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2000/10/10

時代小説エスピオナージのイチオシ 『影武者徳川家康』 隆 慶一郎 / 新潮社

Nimg1676【それではやむをえんな】

 関ヶ原合戦の間際,徳川家康は島左近配下の刺客に殺された。徳川陣営は苦肉の策として影武者・世良田二郎三郎を家康に仕立て上げる。しかしこの二郎三郎,只の影武者ではなかった。かつて一向一揆で「信長を射った男」として知られるいくさ人であり,しかも十年の影武者生活で家康の兵法や思考法まで一切を身につけていたのだ……。

 作者の隆慶一郎は,編集者,大学助教授の職を経て,シナリオ・ライターとして活躍。60歳を過ぎて初めて小説『吉原御免状』を上梓した(一説に,恩師・小林秀雄が生きているうちは怖ろしくて小説など書けなかったためだという)。その後数年,矢継ぎ早に凄まじい量,質の時代小説を連発し,6年後には亡くなっている。まことに彗星のごとき光芒。
 戦国のかぶき者・前田慶次郎を描いて余りない『一夢庵風流記』は『北斗の拳』の原哲夫によって漫画化され(『花の慶ニ』),そちらも絶大な人気を博している。

 『影武者徳川家康』は隆慶一郎全作の中でも作者の面目躍如,気迫溢れる文字通り代表作と言ってよいだろう。実際,『影武者徳川家康』には,作者が再三扱った,いわば「お得意の主題」が目白押しに登場する。
 一つ,家康替え玉説(関ヶ原合戦の前後で家康の態度が別人のように変貌することから,別人説を取るもの。明治期の村岡素一郎著『史疑徳川家康事跡』に端を発し,南條範夫『願人坊主家康』『三百年のベール』に受け継がれる)。
 一つ,『一夢庵風流記』に通ずる,「いくさ人」の壮烈な生き様,死に様への礼賛。
 一つ,「上なし」,「道々の輩(ともがら)」と呼ばれる,荘園や武士の支配から逃れた漂白の人々,すなわち傀儡子,海民・山民,忍者らが日本の歴史を裏から支えてきたとする考え(歴史学者・網野善彦氏の所説による)。
 一つ,『吉原御免状』に通ずる,公界(自由都市)を舞台とするユートピア願望。
 一つ,秀忠の性残忍さ,柳生の陰湿な陰謀への嫌悪。

 なあんてね,こんなコウルサイ理屈をうだうだ書かずとも,兎に角痛烈で爽快で,どこから何度読み返してもついつい没頭してしまう,よくできた小説。文章も美文かどうかは別として,読みやすく,平らな中に魂魄溢れ,しかも丁丁発止の諜報戦を描いてエスピオナージとしても一流,元気出ます。

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