« 本の中の強い女,弱い女 その五 『イキにやろうぜイキによ』 聖千秋 / 集英社 | トップページ | 本の中の強い女,弱い女 その七 『めぞん一刻』 高橋留美子 / 小学館 »

2000/10/31

本の中の強い女,弱い女 その六 『ルネサンスの女たち』 塩野七生 / 中公文庫

Nimg2089【困難,困難,悲劇,困難】

 たとえば,「曲がった線は面白く,真っ直ぐな線は美しい」という視線なしにカンディンスキーの絵を見ても,何かを得るのは難しい。順位だけにこだわって路上のアスリートを見ても,その躍動を感じとることはできない。
 同様に,塩野七生のイタリア本が面白いのは,そこに塩野ならではの歴史上の人物たちへの視線が生きているからだ。では,その視線をプリズムで分解したら,何が見えてくるだろう。

 たとえば,ルネサンス期に,古代ローマの真・善・美の復興を求める人々の心。それは,若い枝が水と光の力で伸びるように,強く高みを目指す。
 あるいは,権力。それを得るためにあらゆる権謀術数が張り巡らされ,武力,経済力が培われ,いっそすがすがしいばかりに闘いが展開される。
 領土を守ることと至高の芸術家を招くことが不可分な,夢のような,栄光の時代。

 そして,分解された塩野の視線が再び像を形造るとき,我々はそこに法王アレッサンドロ六世の息子にしてマキャベリが絶賛したチェーザレ・ボルジアという,突き抜けて生臭く,生臭さが英雄の領域にいたる稀有な人物を見る。
 塩野のチェーザレへの賛辞は,たとえばこんな一節に垣間見ることができる。
「人々は,彼らの中に,永遠の青春を見出すのだから。青春は美しい。とくにそれが,むやみと感傷的に浪費されるのとは違い,現実に足をふまえ,冷静な精神とともに大胆に発揮されたときにはなおのこと。」
 彼女の初期の作品は,常にこのチェーザレからスタートし,チェーザレに戻る。

 『ルネサンスの女たち』はそんな塩野七生の最初の著作で,チェーザレとほぼ同時代に生き,マントヴァ,フェラーラという小国を再三脅かす危機と闘う「ライオンと狐の結合」イザベッラ・デステ,チェーザレの妹で,兄の政略の道具とされながらそれなりに悠々と生きたルクレツィア・ボルジア,チェーザレと闘って敗れたもののラ・ヴイラーゴ・デイターリア(イタリアの女傑)と称えられた美しくも残忍なカテリーナ・スフォルツァ,キプロス王妃となり,ヴェネチアの崇高ともいえる偽善の中に超然と生きたカテリーナ・コルネール,この4人の女を描き上げる。

 塩野の筆はそこいらの男性よりよほど合理主義的,現実的で,ルネサンス期の書物のみならず,手紙,外交文書などの原史料の詳細な調査の積み重ねの上に築き上げられていく。その作品の手応えは,温もりある肌や血よりは大理石の彫刻のようにソリッドで,「物語」「小説」という言葉ではくくりがたい人間の確かな姿が浮かび上がる。下世話だが崇高,残虐だが美麗,明晰にして誇り高い人生の数々。

 ちなみに,著者が「ビスケットだって箱の上に明記してあるではないか」とあとがきに用意してくれた『ルネサンスの女たち』の成分表は次のとおり。
  政略結婚 八
  戦争   二
  略奪   二
  暗殺   六
  恋    四
  牢獄   二
  強姦   一
  処刑   四
  そして,権謀術数にいたっては数知れず。

« 本の中の強い女,弱い女 その五 『イキにやろうぜイキによ』 聖千秋 / 集英社 | トップページ | 本の中の強い女,弱い女 その七 『めぞん一刻』 高橋留美子 / 小学館 »

時代・歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 本の中の強い女,弱い女 その五 『イキにやろうぜイキによ』 聖千秋 / 集英社 | トップページ | 本の中の強い女,弱い女 その七 『めぞん一刻』 高橋留美子 / 小学館 »