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2018/01/14

「耳袋秘帖」シリーズ 風野真知雄 / だいわ文庫、文春文庫

Photo松も明け、鏡開きも過ぎた1月も半ばになって今さら? とお叱りを賜りそうですが──明けましておめでとうございます。
本年もかまびすしい世間に背を向けて、ミステリ、コミックなどなどを好みのままにぼちぼち取り上げてまいります。
どうぞお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

さて、年明けの1冊めは(おそらく)作者にとっても、読み手にとってもハッピーに違いないシリーズから。
時代小説作家、風野真知雄の「耳袋秘帖」です。

『耳嚢』(みみぶくろ)といえば、江戸時代の旗本、南町奉行の根岸鎮衛が職務のかたわら30余年にわたって書きついだ随筆集。奇談、怪談が数多く含まれ、つまるところ現代の実話怪談の大先輩にあたります。
(木原浩勝、中山市朗両氏による「新耳袋」シリーズのタイトルがこの『耳嚢』によるのは言うまでもありません。)

しかもこの根岸鎮衛なる人物、下級旗本の3男として生まれ(武士の子でなかったという説まで)、養子に出た先で河川改修、普請工事に才覚を発揮し、田沼意次や松平定信の時代に能吏として悠々勘定奉行、南町奉行にまで上り詰めます。しかも豪傑肌で庶民の味方だった、全身に刺青を入れていた、等々、遠山の金さん(遠山景元)に先んじた味のある人物であったようです。

ところが、この根岸鎮衛、もののわかった南町奉行として描く小説、テレビドラマはいくつかあったようですが、実話怪談集たる『耳嚢』の書き手として描いたものは皆無に近い。たとえば平岩弓枝の「はやぶさ新八御用帳」シリーズの隼新八郎はまさしくこの根岸鎮衛の部下、内与力なのですが、根岸本人はただものわかりのよい有能な奉行として描かれるだけで、シリーズを通して『耳嚢』には全く触れられていません。大岡越前でも誰でもよいような扱いです。ナゼナンダロウ??

そして、平成になって、それに気がついた時代小説家がいました。風野真知雄です。
『耳嚢』の書き手であり、勘定奉行と南町奉行という色合いの違う業務にいずれも実績を残し、しかも若い頃には鉄火場に出入りするような熱血漢……。こんな人物が“残っていた”ことを知った風野真知雄は文字通り小躍りしたことでしょう。『耳嚢』の逸話、奇談と江戸の事件をからませて書けば「10年は食える!」と考えたに違いない。いや、これは勝手な推測ですが。
そして、彼はそれを「耳袋秘帖」というシリーズとして実行、実現しました。

「耳袋秘帖」はおおむね文庫1冊で大きな事件1つを扱います。その1冊の中に『耳嚢』に書き残された珍談、奇談4つが当時の実際の出来事として描かれ、それに論理的な解明がなされます(それが大きな事件とからむ場合もありますが、残念ながら単なるエピソードで終わる場合も少なくありません)。
重要なのは、この、“論理的な解明がなされる”という点です。つまり、風野真知雄は、江戸時代の珍談、奇談に現在の目からメスを入れ、なぜ人々がそう解釈し、驚いたかを推理してみせるのです。狐の嫁入りや永代橋の落下事故の芸大的解釈には目から鱗の落ちる思いでした。
そういった大小のエピソードをくるみながら、シリーズ全体はサスペンス色の強い捕物帳長編集の体裁をとっています。登場人物は主人公の根岸鎮衛をはじめ、なかなか魅力的で、飽きることがありません。

残念なのはだいわ文庫から文春文庫に加筆修正のうえ移行した際に順番が少し入違ったようで、現在簡単に入手できる文春文庫を1巻から順に読んでもところどころ「?」となる場合があります(そもそも根岸鎮衛の部下2組がキャラかぶりでちょっととまどう、ということもあります)。
まあ、読んで楽しむぶんにはそれほど大きな問題とは思えません。時代劇、捕物帳好きな方にも論理的なミステリ好きの方にもお奨めです。

添付画像は、さすがにシリーズ30巻を迎え、少しばかりダレてきた最近の作品の中では出色の『蔵前姑獲鳥殺人事件』より。

2017/12/24

首ちょんぱ 『神曲 地獄篇』 ダンテ、平川祐弘=訳 / 河出文庫

Photo皆様、メリークリスマス!
クリスマスにちなんで今夜の1冊はダンテ『神曲』です。

ある程度年を取ってからは世界の名作文学なんてもう重いばかりで──と思っていたのですが、『高慢と偏見』や『魔の山』を読んで「やっぱり凄いものは凄い」と感動、圧倒されて、一生縁のなさそうだった『失われた時を求めて』の集英社文庫版をそろえたりしているところ。『アンナ・カレーニナ』や『ガラス玉演技』もそのうち読まねば、ねばねば。

そうなると、さまざまな西洋文学の根っこに位置したと思われる『神曲』(14世紀、イタリア)が気になります。
というわけで、読んでみました──。

翻訳は各社から出ていますが、評判が悪くない、ギュスターブ・ドレの挿画がくっきりしていて見やすい(つまり内容理解の助けとなりそう)ということで河出文庫、平川祐弘(「祐」は正しくは「示」に「右」)訳を選びました。
(詠み始めてしばらくして、意味のわかりにくいところ、訳者の意図がこもりすぎに思われたところもあったため、角川文庫の三浦逸雄訳も隣に並べ、読了までそれなりに大作業となりました。)

ほかの本やマンガをいくつも間にはさんで、ようよう『天国篇』まで読み終えた印象ですが──あくまで趣味の読書家の感想として、印象に残ったことを以下にまとめます。

・『地獄篇』『煉獄篇』『天国篇』と並べて、やはり『地獄篇』が一番面白い。深みはともかく『ファウスト』が動くのは第一部、といえばご理解いただけるでしょうか。

・ただ、そこに描かれた「地獄」が、ぬるい。仏教の、というか、日本人が脳裏に描く閻魔様の待ち構える地獄(以下「日本の地獄」と書きますね)では切り刻む、太い針でぶっ刺す、業火で焼く、などスプラッタ何でもありありなのに対し、タールで溺れてぐぬぬぬ、とか、炎が降ってデラデラとか、自分の首を持っててくてくとか、サディスティックな刑罰もあるにはあるのですがともかく全体にゆるい。日本の地獄は煮ても焼いても切り刻んでも罪人はすぐ復活して際限なく責め苦に合うわけですが、それってけっこう「ナイスアイデア!」だったのかもしれません。

・地獄に落とされる理由が、少し無理スジ。日本の地獄では、殺し、盗み、嘘など、そもそも悪いとされる行為、生前にそれを犯した者が落とされるわけですが、ダンテの地獄ではなによりキリスト教に背くことが一番よろしくない。それどころか、洗礼を受けていないと、それだけで地獄に落ちる理由になってしまう。地獄、煉獄とダンテを案内するのは古代ローマの大詩人ウェルギリウスなんですが、彼は尊敬に値するたいそう立派な人物でありながら、時代的に「キリスト教徒」たりえなかったため、地獄に落とされている。ギリシア神話の英雄たちもこぞって地獄行きです。
日本の地獄では、所定の期間責め苦を受けたあと、(虫だか犬だか人だかはわかりませんが)転生するということになっています。しかし、ダンテの地獄では、地獄に落とされた者は最後の審判までそれっきりです(罪を悔い改め、天国に進める煉獄というのが日本の地獄にあたる、といえばあたるようですが、ギリシアの英雄たちが地獄から煉獄、天国に進む道はないのです)。

・煉獄篇の後半から登場し、ダンテに神の国の尊さを説くベアトリーチェが実に高びー。そもそもウェルギリウスに命じてダンテに地獄、煉獄を案内させたのは、若くして死に、今は天国在中のベアトリーチェだったわけですが、ダンテやウェルギリウスを「おまえ」呼ばわりするなど、一から十まで上から目線、高圧的。ダンテが恋焦がれ、清純可憐、永遠の淑女として語り継がれるベアトリーチェですが、所詮は市井の小娘。神に代わって高飛車に天空のことわりを語られても、なあ。

・文学としてみると、表、裏、2つのことを感じます。ダンテはイタリアルネッサンスのはしりとされていると思いますが、ダ・ヴィンチの書いた冷徹、科学的な文章などと比べると中世の迷妄そのもの、という気がします。少なくとも近代性は感じない。その一方、おろおろ戸惑うへたれダンテ、偉そうに言い訳を重ねる亡者たち、跳梁跋扈する怪物たちの生々しい描写は現在読んでも十分楽しめます。名作たるゆえんですね。

・細かいことですが、訳者本人による解説に、直訳すれば
  「自己の潔白の自覚は鎖帷子のように自分を守ってくれる」
という喩えが用いられているところ(地28歌117行)を、
  「自己の潔白の自覚が人に強みを与えてくれる」
とした、とありました。そんなに意味を削っていいのかなと思われ、角川文庫版の同じところを開いてみたところ、そもそも平川訳はパラグラフ全体としてずいぶんとわかりにくい……。

などなど、雑多な感想の列記となってしまいましたが、こと「地獄」の扱いについては日本の地獄描写はちっとも負けていない!いや、むしろダンテより源信の書き残した地獄のほうがずっと凄いかも!との思いを強くし、『往生要集を読む』(中村 元、講談社学術文庫)、『絵本 地獄――千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵』(白仁成昭、中村真男、風濤社)などぱらぱらめくってはうなされているところです。
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2017/12/19

最終巻を読む 『ベイビーステップ』(47巻) 勝木 光 / 講談社コミックス

Photo終わってしまった。
少年マガジン連載の『ベイビーステップ』である。

『ベイビーステップ』は若いテニスプレイヤーたちの成長を描いた読み応えのある作品で、このブログでも再三取り上げてきた(第9巻22巻38巻40巻41巻42巻)。

しかし、その終わり方が、解せない。

主人公がプロになり、苦闘の末ようやく臨んだ国際大会本戦、強敵との対戦中、1ゲームリードされてさあこれから!のチェンジコート、審判の「タイム!」の声で唐突に終わってしまうのである。ネット上でも「打ち切りか」とちょっとした騒ぎになったが、確かに不可思議に思われる点もあるので2、3挙げておきたい。

『ベイビーステップ』は単行本発売日の平積みの具合など見ると、同誌の他の連載作品に劣るとは思えない。打ち切りになるような作品ではないのである。最終回で巻頭カラーを飾ったことを見ても、編集部とのトラブルがあったようにも思えない。
講談社漫画賞受賞作。アニメ化、実写ドラマ化、プリンスと用具使用契約、エレッセとキャラクター使用契約、「テニスの日」のイメージキャラクターに選ばれる、協賛テニス大会が開催される、有明コロシアムの楽天オープン会場では試し読み冊子が配られる(添付画像)、など(『進撃の巨人』ほどではないが)コラボレーションの話題にもことかかない。
こんな人気作、話題作たる『ベイビーステップ』を終わらせて、それを埋めるだけの作品は用意できるのか?

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最終巻の巻末には手書き文字の
「色々事情もあり、主に私の力不足で(中略)ここまでになってしまい残念です」
「できればデ杯も描きたかったけど・・・」
という悔いをにじませたコメントがあり、今回の終わり方が発展的解消(たとえば数か月後に「第二部 グランドスラム編」開始)のためではないことが窺える。

つまるところ、危急な個人的事情、あるいは何か人間関係によるものなのか。

私見では第42巻から43巻にかけての王偉戦の精緻な描写を第一と推すが、池や難波江ら、連載開始当初からのライバルたちとの直接対決が描かれなかったのは残念。

それはともかく、連載開始以来、テニスプレイヤーの心理と戦略と訓練を1コマ1コマ丁寧に描いてくれてありがとう。マンガファンとして、またテニスファンとして、本当に楽しい10年間でした。
地味ながら、ほかのスポーツマンガではあり得ない次の1ページに、あらためて驚嘆と賛辞を込めて。
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2017/12/09

アーキテクチャ 『お引っ越し』 真梨幸子 / 角川文庫

Photo(2011年の『ユリゴコロ』以来新刊のない沼田まほかるの印象が強いせいもあるのだろうが)いわゆる「イヤミス」のブームは過ぎ去ったように思われてならない。

実際は湊かなえ真梨幸子らの本は変わらず平積みで売れているようだが、それらをわざわざ「イヤミス」(読んでイヤな気分になるミステリ、後味の悪いミステリ)とまとめる必要が今となっては感じられないのだ。

では「イヤミス」ブームのピークはいつ頃だったか、というと、これは売り上げや批評を定量的に調べたわけでもない、ただの憶測だが、2011年からそのあと数年、つまり東日本大震災のあとしばらく、だったように思う。
何万という方が津波で亡くなり、原発事故にともなう不安、経済の停滞が続くなか、なにもわざわざイヤな気分になる本を──とも思うが、実際、当時の書店は「イヤミス」で溢れていた。

こういう考え方はどうだろう。株式投資に「ナンピン」という手法がある。ある株を買って値下がりしたとき、わざとその株を買い増すのである。たとえば1000円の株を100株持っていたとして、それが100円下がって900円になったとき、100株買い増せば手元の株の下がり分は100円から50円となる。株価が50円上がれば元値に戻るのである。

東日本大震災でさまざまなダメージを受けた私たちは、無意識のうちに手元の本にもイヤなものを求め、己の人生全体におけるトータルダメージを和らげようとしたのではないか……? 
もちろんこんな推測を組み立てたところでなんの役に立つわけでもないのだが。

真梨幸子の『お引っ越し』は、マンション探しや社内の部署移動、怪しい隣人、引っ越し業者の電話番など、引っ越しにかかわるさまざまなトラブルを扱ったホラー集である。各編数十ページ、全体で270ページに満たない薄い本だが、伏線が互いの作品に通底し、ある作品の曖昧な結末を他の作品が補完し、作者本人によると思われるゴージャスな「解説」あいまって全体にテクニカルな印象が強い。妙な言い方かもしれないが読了後に意外なほど「お得感」があった。
従来「イヤミス」という言葉で括られてきた真梨幸子だが、本来、技巧派と評すべき作家なのではないか。

ちなみに巻末に「作品はすべてフィクションです」の類の断り書きがあるが、編集者の手によるものか、最後の1文は余計だった。それとも今どきはこんな断り書きが必要なほどヘンな読者が多いのだろうか。

2017/11/25

アガサ無双 『招かれざる客』 アガサ・クリスティー、深町眞理子 訳 / ハヤカワ文庫

Photoクリスティーは理屈抜きに大好きで、ポアロやミス・マープルらのシリーズものは長編短編とも全部二度読みしたし、残るノン・シリーズの未読もあと数冊となった。

ただ、『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』『そして誰もいなくなった』などの著名作については、なんとなくここで取り上げる気になれない。トリックの比重が大きすぎ、つまりネタが割れてしまうとフラットに読み返すのにパワーが要るためだ。それは、楽しいクリスティーの読み方ではない。

なので、このブログで過去取り上げてきたのは『象は忘れない』に『ポアロとグリーンショアの阿房宮』と、どちらかといえばマイナー作品ばかり。今回ご紹介する『招かれざる客』も、クリスティーの戯曲の中で『検察側の証人』や『ねずみとり』に比べればとりたてて高名ではない──なので、なんとなく読み逃していたのだけれど、いざ読んでみるとこれが面白い。まいった。

深い霧のたちこめる夜、車椅子に座った館の当主が射殺され、そのかたわらには拳銃を手に立ちすくむ若妻の姿があった。車が脱輪してたまたま館に立ち寄った男は……。

舞台用の戯曲だから、物語は終始一つの部屋だけで展開する。単純といえば単純なお話で、真犯人もわかってしまえばなんということはない。週末に再放送されているテレビの2時間ドラマのエンディングと大差ないといえばまあ大差ない(というより、クリスティーがサスペンスドラマ群の親なのだろうけれど)。
ところが、実際読んでみると、結末に愕然とする。泣けてしまう。
パラパラ読み返しても、B級サスペンスドラマと何が違うのかよくわからない。よくわからないまま、柔道の達人に投げられるように、コロリと転がされてしまうのだ。

先般、NHK BSの「球辞苑」で、プロ野球における、打席の初球がストライクの場合とボールの場合の打率の違いが話題となっていた。なんと初球がボールだと、ストライクの場合より平均して1割以上打率が高いのである。つまり、解説者が「初球から不用意にストライクを取りにいった」と苦言を呈するのはむしろ間違い、どんどんストライクを取りに行かないと相手は1割アップの大打者になってしまうということだ。
このような詳細な情報は、プロ野球全試合のデータ化と、それを解析するコンピュータがあって初めて明らかになった。

もしかすると、クリスティーの作品も、そういう次元の解析が可能なのかもしれない。
真犯人がどういう行動に出ると読者は騙されやすいのか。犯人が明らかになる直前にどういった会話があれば、読み手の注意が散漫になってしまうのか。
もちろん、こういった解析にはデータの定義からインプットまで、大変な作業が必要だろう。
それでも、かなりとびきりの秘訣があるに違いない。代表作でなくてこれほど面白いのだから。

«かいじゅうだもの あきお 『ウルトラ怪獣幻画館』 実相寺昭雄 / ちくま文庫