メートルのDNA。そんな細胞がヒトの体には何十兆もあるのだ。
 「光る標識!?」 ……道路標識が車のライトに光るのはなぜ?

 といった具合。ああ,いいねぇ。
 カラーグラビアにある,走査型電子顕微鏡で見たハマダラ蚊,オオモンシロチョウの幼虫,ヤケヒョウヒダニ,ヤマアリの画像がまたリアルで素晴らしい。電子顕微鏡というと通常なんとかの結晶だの分子だのの「物質」に走りがちだけれど,微小な生物をこう見るというのはけっこうカルチャーショック。

2000/12/12

『体にいい寄生虫 ダイエットから花粉症まで』 藤田紘一郎 / 講談社文庫

Nimg2823【ジストマ六文銭クラッシュ!! ……それはもういいの】

 あさりよしとお『ただいま寄生中』はファニーな1冊ではあったが,最新の知識に基づいて描かれているという印象は薄い。そこにあるのはウネウネ,ニョロニョロ,気色が悪くて有害という昔からの寄生虫観である。
 それはやむを得ないことだ。藤田紘一郎先生が『笑うカイチュウ』で世間を騒がせたのは1996年。先生は従来忌み嫌われてきた寄生虫には「老舗の寄生虫」と「成り上がりの寄生虫」があり,前者はさほど悪さをせず,宿主の体内で穏やかな一生を終えようとするということを指摘,しかもそれらの寄生虫は,宿主に他の寄生虫が侵入しないよう,スギ花粉やダニなどと結合しないIgE抗体を大量に産出する。つまり,花粉症やアトピーが急増したのは,行きすぎた清潔・潔癖意識から寄生虫を駆除しすぎたせいではないかというのだ。
 本『体にいい寄生虫』ではさらに進んで,だからといって花粉症の予防のために寄生虫に感染すればよいというほどことは簡単ではないことを説く。いくら穏やかといっても安全が保証されるわけではないし,また寄生虫の分泌・排泄液から,ヒトの体内にIgE抗体を産出する特殊な糖蛋白を抽出したものの,この「抗アレルギー剤」にはウイルスに感染しやすくなる,ガンなどになりやすい,などの副作用があるのだという。

 藤田先生はまた,寄生虫を腹の中で飼うことが,ダイエットに結びつく可能性を示唆する。
 しかし,同じサナダ虫に感染しても,日本人は欧米人(短期間で10kg単位で痩せることも)ほどには効かないらしい。感染する虫の種類に違いがあるのか,日本人の腸が長いせいか,今のところ原因は不明だそうだが。
 それにしても,サナダ虫1つ見ても,その一生の複雑さには驚く。サナダ虫は決してそのヒトの体内で卵から成長するわけではない。ヒトの体内で成虫が産んだ卵は便と一緒に排出され,水中で孵化,幼虫(コラシジウム)が水中を遊泳するのをミジンコ類(第一中間宿主)が飲み込み,そのミジンコをサケ,マスなど(第ニ中間宿主)が食べ,その刺身をヒトが食べて,はじめてヒト(終宿主)にたどり着くのである。

 そうそう,本書にはこれまでの藤田先生の著書の文庫版に比べて,大きな違いが1つある。それは,さまざまな寄生虫の写真,先のサナダ虫の生活環などの図版,サナダ虫の幼虫をいざ飲まんとする藤田先生の近影,虫のコブだらけになった有鉤嚢虫症の患者の背中(うう)など,図版・写真が豊富に用意されていることだ。気色が悪いといえば悪いが,いくつかの寄生虫の写真は生命の神秘を感じさて美しい。

 それにしても,本書や『タコはいかにしてタコになったか』などを読んでいつも不思議に思うのは「進化」の問題だ。
 ヒツジを終宿主とする(ヒツジの体内に入らないと成虫になれない)槍形吸虫の一種は,第一中間宿主がカタツムリ,第ニ中間宿主がアリなのだが,そのアリの体内で,この寄生虫の幼虫は驚いたことにアリの体内で神経節にたどり着き,アリの行動を支配するそうなのである。これに感染したアリは,アリ社会の掟を無視し,集団から離れて背の高い草のてっぺんまで登ってじっとヒツジに食われるのを待つのだそうだ。
 いくら原始的な生物の進化が速いといっても,自然淘汰や適者生存でこんな複数の生物の体内をたどる複雑なプロセスが説明できるだろうか。また,こんなことが現実にあるのなら,そのうちヒトの脳に住みついてその行動をコントロールする寄生虫が現れるということも……。

2000/12/11

これ読みながらウドン,スパゲッティが食えるか!? 『ただいま寄生中』 あさりよしとお / 白泉社(Jets Comics)

Nimg2806【行けっ ジストマ六文銭クラッシュ!!】

 199x年,人類は危機に瀕していた。寄生虫たちがある高校を実験場として人類征服の新兵器を開発しようとしていたのだ。寄生虫たちは人間にとりつき,その脳を支配する。そして政府に入り込んで国を動かし,すべての教育機関を動員して虫を植え付けようとしていた。そんな悪の寄生虫軍団に,健康な宿主との共存を主張して立ち向かった者がいた。さなだ虫を筆頭に回虫・蟯虫・十二指腸虫・アニサキス・日本住血吸虫・肝吸虫・肺吸虫・トリパノソーマ……総勢11匹のさなだ虫&真田十勇士だった。
 彼らは幸村いづみ16歳・高校2年生の中に入り込み,いざというときはワームスーツ用の線虫が彼女の体を被い,正義のスーパーヒロインに変身するのである。

 ……ここまでまとめるだけで,どっぷり疲れてしまった。夜食に……ウ,ウドンだけは嫌だ。

 安永航一郎『超感覚ANALマン』は,「ふとしたことからこのANAL粒子を肛門に入れてしまった菊川肛司は、肛門からぐるっと反転して、全身粘膜の超感覚ANALマンに変身し、悪と戦う羽目に陥る」という設定だった。安永の心の中には月刊コミックコンプ1992年1~12月号の1年で打ちきられた本作に対する熱いオマージュがあったに違いない。なにしろ清楚な少女の腹の中の大量の寄生虫が出入りするのは……。

 あとがきによると,本作は1991年のエロ大規制に逆らい,少年誌の限界に挑む!! という志のもとに描かれたそうだが,規制に対するに寄生とはこれいかに。結局ちっともエロにはならなかった。
 わにゃわにゃとコマいっぱいに寄生虫があふれる描画に「これはアシスタントが大変だねえ」とか思っていたのだが,寄生虫のペン入れにはアシスタントは1コマたりとも手伝ってくれなかったそうである。また,アンケートはほとんど最下位。連載は単行本1冊分で,敵との深刻な戦いが始まったところで終わってしまう。「有刺顎口虫攻撃(別名 雷魚を喰うとコブができる攻撃)」「ジストマ六文銭クラッシュ」など,11種の寄生虫による得意技をそれぞれ用意していたのではと思われるが,残念ながらそれらの設定はほとんど生かされずに終わってしまう。
 しかし,『ただいま寄生虫』から『超感覚ANALマン』に受け継がれたアナル感覚バッドテイストヒーローものはいつの日にか必ずや我が国のコミック文化の大きな幹の1本に……ならん,ならん。

2000/12/10

なぜにこれほどツマランのか… 『おたんこナース』 佐々木倫子 / 小学館

Nimg2796【どんな死がよいのかは医療者も含め誰も決めることはできません。】

 お奨めしたい本はほかにいくらもあるというのに,わざわざ嫌なものを持ち出すこともないのだが,「立場を明らかにしておきたい」とでも言うか,一度きちんと書いておきたい。
 佐々木倫子『おたんこナース』は不愉快だ。

 以前も書いたかと思うが,佐々木倫子『おたんこナース』は500万部を越える大ヒットで,最近は一回り小さいサイズの単行本も発行された。
 最近の佐々木作品についてよく言われることに「綿密すぎる取材」があり,本作巻末にも77人の取材協力者,20に及ぶ取材協力団体,5人のカメラマン名が列挙されている。電話で相談した程度の者も含まれるかもしれないが,それにしても破格の数字ではある。
 マンガというものが視覚に訴えるメディアである以上,ある程度資料や取材が必要なことは言うまでもない。ことに現代の病院を舞台とする本作で治療器具や看護の手順についての嘘,間違いがあってはという意識はごく自然で,そのため努力を惜しまないのは評価すべき点ではあるだろう。しかし……。

 『おたんこナース』ははたして佐々木倫子の作品と言えるのだろうか。
 本作はナース経験者で何冊ものベストセラーを出している小林光恵が「原案・取材」として名を連ねている。そのエッセイ集は看護婦の心理,医療と患者の実情についての実によい書物ではある。そしてそれを知った上で『おたんこナース』に目を通したとき,これは小林光恵の作品のイメージが強い。もちろん絵柄は佐々木のものであり,主人公の新人看護婦・似鳥の素っ頓狂なキャラクターなど,随所に佐々木らしさはある。しかし,佐々木が自由に描いてこうか? と思われる面が少なくないのもまた確かなのだ。

 たとえば添付画像,最終巻の表紙は,似鳥が新人看護婦としての1年を終え,同時に頼りになった主任が個人的な事情で退職する最終話の内容を示したものだが,別れにあたって涙ぐみ手を振る,この構図の凡庸さときたらどうだろう。まるでバレリーナのシューズに画鋲が投げ込まれた時代のマンガの最終回を見るようだ。

 一方,初期の『代名詞の迷宮』収録の「山田の猫」を振り返ってみよう。この作品では,若手の日本画講師の家に奇天烈なファッションの少女・鏑木真理子が妻になりたいと押しかけてくるが,それは彼の恩師の末娘で,彼が母親に連れ添われて恩師のところに見合いに赴くと,そこには真理子を含む恩師の娘4人が並び(他の3人も名を騙り,モデルや生徒として彼の周辺に出入りしていた),その中から気に入ったのを選べと言われる。彼が「猫の仔みたいに」と言う通りまるで人身売買であり,この作者は人権や性についていったいどう考えているのかと首を傾げざるを得ない。
 しかし,「山田の猫」はエキセントリックな末娘・真理子ともども実に魅力的だ。破天荒な設定だからこそそこには発想の翼,描写の自由が感じられるからである。

 それに比べると,現状チェックに凝り固まった『おたんこナース』はのびやかさに欠け,作者が描画マシンであるかのような思いを打ち消せない。もちろん,原作付きは駄目,資料チェックは不要とか言うことではない。原作や取材がより高いクオリティを生む例もある。しかし,必要以上の取材,調査へのこだわりは,役に立たないから,現実に史実に即してないから,とマンガを切り捨ててきた側の精神であり,あらゆるマンガ,物語の敵ではないのか。

 ちなみに最終巻の「あとがき」の著者は小林光恵であった。『おたんこナース』が誰の本であったか如実に示しているような気がする。

2000/12/09

「ヒカ碁」でブレークした小畑健の好編 『魔神冒険譚ランプ・ランプ』 小畑 健 / 集英社(ジャンプ・コミックス)

Nimg2780【オレは誰のいいなりにもならねんら──っ!!】

 小畑健のデビューは,10年ほど前,少年ジャンプ誌上に土方茂名義で連載した『CYBORGじいちゃんG』。農夫にして天才科学者の改造時次郎が農作業用サイボーグに自らを改造してアナーキーに大暴れ,というギャグマンガで,そこそこ人気を博したものの単行本4巻で打ち切り。CYBORGばあちゃんQのヤングモードがギャグマンガとしては異様なまでに美麗だった。
 同時期の少年ジャンプには,たとえばこせきこうじ『県立海空高校野球部員山下たろーくん』,にわのまこと『The Momotaroh』が載っており,同じようにアクションとギャグをメインにした作品でありながら,決して絵が巧いとは思えないこせきやにわののほうがずっと少年ジャンプらしいパワーがあって不思議に思ったものだ。ちなみに,土方はデビュー直前はにわのの元でアシスタントをしていたらしい。

 『魔神冒険譚(アラビアン)ランプ・ランプ』はその土方が小畑健とペンネームを変え,原作に泉藤進をつけて連載したもの。といっても泉藤進原作の作品はこれしか見当たらず,何者かはわからない。
 魔神と人間が平和に共存していた世界は,邪悪の化身ドグラマグラが現れて以来崩れ去った。いまや魔神たちは人々を蔑み苦しめるだけの存在。そのドグラマグラと対立していた魔神ランプが100年ぶりによみがえり,封印を解いたトトやその姉ライラの願いに応えてドグラマグラと闘う。ドグラマグラの正体は。そして,アラビアンゲートの謎とは。

 本作の小畑健は,ともかく描線が美しい。キャラクターが巧い。無造作に選んだページがそのままポスターの原画になりそうな,そんなクオリティである。また,敵・味方のキャラクターはそこそこ個性豊か,武器や闘い方もアイデアにあふれる。人間の娘ライラは可憐,敵側の千眼魔神(女にしか見えないが男言葉)はセミヌードで色っぽい。それぞれの敵と戦う過程,ひ弱な人間たちの見せる勇気……などなど,見所は少なくなく,単行本3巻はバランスよく今も読み返しに耐え,とくに最後の宿敵ドグラマグラとの闘いは圧巻。

 ところが,それではダメ。メジャーになれない。その理由が,うまく説明できない。
 鳥山明『DRAGON BALL』も,実のところストーリーが破綻し,キャラクターのインフレーションが起こったところから人気が爆発したように見えた(アニメ化の影響もあるだろうが)。『アストロ球団』や『リングにかけろ』などと同じように少年ジャンプの伝統「友情・努力・勝利」にちゃんとのっとっているように見えるのに,『ランプ・ランプ』にはいったい何が足りなかったのか。
 あるとしたら絵柄やストーリーが几帳面にまとまりすぎていること。少年ジャンプでブレークするには,なんらかの「破綻せんばかりの過剰さ」が必要だったのかもしれない。ふと,少年サンデーに連載されていたらどうだったのか,などと思ったりもする。
 
 小畑健はその後
  『力人伝説』(原作:宮崎まさる)
  『人形草紙あやつり左近』(原作:写楽麿)
と原作付きで描き続け,
  『ヒカルの碁』(原作:ほったゆみ/梅澤由香理)
にいたってようやくメジャーの仲間入りを果たした。『ランプ・ランプ』と何が違うのか,今読み比べても……やっぱりよくわからない。

2000/12/07

読まずに曲がるな 『白いメリーさん』 中島らも / 講談社文庫

Nimg2762【ライブ・イン・エレベーター】

 きょうび,作家,ものかき,ぎょーさんおるけど,ダンディーっちゅう言葉が最も似合う現役作家は誰やろなぁ。
 そこでぽんっと頭に浮かんだのが,中島らもはんの顔。

 どえっ,て? そりゃ似合わんわなあ。なんせ,「なにわのアホぢから」「アル中」「とほほオヤジ」「ぼーっ」「かねてっちゃん」,天下の大朝日であの『明るい悩み相談室』を延々連載した,あのなんやよーわからんおっちゃんや。
 しやけどな,あんた,ただのアホに『愛をひっかけるための釘』なんて本のタイトル,付けられまっか。そこらのアル中が『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』やなんて照れんと言えまっか。『永遠(とわ)も半ばを過ぎて』も『人体模型の夜』もそこらのオヤジのセンスとちゃう。ぼーっとしとるんと『水に似た感情』は別もんや。

 ええか。笑われるんとお笑いは,別もんや。お笑いちゅうのんは,自分,捨てること。腹ん中の,にがーて重いもんを口から全部吐き出して,きーろいすっぱいもんも全部吐いて,ほんで残ったもんで勝負するんがお笑いや。ははあ,そうゆーの,おーとまてずむ言わはるんでっか。ま,そんなもんやね。アル中で肝臓がぱんぱんになったのを,センセイわて子宮外妊娠や,責任とってえなっちゅうて神妙な顔する,そのくらいでけてやっと入り口。奥が深いねん。深すぎて,ときどき抜けんようなって往生するけどな。
 そやから,中島らもの『白いメリーさん』に入ってる話は,都市伝説がすうっと身近に寄ってくる「白いメリーさん」もエイプリルフールの人殺し版「日の出通り商店街いきいきデー」もへび女の出てくる「クロウリング・キング・スネーク」も,1コ1コがしみじみコワい。笑いをとれるらもはんが書いたんやからね。いみてーしょんごーるどの山口百恵の表情ナシともうおんなし,シガラミやら気取りやらからブチィッとキレてへんと出てこんコワさやね。それをわてはダンディー,ちゅうてるわけや。ダテやないで。おっとちょっとサブかったな。

 あーあー,それにしても,このエレベーター,どないなってんのやろ。もう3日も4日も昇るばっかりでもみないなあ。なにしてんのん,あんた。暑いんか,上着なんぞ脱いで。ありゃりゃ,す,すかーとまで。むぐぐ。うぷう。あかんあかん,わし,そーゆーの苦手やねん。そーゆーのより,人に本のなかみ説教するほうが好きなんや。
 もう聞きとない? 泣いていやがってもあかんて。まだまだぎょーさん,書評のネタだけはあるさかいになあ。

人,人として 『白眼子』 山岸凉子 / 潮出版社

Nimg2739【よかった光子の役に立ったんだ】

 山岸凉子の作品には,はずれがない。デビュー当時の短中編はともかく,ここ20年以上,大きくがっかりしたという記憶はない。絵柄が甘い,ストーリーが甘い,とちりちり感じることはあっても,何度か読み返すうちにすきまだらけのようで実は細部にまで気をつかったプロットのすさまじさに殴られたような気分になることさえある。
 逆にいえば,そのぶん予想を上回る大傑作という手応えはめったに得られず,最近の長編『ツタンカーメン』『青青の時代』などのように,頭ではそれなりと思いつつ,食い足りない思いにかられることもなくはない。

 が,しかし。
 この『白眼子』にはもうまいった。『青青の時代』第4巻からたった3か月の発行に,その連載中あるいは終了後に散発された気楽なスケッチ風短編集かと勝手に思い込んでいただけ,その落差に驚き,展開に驚き,電車の中でドアにもたれたまま後半には不覚にも目頭が熱くなってしまった。

 主人公・光子は昭和21年10月に北海道小樽の市場で置き去りにされる。4歳か5歳のときである。雪に濡れ,寒さに震える彼女は通りがかった盲目の霊能者・白眼子とその姉・加代に引き取られる。加代は「美人だが酷薄そうな唇の女」,便所に行けずに阻喪をした光子をぶつなど世辞にも穏やかなタイプではない。このあたりのページから伝わる「寒さ」「冷たさ」加減は尋常でない。
 一方の光子も,マンガの主人公にしては可憐な容貌とはいえず,三白眼でおでこが広く,眉間から尖った顎にかけて3つのホクロが斜めに並んでいる。光子は頬のこけた和服の青年霊能者,白眼子のもとに運命観相を求めて訪れる客の案内をすることになる。物語はそれからおよそ25年,光子の視点で描かれる。

 「人生万事塞翁が馬」という言葉がある。人生の禍福,幸不幸は変転して定まりがない,といったような意味で,似たような言葉に「禍福は糾える縄の如し」もある。「児孫のために美田を買わず」「損して得とれ」などはそのバリエーションといえるかもしれない。では,私たちには何ができるのか。どう生きればよいのか。
 無口で何を考えているのかよくわからない白眼子は自らの力について「光子は知らないほうがいいよ。これは両の眼の力と引き換えなのだから」,「どうやら人の幸・不幸はみな等しく同じ量らしいんだよ」と静かに語る。そこに,光子を訪ねてきた若い娘があり……。

 本書は創価学会系の潮出版からの出版物であり,表紙もご覧のようにいかにもの宗教臭が漂う。霊能者を描く本作は,もちろん超常的な,霊的な世界観に基づいて書かれてはいるが(凡百の怪談譚よりよほど怖いシーンもある),作者・山岸凉子がそれをどれだけ信じているのかは実のところわからない。
 また,本書の白眼子という人物が実在の人物なのかそうでないのか,少し調べただけではわからなかった。山岸凉子は実在の人物や既存の作品から想を得ることが少なくないので,本作にもモデルとなった人生があったのかもしれない。

 しかし,それらのことが一切気にならないほどに,たった150ページあまりの本作は淡々と,しかしゆるぎなく光子の人生を描く。某局の大河ドラマの肩書きが虚しいほど,ここには豊かで大きな河が流れている。
 どうか,表紙のお地蔵さまに引くことなく,手に取って読んでみていただきたい。

2000/12/06

[雑談] 西池袋~目白の迷宮

 都内の道について少し書いてみよう。

 終戦直後の混乱期に起きた大量毒殺事件・帝銀事件。その犯人と目され,死刑囚として39年を獄中で過ごし,無実を訴えながら死んだ画家・平沢貞通。彼がもし本当に犯人で,犯行時刻に帝銀椎名町支店に到達するためには……彼は池袋駅で下車,西口(現在,東武デパート,東京芸術劇場,メトロポリタンホテル等のあるほう)に出て立教大学の手前を左に曲がり,大学の裏の小道をまっすぐに西武池袋線椎名町駅方面に向かったはずである。
 その道の途中の小さなアパートに,烏丸は住んでいた。そのころ,その部屋の鍵はいつも開いていた。誰がいつ来てもくつろげるように。
 椎名町駅に近い帝銀跡地は不動産屋のモデルハウスになっていたが,今でもそうかどうか。

 平沢が急いだという小道の途中でさらに左に曲がり,西武池袋線をまたぎ越えて進めば下落合,中井方面に出ることができる。少なくとも地図の上ではそのように見える。
 しかし,この,西池袋から目白にまたがる地域は,おそろしく道が複雑に絡み,うねり,まるで迷路のようなのだ。下落合は西だから,と,なんとなく太陽を目指して歩いて,ふと気がつくと太陽が背後にあって愕然としたりする。あるいは,ようやく西武池袋線の踏み切りをまたいでほっとすると,その道はほんの十メートルも行かないうちにUの字を描き,また線路に戻る。

 目白の名の由来は天台宗三世の慈覚大師が開いた目白不動尊だという。山手線の駅名に目白,目黒とあるのでこの2つの不動尊の名は親しいが,実は都内には「江戸五色不動(府内五色不動)」,すなわち目青,目赤,目白,目黒,目黄の5つの不動尊がある。
 東京に5つの不動尊があるということを推理小説の中で紹介したのが中井英夫『虚無への供物』。言うまでもなく日本探偵小説史上にそびえたつ小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』,夢野久作の『ドグラ・マグラ』と並ぶ三大奇書,三大反推理小説(アンチ・ミステリ)の高峰の1つである。
 『虚無への供物』によると,青,赤,白,黒,黄の五色はその順に東・西・南・北・中央を表すそうで,作品中には嬉しいことに西池袋の道が迷路のようだと言うことも記されている。もちろん「高峰」と言われるほどの作品である,この程度のネタばらしをしたところでびくともしない。

 西池袋から目白に抜ける数少ない真っ直ぐな細い道の途中には「すいどーばた美術学院」があり,キャンバスを手にしたきゅっと唇の美しい女性が道を行き交う。なおも南に進むと左手には石塀と古木に囲まれた煉瓦造りの壮麗な徳川黎明会(尾張徳川家の資料散逸を防ぐために設けられた財団)の本部が見えてくる。
 金井美恵子がエッセイ集『夜になっても遊びつづけろ』の中でこのあたりでよくすれ違うと記した「奇妙な格好(たとえば三センチ角の赤と白の格子のシャツ,七センチ幅の緑とブルーの横じま等)が板についた小柄な青年」,この「年齢不詳といった印象で優しい顔立」をしている青年が実は楳図かずおである。

2000/12/04

トホホな犯人,警察もトホホ 『事件のカンヅメ』 村野 薫 / 新潮OH!文庫

Nimg2699【貴弘 嫌疑晴れた帰れ 美和子】

 少し前にも触れたが,最近,文庫のお色直しや新規参入が続いている。中でも「光文社知恵の森文庫」と「新潮OH!文庫」は個人的に肌が合うようだ。もっとも「知恵の森文庫」は光文社文庫の一部の装丁を変えたもので,なにしろカッパブックスを抱える会社だけに備蓄が豊富。一方の「新潮OH!文庫」は『恐るべきさぬきうどん 麺地創造の巻』,『オタク学入門』,『漫画の時間』など,なかなか新味が感じられてよろしい。

 本日ご紹介する『事件のカンヅメ』は新聞の三面を沸かした犯罪を振り返るというもので,決して突出したクオリティではないが週刊誌的に気楽に読めて楽しい。「思わずトホホな犯罪テンコ盛り」というサブタイトルからはB級事件物かと思われるが,扱われるのは誘拐,放火,脱獄,銃乱射,ハイジャック,毒殺などその折り折りに朝刊一面を飾ったに違いないシリアスな事件で,しかし犯人の動向をこまめに見ると情けない,そんな内容である。細部の真偽は不明だし資料性も高いとは言えないが,出張途上の時間つぶし等には最適だろう。

 まずは「カネは天下の拾い物」と題し,拾得者成金になるにはというお話。埼玉県だけでも現金を落としたり置き忘れたりといった遺失届けがなんと約19億円(95年),JR東日本で約14億円(92年)。しかし公道上に落ちているお金の場合どんなに早く見つけても実際に拾わない限り拾得者としての権利は生じないそうだ。ともかく拾うべし。

 新聞社会面の尋ね人欄,「準 連絡待つ 姉・兄」とかいうアレだが,実はそれを利用して脅迫者とのやり取りが行われることもあるらしい(横浜銀行の顧客リスト流出事件,小学生誘拐監禁事件,かい人21面相事件など)。また,求人欄を利用して保険金殺人や誘拐の対象を漁ることもあるようなので油断できない。
 なお,グリコや森永から金を強奪しようとした稀代の知能犯「かい人21面相」は,その11年前の大阪ニセ夜間金庫事件,デパート脅迫事件と同一犯ではないかと取り沙汰されたそうな。

 また放火について,理容店を営む男が休日のサウナの帰りがけに放火する「火曜日の放火魔」,あるいはジャイアンツファンによる「巨人軍敗戦日の放火魔」など,情けない例も紹介されている。

 ところで本書でも16件のうち「政治や思想的動機で実行されたのは最初の『よど号』事件だけ」と指摘されているように情けない犯人の多いわが国のハイジャック事件だが,99年7月の全日空機ハイジャック事件についてはこの烏丸,少々納得のいかないことがある。
 この事件の直後のテレビニュースで,アナウンサーは「機長の機転」と言った(本当)。
 犯人がスチュワーデスを脅してコックピットに押し入ろうとした際,操縦桿を握っていたのは副操縦士で,機長はノックの音に様子がおかしいと覗き穴から状況を覗き,自らドアを開けた……ということを報道するのに,なぜ「ドアが開けられたのは機長の機転であったことがわかりました」となるのだ?
・(飛び道具でも爆弾でもない)セラミック包丁を持った犯人をコックピットに進んで招き入れ
・結果的に操縦桿を握らせ
・推定200メートルという低空飛行で500人の乗客の命を危険にさらした
のは,まさしくその機長ではないか。刺されて亡くなったことは気の毒としても,どこにも英雄的な要素はない。
 これがなぜ,その後のテレビ報道や雑誌グラビアでは「516人を守った機長」一色になってしまうのか。

マンガを語る試み 『マンガと「戦争」』 夏目房之介 / 講談社現代新書

Nimg2682【ゴルゴの内面や自意識は意味をなさず,そのぶんだけ悲劇は軽くなる】

 著者・夏目房之介は夏目漱石の孫だが,それとは全然関係なく,他者のマンガ作品を語るのに自らのペンでキャラクターやコマを模写し,その上でその描線やコマ割り,動き,記号,セリフ等にいかなる意味がこめられているかを分析するという説得力溢れる手法,いわばマンガに対するアグレッシブな批評法を確立したマンガ評論家である。とくに『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』は戦後スポーツマンガを容赦なくエグる,マンガ界の死海文書ともいえる名著。もちろん,アグレッシブな批評だから正しい,などという論拠はなく,好みが噛み合わない点だって多々あるだろうが,夏目がマンガを読み,語ることの領域を広げてくれたことは間違いない事実だろう。
 ただし,本書『マンガと「戦争」』では,ストーリーやセリフに重点が置かれたためか,引用は模写ではなく単なるコピーである。

 本書で夏目は,手塚治虫,ちばてつや,水木しげるから宇宙戦艦ヤマト,大友克洋,ナウシカ,エヴァンゲリオンにいたる,戦後のマンガやアニメが,戦争をどうとらえ,どう描いてきたかを分析する。
 手塚的未来破局SFにおけるユートピア思想がデビルマンによって覆され,さらにAKIRAによって皮膚の境界線を喪失していき,戦争が個人のトラウマの中に埋没するエヴァにいたる……といった歴史観から,『沈黙の艦隊』の海江田艦長のアップが連載初期の三白眼のキツネ目の「欧米人には日本人の表情って,こんな風に不気味に見えるんじゃないか」から,国連会場で米大統領と向き合う場面では「体格も表情も米大統領と遜色ない」,いわば世界や米国に対して理念として堂々と対峙したい日本人の理想像に変わっていく(これは鋭い),といった各論まで。
 ただ,確かに随所に鋭角的な洞察,論理展開はあるのだが,強いていうなら,あまりに論旨が明快すぎて「個々の作品世界をそんなシンプルにまとめて大丈夫か」と心配な面はある。また,戦争という切り口に限っても,取り上げられた作品が少なく(たとえば少女マンガは1作も触れていないし,『はだしのゲン』を含め被害者サイドに視点をしぼった索引はほとんど扱われていない),単行本としてはせめてこの十倍のページは必要なようにも思われる。早い話がテーマのあまりの重さに対し,中身が十分厚いとは言えないのだ。引用のカットが多いこともあって,1時間もあれば目を通せる……というのは,やはり短すぎだろう。終戦後55年が1時間。5時間,10時間ならOKかといえば,そんな問題ではないが。

 それでも,自分の言い著したいことのために作品を引き合いに出すマンガ批評,あるいは「今日は遠足に行きました。とても楽しかったです。」レベルの感想文が多い中,夏目房之介の作者憑依型(?)批評のリアリティは捨てがたい。
 マンガについてあれこれ考えたい,表現したい向きには,とりあえずお奨め。

 ところで,夏目センセイもおっしゃっておられるが,大手出版社はマンガで儲けている割りにはマンガの資料整備に冷たい。単行本収録作品に初出が明記されてないなど論外,どこか,大枚はたいて年度別日本戦後マンガ全史ハードカバー全55巻をまとめてくれないものか。夏目センセイやオタキングらを動員して,1巻2,000円,1セット110,000円なら買うぞ。きっと。えー,家人さえ了解してくれれば。多分。

2000/12/03

安楽椅子探偵短編集のイチオシ 『ママは何でも知っている』 ジェイムズ・ヤッフェ,小尾芙佐 訳 / ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス

Nimg2673【あんた方のおつむも少ししめあげるんだね】

 先だって酷評した芦原すなおの『ミミズクとオリーブ』だが,これが何を狙ったものかといえばそれはもう間違いなくヤッフェの「ブロンクスのママ」シリーズだろう。

 毎週金曜日の夜,ママの家を息子のデイビッドとその妻シャーリイが訪ねてくる。デイビッドは殺人課に務める刑事,美味しいチキンを食べながら彼が話題にする事件を,ママはいとも簡単にくつがえしてしまう。
「3人の中に彼女を殺した者がいるのは間違いないのに,誰が犯人か決め手がないんだ」
「まったくあんたたちときたら,鼻の先も見えないんだから」
 ロシアからアメリカに渡ってきたユダヤ系移民の娘で,ブロンクスに育ち,貧しい生活の中で誰にも欺かれないよう目を配り続けてきたママにとって警察の調査など児戯にも等しいのである。

 「ブロンクスのママ」がエラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン(EQMM)に登場したのは1952年。知名度が今ひとつなのは,アメリカでは短編集の形でまとめられておらず,このようにまとめてママの推理が読めるのは日本だけなのだそうだ。逆に日本での本書の人気はなかなかたいしたもので,早川書房の『ミステリ・ハンドブック』(1991年)でのミステリ短編ランキング第10位,光文社『EQ』130号のオールタイム・ベストでも第9位,光文社『文庫の雑誌 本格推理12』アンケートでもルルーやフィルポッツと並んで作家名の8番目に名が挙がる。

 収録作品はいずれも短く,基本的には先に書いたようにママのところに息子夫婦が集い,手料理を美味しく食べながら事件の話題が提出され,明らかと思われる容疑者にママが疑義をはさんで2,3質問をし,その答えにママが事件の真相を確信する,という具合。従兄弟や近所のつきあいなど,ママがこれまでの人生で出会った人々の他愛ない行為が事件を解くヒントになるあたり,クリスティのミス・マープルものも思わせる。
 ママは誠実で情に厚いが,息子をいつまでも子供扱いしたり,嫁と競い合ったりと,それなりに煩わしい面もきちんと描かれる。登場する殺人事件はいずれも金や愛情のもつれによる市井のトラブルで,凶悪な連続殺人鬼などは登場しない。しかし,事件にいたる犯人や容疑者の事情,ママの謎解きの説得力は行数を費やしてないわりには重厚で,ことに老人がかかわる事件,子供がかかわる事件についてのママの反応はシリアス。『ミミズクとオリーブ』などこれに比べればピースが2つか3つしかないジグソーパズルにしか見えないほどだ。
 書かれたのが半世紀も前だけにタッチが古いのは否めないが,ミステリ好きな方にはチェスタトンの『ブラウン神父の童心』,アシモフの『黒後家蜘蛛の会』などとともにぜひ読んでいただきたいと思う。

 ……なんてエラそうに書いてはいるが,この烏丸,実は以前本作を「ハヤカワミステリ文庫」収録作品と思い込み,「こんなにあちこちで絶賛されているのに,なぜ本屋で見かけないのだろう。古いから品切れなのかしら」などと困ったちゃんなことを言っていたのであった。縦長版形のハヤカワ・ポケット・ミステリのほうだったですわ。

2000/12/01

光あるところに影がある 『史上最強のオタク座談会 封印』 岡田斗司夫・田中公平・山本 弘 / 音楽専科社

Nimg2646【トトロの森のエコ・ジジイ(笑)】

 やはりオタクたる者,無難に嫌われない安易な道よりは己の信じるイバラの道を歩むのが正しい「若さゆえの過ち」である。本書はオタキング・岡田斗司夫,正しい音楽家・田中公平,と学会会長・山本弘による鼎談であり,『オタク学入門』から一歩進んだオタク学応用編と言えよう。
 もともとは音楽専科社の「hm3」(hm3は「Hyper Multimedia Music Magazine」の略,実のところ季刊の声優雑誌である)に掲載された対談で,「あまりにやばい」と削られた部分までかなり忠実に再現したものである。確かに相当やばい。アニメ雑誌ではまず掲載は不可能だったろう。

 内容は
  宇宙戦艦ヤマト徹底大研究
  起動戦士ガンダム徹底大研究
  宮崎アニメ徹底大研究
  付録ノストラダムス大いに笑う
に分かれ,基本的にはヤマト以来のアニメ制作にまつわる「ウォッチャー」及び「現場者」としてあれこれ語り合うというもの。
 ともかく,危ない裏話にはことかかない。あるところで「××××は」などと匿名にしてあるので,「そうか,さすがにこれは匿名扱いなのか」と思いつつ読み進むと,ほかの章の内容を重ね合わせればしっかり名前や仕事がまるわかりになったりする。大丈夫か。

 たとえば,オタキングが宇宙戦艦ヤマトのスタッフルームへ遊びに言って「ヤマトの設定見せて!」と言ったら,全員顔を見合わせるという。ものすごいデカいキャビネットを開いたら,180センチぐらい紙が積んであって,しかもそのドアに「1」と書いてあるというのだ。スタッフとの打ち合わせや大学教授を招いてのブレイン・ストーミングを全部テープ起こししているらしい。内容はアイデアの宝庫で,これから発表されるSF作品はすべてその中にあるのではと思われるほどだが,量が多すぎてもう誰も活用できない。

 あるいは,

田中 ●本●之さんがね,あの人幽体離脱できてん,昔。で,ある声優さんに「昨日,君の部屋へ行ってきたよ」って行って,(中略)「ベッドの上に赤いタオルがあったでしょ」「ええ~っ!?」ってゾッとしたって話があったよ。
山本 それ,窓からのぞいたんちゃいます(笑)?  

 もしくは,実はドラえもんの声優とのび太君の声優は無茶苦茶仲が悪く,狭いアフレコ室ではしとはしに座っているらしい。ほかの声優が気を遣って大変そうだ。

 さらに,

田中 『ガオガイガー』の1話が(セルが)1万2000枚なんですよ。バカでしょ?
山本 バカですね(笑)。
田中 何を考えてんねん。初めにそんなやったら,あとはどないすんねん!?言うて。

岡田 筒井康隆ヘンですよ。やっぱちょっと神経症的なところがあって。話してる時にこやかなんですけどね。家帰ったら「あれはああいう意味やったに違いない…!」と思って電話かけてくるんですよ。「君はこういう意味で言うたね!?」「言うてまへん…」(笑)!

岡田 (ガンダムの富野はモビルスーツに)性器つけるんですよ。女性器か男性器かどっちか。で,メカの話する時も,すぐそういう下ネタに走るんですよ,打ち合わせが。
(中略)
山本 じゃあやっぱり,シャアがララァをバイブ調教したって話もホントやないかなー(笑)?

 ……などなど,ああもう! きりがない!

 ガンダムや宮崎駿の悪口は許さない,というファンは読まないほうがよいかもしれない。……いや,むしろ読んでほしい。
 オタクの道は批評の道。妄執はオタクのわざではないのである。

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