前向き小説のイチオシ 『催眠─hypnosis』 松岡圭祐 / 小学館文庫
【ワタシハ友好的ナ,ミドリノ猿デゴザール】
売れない催眠術師・実相寺則之を尋ねてきた中年女(入絵由香)は,雷鳴とどろく中,甲高い笑い声をあげて自分はファティマ第七星雲のミナクス座からやってきた友好的な宇宙人だと言い出す。そして彼女は,全身みどりいろの猿にかけられた催眠術を解いてほしいと言うのだ。
いくつもの名を使い分け,相手の思考を読み,ジャンケンに決して負けない由香の能力に驚いた実相寺は,彼女を占いの店で売り出そうとする。そこに<東京カウンセリング心理センター>の催眠療法科長・嵯峨敏也が現れた。嵯峨は由香が解離性同一性障害(多重人格障害)であり,治療が必要だと考えたのだ……。
ストーリーは,嵯峨が由香をカウンセリングに持ち込もうと奮闘する様を主軸に,登校拒否児童やパチンコ依存症など,カウンセリングを必要とするさまざまな症例,治療譚が絡まって展開していく。絶妙な伏線の綾に,読み手はただページをめくるしかない。
全体的には,いたずらにホラー,サスペンスに走らず,催眠療法やカウンセリングについてこつこつと啓蒙を重ねるような印象。登場人物の多くが前向きな善人であり,とことんの悪人や悲劇,殺人は描かれない。この美点はクライマックスでのどんでん返しには向かなかった模様で,エンディングのテンションは期待したほどではない。
それでも,冒頭の入りのよさ,1冊通しての面白さなど考えると実によくできた作品で,複数のカウンセラーを主人公とした,さわやかな青春小説の傑作と言うべきだろう。
……と言う書評では,『催眠』は終わらない。本書のこれらの特徴,さらに著者近影に添えられた「臨床心理士」の肩書きに,往々にして読者は「学者あるいは医者が,その専門知識をもとに余技で書いた小説だろう」などと考えてしまうが,それではアンミツにメープルシロップぶっかけるくらい甘いのである。
作者は『催眠術バイブル 他人を操る驚異のテクニック』『松岡圭祐の催眠絵本ダイエット 眺めるだけで,やせる!』『松岡圭祐の催眠絵本・禁煙セオリー 眺めるだけで100%タバコがやめられる!』など,かなりアヤシゲな催眠術本の著者であり,さらにはフジテレビ関東圏深夜のエロ番組「A女E女」で若い女性を脱がせ,艶声をあげさせた催眠術師でもある。また,カウンセリングの実態や解離性同一性障害の症状は本書のようなものではない。つまり,本書に書かれたリアリティ溢れるあれこれは,大半が作者の「創作」であって,学者の余技などではない。つまり,作者は徹底してしたたかな(もちろんよい意味で)一人前の小説家なのである。
<東京カウンセリング心理センター>という全く架空の組織と人間関係を描くだけでなく,その組織の限界や問題点まで読者に啓蒙してしまう才能は一種破格のものだ。まれに見る知的ゲームと言えよう。そんな作者の力量は,およそ原作と似ても似つかぬB級サイコホラー映画『催眠』のシナリオすら論理的に取り込んだ次作『千里眼』で明らかになってくる。
ところで全くの余談だが,主人公・嵯峨敏也の持ち歩くノートパソコンがPanasonic PRONOTE FGだったのには,思わず頬がゆるんだ。70cmの高さからコンクリに落としても大丈夫という米軍お墨付きのこのFG,本体がそこまで丈夫だと販売時の段ボール箱は薄い一重で十分なのだ。また,分解してみるとハードディスクが透明なゼリー状の物質でガードされていたことなど思い出す。
ただ,お医者の持ち歩きPCといえば,普通はPowerBookかThinkPadだと思うのだが……?
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