2026/06/25

ロシア人のお名前(敬称略)

ロシアの方のフルネームは
  ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン
  ロジオン・ロマーヌィチ・ラスコーリニコフ
  アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワ(*)
  ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
のように「名前・父称(父の名前に「~の子」の語尾を付けたもの)・姓」の組み合わせとなっている。

*『罪と罰』に登場するラスコーリニコフの妹。女性の場合、父称の語尾が「~ヴナ」や、姓の語尾に「~ア」などがつく。兄妹で世界ランキング1位をなしとげたテニスプレイヤーのマラト・ミハイロヴィチ・サフィンは兄、ディナラ・ミハイロヴナ・サフィナが妹。

この三段構成がロシア文学、とくに長編小説のハードルを高くしていることは否めない。
作中で登場人物の呼び名が「ラスコーリニコフ」であったり「ロジオン」であったり、「ロマーヌィチ」であったり、さらに家族には愛称で「ロージャ」と呼ばれたり。ロシア文学はただでさえ登場人物が多いので、大変だ。

ところで、以前から不思議に思っていたのだけれど、たとえば、ラスコーリニコフという人を僕はドストエフスキーの作品の中でしか見聞きしたことがない。小説のためにこしらえた姓だったのだろうか。
だが、気がついたらプーチン、スターリン、フルシチョフ、ゴルバチョフ、エリツィン、彼らの姓も、政治家としての当人しか知らない。
作家ではプーシキン、ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフチェーホフガルシン
作曲家ならチャイコフスキー、ストラビンスキー、ムソルグスキー、プロコフィエフ、、、

いずれもワンアンドオンリーで、たとえばツルゲーネフの小説にゴルバチョフやストラビンスキーという人物が登場するという話は寡聞にして存じ上げない(アレクセイ・トルストイという作家がいるが、これは『戦争と平和』のレフ・トルストイのまた従兄弟で、いうなれば同姓の親族)。

対して、日本だとどうだろう、鈴木、佐藤、田中はそれぞれ政治家、小説家、タレントにいずれも少なくないし、小説やドラマ中の架空の人物にも鈴木、佐藤、田中はあちらこちらに登場する。
アメリカでも、スミス、ジョンソン、ウィリアムズという姓がコアにあって、著名人、作品中をとわずこれらの姓に出会うことは少なくない。
ロシアには鈴木、佐藤、スミス、ジョンソンにあたる多数派の姓はないのだろうか?

調べてみると、ロシアにもたとえばイワノフ(イワンの子の意)という姓の方はたくさんおられるらしいのだが、それでも鈴木、佐藤、スミス、ジョンソンほど高確率で見聞きするわけでもない。

集中的に特定の姓を使う国(韓国なら金、李、朴など)、逆にロシアのようにてんでばらばらな姓を使う国、そのお国柄にはなんらかの歴史的な違い、理由はあるのだろうか。

2026/06/18

『こどもの頃のこわい話 きみのわるい話』 蛙坂須美 / 竹書房文庫

Photo_20260618165001 あた、あたし、しらないおとこのひとが
──男の人?
おんなのひと、かもしれない、こうえんであそんでいたら、このほんをあげるって
──その文庫本をくれたんだ
ちかごろの、じつわ?かいだん?のなかではおもしろいって
──読んでみたの?
あた、あたし、こわくて
──読んでみたの?
こわいの、どのおはなしもこどもがいなくなったり、ひどいめにあったり
──そうだね、ここしばらくの実話怪談の中では珍しく一つひとつの話がちゃんと黒い終わり方をして、誰かが死んだり、行方不明になったり、気持ちの悪い話が多いよね
こんなこわいほんはよみたくないっていったのに、いらないっていったのに
──でも読んでみたんだ
ほんの、じが
──黒い文字がうぞうぞと
ほんから、あた、あたしのてに
──黒い文字がうぞうぞと腕から胸に、胸から首に
あたし、あたし
──因果応報因果応酬、己のなした業は捻じれてまた己に祟る
てが、まっくろに
──年寄りが子ども服着て子どものふりして子どもらをたぶらかし、苛み、嬲り、屠る、その所業許されようか
あた、あた、のどに、あぐ、あぎ
──滅せよ
あぎゃ、あああああ



2026/06/11

美しき回転軸の群れ 『輪廻の果てまで愛してる 現代の短篇小説 ベストコレクション2025』 日本文藝家協会・編 / 文春文庫

Photo_20260611181701現代の短篇小説 ベストコレクション』を紹介するのは毎秋の恒例行事だったのだが、昨秋はプライベートでバタバタして、本を買うことからすっかり失念していた。誠に申し訳ありません(誰に?)。

半年以上遅れたが、2025年版、『輪廻の果てまで愛してる』を取り上げたい。

 篠田節子「土」
 佐川恭一「万年主任☆マドギュワ!」
 斜線堂有紀「カタリナの美しき車輪」
 佐々木 愛「僕たちは のら犬じゃない 番犬さ」
 坪田侑也「放送部には滅ぼせない」
 宮下奈都「鳶の娘」
 坂崎かおる「花泥棒」
 窪 美澄「凪のからだで生きていく」
 米澤穂信「輪廻の果てまで愛してる」

若い名前が並んでいる、ような気がする。それだけでも期待は高まる。
個々の作品についての感想は以下のとおり。

篠田節子「」、最後まで、土の中から明らかになる犯罪、被害者は実は・・・を期待して読んでしまった。ミステリに汚れている私。

佐川恭一「万年主任☆マドギュワ!」、パロディ元をタイトルしか知らないため、きちんとは感情移入できなかった。苦労して書かれたのかもしれないが、後半、もっとわちゃわちゃにブレークしてもよかったのでは。

斜線堂有紀「カタリナの美しき車輪」、これはー、怖い。SNSをはじめ、現代のネットツールの扱いも自然で、文体は抑えがきいていて、そのくせ全方位的にどんどん壊れていく。当節のホラーはボリューム的にはいわゆる「実話怪談」が主流だが、こうした作者の指から沸き起こるホラー作品がもっと書かれ、もっと高く評価されてもよい。

佐々木 愛「僕たちは のら犬じゃない 番犬さ」、坪田侑也「放送部には滅ぼせない」、宮下奈都「鳶の娘」、いずれも主に学校を舞台にして若者たちのみずみずしい情感が描かれていく。どの作品も最後のページで終わるのでなく、そこから始まるものに(遠近法でいうところの)消失点があり、若者の未来に向けて心がじゃぶじゃぶ洗われていく。

坂崎かおる「花泥棒」、近未来、もしかするとこれを書いている間にも実現してしまうかもしれない消失の物語。女子高校生転落殺人事件の容疑者をはじめあらゆる写真にエフェクトがかけられ、あらゆる文章にAIの手が入る時代、この悲劇はすでに ど こか で は じま・・・

窪 美澄「凪のからだで生きていく」、男の作家にはなかなか書けないテーマにうたれる、という視点の一方、現代の小説家のライバルは膨大なコミックやライトノベルの生産性かもしれない、と思われた。家を出る、家に帰る、という要素については尾崎衣良『真綿の檻』(小学館、現在7巻まで)のバリエーションに一日の長を感じる。

米澤穂信「輪廻の果てまで愛してる」、ちょっとポイント引くなら反対側のタイヤに付けてしばらく走ればいいんじゃないかしら。走行距離メーターで調節できるし。紅葉の錦、神のまにまに。

2026/06/08

ほんならウロボロス 『本なら売るほど』(現在3巻まで) 児島 青 / KADOKAWA HARTA COMIX

Photo_20260608181201 本好きが高じて町の古書店を継いだ青年と本を愛する人々の心の綾を縦横に織り上げる短篇集。

帯にもあるとおり、「マンガ大賞 2026」大賞、『ダ・ヴィンチ』 BOOK OF THE YEAR 2025 コミック部門 第1位、『このマンガがすごい! 2026』 オトコ編 第1位と破竹の各賞受賞、書店店頭でも各巻平積みのベストセラーとなった。

二つのことを書きたい。

一つは、素直に、良い本である、と言うこと。

古書店「十月堂」に立ち寄る若者、あるいは老人たちをめぐる物語はあるいはスタイリッシュに爽やか、あるいはモノトーンに絶望的で、本好きはもちろん、そうでない人にも本当に、ぜひとも読んでほしい。

もう一つは、この、紙の本が絶滅に瀕しつつあるこの時代に古書店を舞台とする、そのことによる閉塞感だ。

古書店で扱われる本は(言うまでもなく)古書であり、いかに循環されたとてやがて読み手とともに古びていくのが世の摂理である。さらに1巻ですでにたびたび描かれているように古書の多くは破棄されるのがことわりだ。
上流に新刊を吐き出す版元、取次、書店がなければいずれ収束していくしかない。

実は、新刊書店を舞台とする『店長がバカすぎて』についても、展開の面白さ/つまらなさとは別の尺として近年の書店の実情が描かれない疑念があった。この本が好き、この作家が、と本ばかりを話題にして、作中で6年が経過してもその業界全体のサビレが描かれない無頓着さ。

そして、『店長がバカすぎて』や『本なら売るほど』のように紙の本の界隈を描く作品が売れれば売れるほど、紙の本はシッポを呑み込むヘビのように書き手と売り手と読み手が同じ円の中に縮こまっていく。

2026/05/28

『店長がバカすぎて』 早見和真 / ハルキ文庫

Photo_20260528183901 少し前のベストセラー。
無神経なタイトルに読む前からイヤな予感がしていたのだけど、未読の棚が片付かないのでともかく消費(失礼)。

主人公は(おそらく四年生大学を卒業後)就職活動がうまくいかず、都内の書店の契約社員として雇われる。激務だが薄給、お客からのクレームは相次ぎ、推しの本は取次からまわしてもらえない。
・・・気の毒に思わないでもないが、主人公は毎日店長の所業にただ苛立つばかり。みずから正社員になろうとも職場を改善しようとも店長の長い朝礼を回避しようともせず、少なくとも作中で6年間をほぼ無為に過ごす。

この手の読み物のご多分に漏れず、最終章にはさまざまな幸運が主人公を待ち受けているが、、、
結局主人公は最初から最後まで「都合のいい契約社員」であり、終盤にいたっても主人公のスタンスは「白馬に乗った王子様(のような都合のよい出来事)」を待つばかり。

同じ職場モノでも『これは経費で落ちません! ~経理部の森若さん~』で森若さんはディフェンス、オフェンスともにきちんと自分の処理能力の中で最善を尽くすし、同じベストセラーでも『成瀬は天下を取りに行く』(宮島未奈、新潮社)シリーズで成瀬は女であること、若輩であることにみずからの限界、壁を設けない(気持ちいい!)。

本の中と実社会は別物、されどさりながら『店長がバカすぎて』は社会に対して消極的なサラリーマンがただ愚痴をこぼす、先の詰んだ話としか思えない。おとぎ話なエンディングなど普通はまず訪れないので若い人は決して本作をマネしないように。

ちなみにタイトルだが、もしこれが『契約社員がバカすぎて』だったらそもそも発行できていただろうか。
ハーフパンツのすね毛問題もそうだけど、おっさんについてなら何をどんなふうに言ってもいいという風習は少し考えたほうがいい。その天秤に乗っている限り女性は平等に扱われることがない。

2026/05/14

Sto lat『プロジェクト・ヘイル・メアリー(上・下)』 アンディ・ウィアー、小野田和子 訳 / ハヤカワ文庫

Photo_20260511192501ずっと以前、家族と一緒に見た映画「オデッセイ」(原作タイトルは『火星の人』)がべらぼうに面白かったので、同じ作者の本書も期待して手に取った。期待にたがわず、メガギガテラに面白かった。

ストーリー展開から大道具・小道具まで、何を書いてもネタバレになってしまいそうな本なので、いつものようにカバー記載のあらすじから一部を引用。

謎の空間でひとり目覚めた男は、徐々に記憶を取り戻していく。いま地球は太陽エネルギーを食らう生命体アストロファージにより滅亡の危機に瀕していること、自分が人類の総力を結集した救済計画「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の選抜メンバー、ライランド・グレースであり・・・(後略)

小声で暴露するなら、大小さまざまな危機がその都度ご都合主義に救われるあたり、「これ、おかしかろ?」とか「ありえねー、無理すじー」とか指摘したい展開は町の歯医者の数ほどある。また歯の磨き方の指導を受けてしまった。

しかし、奥歯にゴマのつまったようなちょっかいやなくて難癖をなぎ倒して最後のページまでぐいぐいと、本書は実に力強く、かつ面白くできている。
「できている」という言葉を使ったが、これはそういう類の作品。いうなりゃ工学、建築学に分類されるべきエンターテインメントで、ストーリーを彩る情緒、情感の通し柱は中世騎士道物語のそれに近い。悪くいえばハリボテ、見掛け倒しの類なのだが、それにアストロファージの存在、それに敢然と立ち向かう人類、そして主人公グレースたちのテクニカルな挑戦が肉付けされて物語は俄然イーリアス、オデッセイアの様相を帯びる。

主人公のグレースは決して大剣を振りかざす英雄の人となりではない。
これは科学者と技術者が勝利をもたらす、ストロングスタイルの青春の書なのだ。


おまけ──────。
「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の最高責任者であり、アメリカ大統領やロシア大統領をも凌駕するマンガレベルの権力と判断力をもつ作中人物、その名が「エヴァ・ストラット」。
「ストラット」の音に覚えがあるなと思って棚をあさると、ありました、『ピアノの森』(一色まこと)で何度か描かれたポーランドの祝歌「スト・ラット」。
残念ながら小説のストラットさんは「Stratt」、ポーランドの歌は「Sto lat」でスペルも発音も違う。
いやしかし、祝歌「Sto lat」は、偶然であろうがなかろうが、作中の「プロジェクト・ヘイル・メアリー」に賭けられた希望を称え、祈ってなおあまりある、素晴らしい歌詞ではないかと思うんだよ僕は。

  100年、100年
  元気に生きて
  100年、100年
  私たちと一緒に
  もう100年、もう100年
  私たちとずっと
  一緒に生きて!

      (『ピアノの森』第26巻より)

2_20260511192601 

2026/05/07

Grace! 『立ち飲みご令嬢』(現在7巻まで) 松本明澄 / 講談社 モーニングKC

Photo_20260507165601 ミシュラン店オーナーを父に持つ美食家令嬢・神乃美子。
料理界で〝氷の味覚女王〟と恐れられる美子が時間や社会に囚われず、立ち飲みグルメに魅了され、幸福に空腹を満たすとき、つかの間、彼女は自分勝手になり、「自由」になる。誰にも邪魔されず、気を遣わず酒を飲み、ものを食べるという孤高の行為。
この行為こそが、現代人に平等に与えられた最高の「癒し」、と言えるのである──。

と、途中からどこかの番組のオープニングみたいになってしまったが、要はライトでコミカルな食マンガ、どの巻のどこから読んでもお気楽極楽、あはーん、くつろぐ。エアーコンディショニング。

・・・それが、最新の第7巻において、少しだけ様子が変わってきた。
ほんの2冊前、第5巻では

  未だに
  立ち飲み屋における
  暗黙の了解やノリに
  馴染めない・・・

とシュンとする美子が描かれていたというのに、最新巻では酒に記憶を飛ばし、手羽先にかぶり付き、炙りスルメを咥え、〆のラーメンを楽しむ。

いや、そういった所業のいちいちはこれまでにも描かれてはきた。
しかし、ここにきて美子の立ち姿、雰囲気が大人っぽく、アングルが豊かで、ことに上下二段、2コマのオチの「間」がとてもいい。

化けたな。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(付記)
「化けた」と言っておきながら逆のことを書くが、マンガの連載作品では一般にストーリーやギャグの枠を広げるため回を重ねるにつれてサブキャラを増やしていきがちだ。
ところが、驚いたことにこの『立ち飲みご令嬢』では、飲み仲間のりんごちゃんや小鳥葉拓実、幼馴染の料里鉄人、神乃家のメイド静、(のちに常連となる)立ち飲み屋の店員ヒロ、さらに人物だけでなく、美子の決めゼリフ?の「ごきげん酔う!」「乾杯あそばせ」まで、全員、すべて、第1巻からきちんと描かれているのだ。これは稀有なことかと思う。またそれが本作が7巻まできても内容が妙に拡散してバタつかない理由かと思う。

2026/05/04

『2023 ザ・ベストミステリーズ』 日本推理作家協会編 / 講談社文庫

2023 いくどか書名や体裁を衣替えしてきた本シリーズ、近年は巻頭に「日本推理作家協会賞短篇部門」の受賞作、続いてそのノミネート作品を収録する、という体裁をとっている。
それ自体はどうということはないのだが、なんとなく、全体に受賞作、ひいては賞そのものを「ヨイショ」する雰囲気がどこかに見え隠れし、それが鼻につかないでも、ない。

ただ、今年の1冊は、全篇にわたり、すごくよかった。

ミステリでは人が殺されなければならない、などと主張する気はないが、ささやかな日常の謎を描くにせよ、その謎は深く人生の峡谷を刻むものであってほしい。
ところが本シリーズ、『ザ・ベストミステリーズ』と名を変えたあたりから、ともするとある日の情景と心持ちをふんわり描いて終わる、そのような緩めのミステリ、いやミステリとも言い辛い作品が目につき、どうかと思われた。
今回は明確に殺人事件を解く作品に恵まれ、そうでないものも人としてのルールを踏み外したことから起こる事件を描くなど・・・つまりはテーマに容赦がなく、読み手に峻厳を求めるのである。

目次は以下のとおり。

  西澤保彦「異分子の彼女」
  浅倉秋成「ファーストが裏切った」
  鵜林伸也「ベッドの下でタップダンスを」
  川瀬七緒「美しさの定義」
  北山猛邦「神の光」
  櫻田智也「赤の追憶」
  米澤穂信「倫敦スコーンの謎」

以下、雑感。

「異分子の彼女」、作者西澤保彦は昨年11月に肺がんで亡くなった。64歳は早すぎるだろう。殺す側の黒い心理や生き残った語り手の寂寥感が描かれる作品に佳作が多かったためか、どうも西澤康彦が死んだ、という事実に今ひとつ実感がない。
西澤作品はガチガチの本格推理からSF設定内での本格推理、タガのはずれたグロテスクな心理描写、ハメを外したエロエロコメディなど多岐にわたり、個人的に国内作家では最もたくさん読ませていただいた。作風で束ねていろいろ感想を書きたい語りたいと思っているうちにもう20年経ってしまった。近年はなぜか過去作を切り張って薄めたような「腕貫探偵シリーズ」が妙に売れてしまって、緩めの作家として読まれて消えそうでそれも心配だ。神麻嗣子は保科匡緒と能解匡緒との間の娘に違いないのに、それが二度と確認できないと思うと、それもつらい。

浅倉秋成「ファーストが裏切った」、この年度の大きな成果の一つ。野球をテーマにしたミステリはかねてより少なくないが、その中でも歴史に残すべき1作。登場人物の奇態さ、不気味さは類を見ない。普通のミステリでいうところの「動機」が最後まで描かれないことを是とするか否とするか。

鵜林伸也「ベッドの下でタップダンスを」。前半、ヒッチコックの『ハリーの災難』や坂田靖子のマンガに通じるドタバタコメディに腹を抱えて笑うが、最後には冒頭からの伏線を回収した見事なオチが待っている。匠の技である。

川瀬七緒「美しさの定義」、捜査、推理の展開をある角度から見ればホームズ以来の伝統的な探偵小説かと思う。最初の見開き2ページに癖のある関係者が何人も登場して少し混乱する。解説で「仕立屋探偵 桐ヶ谷京介」というシリーズの一作であると知って多少納得できたが、探偵役の桐ヶ谷京介やゲーム実況者水森小春の2人がどういう経緯で警察の協力をすることになったかはこの一篇では把握できず、少し落ち着かない読み応えが残った(もちろん、本短篇一作の責任ではない)。

北山猛邦「神の光」、事件の場所が描かれたところで大きな背景には思いがいたる。あとはいくつかの要素をからませるチカラワザ。しいていうと「瓦礫」は整理整頓しないと更地のようにはなるまい。

「赤の追憶」、櫻田智也が昆虫好きの風来坊を主人公に描く魞沢泉(えりさわせん)シリーズは日本推理作家協会賞を受賞したり、『ザ・ベストミステリーズ』にも再三掲載されたり、と評価が高い・・・が、このブログでも再三指摘しているように、昆虫の話が事件や推理にほとんど関係がない。今回も、花屋を舞台にした後半のドラマは素晴らしいが、最初のムシの話は導入にもなっていない。

「倫敦スコーンの謎」、正直にいうと以前より米澤穂信はあまり好きではない。氷菓シリーズがアニメ化されたころに何冊か読んでみたが、数冊で投げた。ただ、ミステリ作品としての評価は個人の好き嫌いとはまた別にある。本作は高校の同級生である小佐内さんと小鳩くんが学園の謎を解き明かす<小市民>シリーズの一篇だが、2人の会話、そのタイミングの妙、丸い包丁をはじめ道具立ての巧みさ、そして推理とその落とし先まですべて滑らかで欠けるところがない。ただ、調理実習でスコーンを焼いたり、カフェで焼き立てのスコーンを味わったり、と、このあたりが昭和生まれをおびえさせるのだ。

2026/04/21

姫ヶ嶽 海に身投ぐる いや果ても 『愛媛怪談』 三好一平 / 竹書房文庫

Photo_20260421211101 当ブログでも過去『茨城怪談』『埼玉怪談』『千葉怪談』『京都怪談 神隠し』『京都怪談 猿の聲』と取り上げてきた竹書房のご当地怪談シリーズ、北はさいはて青森・北海道、南は神の国出雲・修羅の国北九州・琉球と、全国津々浦々を恐怖に染めてきたものだが、それが、ついに! 四国上陸! 『愛媛怪談』出来!

著者の三好一平氏は愛媛県南宇和郡愛南町の出身だそうで、これは愛媛県を右上に翔ぶ獅子の形とみなすと後肢のあたり(南予)。
そのためか、どうしても愛南町、宇和島市、西予市、伊方町(獅子のしっぽ)、八幡浜市、、、と南予の怪談の割合が多く、またそれらお国の神社や祭りごとの紹介がつまびらかで地元ならではの筆運び。
中予にしても伊予市、砥部町あたり、南予寄りといえば南予寄りの怪談が目立ち、要は獅子の頭から前肢にあたる今治市、西条市、新居浜市、四国中央市の濃密さが今ひとつ。

・・・何の話かといえば、漫画家矢代まさこ氏と同じ伊予三島市(現・四国中央市)に生まれ育った烏丸としては郷里の話題がやや少なくて多勢に無勢、肩身が狭い。太鼓台かついで酔いしれる亡霊とかはいないものか。

無勢はさておき、何度か書いた「戦乱の世、城が攻め落とされた折、城主の息女年姫がこの崖から身を投げて、のちその霊が現れる」という四国中央市川之江城の「姫ヶ嶽」が取り上げられており、これが活字になったのを見るのは嬉しい。小学校の狭い世界の噂話というわけでもなかったようで60年ぶりにモヤモヤがすっきり。
ちなみに、前回も書いたが、この川之江城、1970年代のUFOブームの折には「UFOの基地」では、と話題になった場所でもある。
その時点ではまだ現在の天守はなく、ちょっとした動物園の設営された「城跡」公園にすぎなかったのだけれど。
Photo_20260421212001  Photo_20260421212002

『愛媛怪談』に話を戻そう、取材された怪談の一つひとつはそうエキセントリックに神経を逆なでするものではなく、まず神社の売店に売られる地域の民話本に載っているような伝承を紹介し、それにかかわる(現在の?)怪奇現象を聞き語る、というのが各篇の基本ペース。
視線を感じる、後ろで声がする、影がついてくるといった話が多く、要は愛媛の怪異は「振り向いてはいけない」「拾ってはいけない」ようだ。
ただし、西条市を舞台とした「夏の底」、県内某所(非公開)の「春」の2篇は空気の冷える、ある意味本格的な「怪談」であり、見たらいかん、うかつに読んだら夜、寝られん。あかんで。





2026/04/06

『あらあらかしこ(3)』『ねこの夢ひとの夢』『鸚鵡』 波津彬子 / 小学館

3_20260406190401 波津彬子(祝画業45周年!)の作品は書棚に並び置けばそれなりにたくさん出ているのだが、週刊誌の連載マンガのようにパンパン連発で書店に並ぶわけではない。

論より証拠、一番人気(おそらく)の『雨柳堂夢咄』など、2021年の2月に其ノ十八が出て以来5年待っても其ノ十九が出ない。

それが、どうしたことか、この2月、4月には
  『あらあらかしこ』の第3巻
  『ねこの夢ひとの夢』
  『鸚鵡』
の3冊が息継ぐ間もなく発売されて、書庫はすっかりあやかしと猫の気配で和の色尽くしだ。

実は、よくわからず読んでいるのではないかという疾しさはある。
ただ椿の一輪差しをするのに
  開く前のを
  切らんならんよ
  葉は五枚ね
       (『異国の花守』)
とかいった大切な言葉をあるいは素通りしているやもしれぬ。

それでも、波津彬子を読むのは楽しい。
『あらあらかしこ』なら、謎の女性から届く不思議な手紙、それを首を傾げながら書き起こす朴訥書生の深山杏之介。それを随筆にまとめ上げる小説家・高村紫汞、それをマンガに仕立てる波津彬子。
あやかしのリンクがメビウスの輪のように結ぼれて、これは穏やかなれど波津彬子の密かな代表作とすべきかもしれぬ。

機知の掬うほろ苦さと静かな切なさに溢れた短編集『ねこの夢ひとの夢』『鸚鵡』は言うにおよばず、桜は雨に散りぬるを。

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