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2017/04/30

タケモトケンジ、ジケンモトケタ 『かくも水深き不在』 竹本健治 / 新潮文庫

Photo『かくも水深き不在』は短編5作からなる連作短編集。そのうちいくつかでは語り手の夢、ないし幻覚としか思えない辻褄の合わない物語が開かれる。

・森に包まれた廃墟の洋館で、鬼に追われ、鬼に見られ、鬼と化していく子供たち
・CMの一画面、瓦礫に赤い花の咲く光景に激しい恐怖を感じた語り手は……
・自身が恋い焦がれる花屋の娘につきまとうストーカーに殺意を抱いた語り手は……
・大物芸人の娘を誘拐した犯人はなぜか身代金強奪の途中で連絡を絶つ

こんなバラバラなシチュエーションにミステリとして整合性のある結末は可能なのか。

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ところで、書店の棚に新人、ベレランの「本格ミステリ」がうず高く並ぶ現在からは信じがたいことかもしれないが、綾辻行人が『十角館の殺人』でデビューし(講談社ノベルス、1987年)、「新本格」がブームになるまでの十数年、国内の「本格」ミステリファンはほとんど読むものがなかった。

新刊として新聞の広告欄をにぎわしたのは社会派、ハードボイルド、それにユーモアミステリばかりで、クイーンやカーの旧作を創元推理文庫で漁る以外は

中井英夫『虚無への供物』の講談社文庫化(1974年)、
『犬神家の一族』角川映画化に伴う横溝正史ブーム(1976年~)、
『11枚のとらんぷ』『乱れからくり』『亜愛一郎の狼狽』など泡坂妻夫作品の角川文庫化(1979年~)、
『ぼくらの時代』(1978年)をはじめとする栗本薫の活躍、

くらいしか選択肢がなかったのだ。

(それなりにボリュームあるじゃないかとの声も聞こえそうだが、インターネットのない時代、本格テイストの作品を探し出すのはなかなか大変だったのだ。ちなみに、新本格の先達とされる島田荘司さえ、初期はトラベルミステリーやサスペンス作家のイメージが強く、『占星術殺人事件』や『斜め屋敷の犯罪』が文庫化されて本格ミステリ作家として一般に知れ渡ったのは綾辻のデビュー後だった。)

そんな中、出版界の動向に頓着せず、アンチ・ミステリ『匣の中の失楽』(1983年、講談社文庫)や『囲碁殺人事件』『将棋殺人事件』『トランプ殺人事件』のゲーム三部作シリーズ(1980年~)で登場した竹本健治もまた、本格ファンの渇きを癒してくれた作家の一人だった。

ただ、竹本作品は総じてメタフィクションであったりホラー色、SF色が強かったりで、現在にいたるまで必ずしもとっつきやすいものではない。

『かくも水深き不在』も、それぞれの語り手に精神科医の天野不巳彦が対するので、そのうち彼が探偵役として事件を解き明かしてくれるのだろうと油断していると、最後に地面が抜ける。
異様なまでに論理的、なのか、それとも骨なしのファンタジーなのか。
説明のつかない超常的な展開をホラーと見ればホラー、さまざまな伏線がそれなりに収束するところは本格ミステリにも思われる。

しかも、最後の1行、つまりこれはあのミステリ黄金時代の、あの女王のあの著名作品へのオマージュなのか?

2017/04/21

『カメントツのルポ漫画地獄』『カメントツの漫画ならず道(1)』 小学館 ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル

Photo石灯籠の影に幽かな気配がある。
「(殿、お呼びにございますか)」
池の鯉にエサを投げながら、
「む。半蔵か。ほかでもない、出版不況、とくに紙媒体の危機が叫ばれて久しいの」
いつの間にか石灯籠の反対側に姿を現し、平伏する半蔵。
「御意。かつてなら駕籠に乗ってスポーツ紙、マンガ週刊誌、文庫本を手にせぬ者はおりませんでした。近頃は老いも若きもスマホ、スマホ」
「む、あれは便利ぢゃ。合戦の日付を秀ちゃん光っちゃんとLINEで相談したり、陣の取り方をググったり」
「とは申せ、『ワンピース』『進撃の巨人』、村上春樹、少し前でしたらハリー・ポッターの平積みを見れば、紙の本のニーズが全くなくなったとも思えませぬ。版元が最善の努力、工夫を重ねているかと申せば、いささか」
「うむ、ひとたび勝鬨をあげるとなかなかほかに足は踏み出せぬものぢゃ。誰もがデヴィッド・ボウイ、孫正義になれるわけではあるまい」
「紙媒体が沈みますと、マンガ家として禄をはむのもこれがかつて以上に難しい。雑誌数は増え、ある程度連載がたまると単行本にはなりますから、デビューの機会はある。問題はその後」
懐から巻物を二巻取り出して半蔵に示す。
「このカメントツなる新人作家、半蔵はどう見る」
「は。もともと、ネット上でマンガを発表し、1000万PVとたいそう話題になったかぶき者。ある会社の社員寮に現れる“オレンジのお姉さん”と呼ばれる霊を扱った作品など、Twitterでその都度読んでおりましたが、小学館から単行本デビューするにいたるとは予想もしませなんだ」
「この丸いのは本人か」
「御意。写真が必要な折はフルフェイスの仮面を被って現れるので、仮面で突撃、ということからカメントツと名乗り」
聞きながら座敷に上がる。上座にどすりと座り、脇息に肘を乗せる。
「ほう、それでカメントツ」
オモコロなるマンガサイトの要望に応じて催眠セラピー、自己啓発セミナー、腸内洗浄、断食道場などかなりきわどいルポマンガに手を染め、その人気連載をまとめたものが『ルポ漫画地獄』、さらにそれが評価され、ゲッサンに掲載されたマンガ家インタビュー集が『漫画ならず道』」
「あだち充、青山剛昌、西原理恵子など、なかなか名城に凸り、かぶいておるではないか」
「そのあたりのつなぎはさすが小学館。またカメントツ自身、へりくだりつつインハイ高めな質問を繰り出しており、いずれもハードコアな読み応え」
「うむ、絵柄にクセがあるので見まがうところもあろうが、まず、しっかり常識をわかったうえで描いておるの。今日び、なかなかできぬことぢゃ。親御さんの躾が目に見えるようぢゃの」
「躾、でございますか」
「うむ、マナーであるとか、そういうことではなく、大切なものを大切に扱う、その姿勢とでもいおうか」
「その直球なストレートに、上杉和也は最初から殺すつもりだった、『タッチ』のタイトルは“バトンタッチ”の“タッチ”との名回答が得られたわけで、これにはネットが沸き申した」
「うむ、わしも思わず脇息から転げ落ちたわい」
「作品を宣伝するためにマンガ家本人がネットにブログを書いたりtweetしたり、ということは従来もございましたが、カメントツはそもそもネット上で可能な限り手を伸ばした結果、マンガ家となり、小学館から単行本発行にいたった。これは今後のマンガ家の在り方の一つを示唆しているようにも思われます」
「ふむ。領地の地図が変わるかも知れぬの、地図が」
「しばし手の者を配し、様子をうかがいたく存じますが」
「許す」
揺れる行燈の火。半蔵の気配はすでにない。

2017/04/18

『夢十夜』 原作 夏目漱石、漫画 近藤ようこ / 岩波書店

Photo岩波書店について、少し前に

校閲部門のほうが編集部門より発言力が強く、古典には圧倒的に強いが新規な企画、製作の動きは重い

と書いた。
驚くなかれ、近藤ようこの新刊『夢十夜』は、その岩波書店発行である。
岩波がマンガ! という言い方もできようし、なんだやっぱり岩波、マンガを出すにも漱石か、との見方もできる。

作品そのものは文芸作品をマンガ化した作品としてたいへん素晴らしい出来で、漱石の、あの、業の深い、あるいは頓狂な掌編集を違和感なく描き上げ、原文の一部を過不足なく配置し、しかも一つひとつのコマにあるのはあくまで近藤ようこの朴訥かつ妖しいペン遣いである。
二度三度読み返すと、もう百年百合や背負った盲目の子供やパナマ帽は大昔からこうであったようにしか思われない。

我儘を書いておこう。
近年(一連の坂口安吾作品のマンガ化以来)、近藤ようこの新作はこの『夢十夜』しかり、『死者の書』『五色の舟』しかり、誰か別に原作者をもつものが少なくない。いずれも高い水準にあると体の半分は認めるのだが、それでも同じ近藤ようこを読むならストーリーから台詞からすべて彼女の手になる作品を読みたい。
近藤ようこの描くものは、原作原案などなくとも、安吾や折口や漱石に劣らず十二分に親しく怖ろしいのだから。

2017/04/17

『レインマン 04』 星野之宣 / 小学館 ビッグコミックススペシャル

Photo高額所得者向けマンガ、『レインマン』の新刊。

主人公雨宮瀑(タキ)の頭蓋の中には脳がない。
突然現れ、ビルから飛び降りて死んでしまう瀑の双子の兄、漣(レン)。
どうやら主人公は天候や人物の存在を自在に操れるらしい……。

さすがにこれはオカルトの領域だろう、いかに星野御大といえ、こんな大風呂敷を折りたたむことができるのか? と心配していたが(実際、2巻、3巻とさらに暴走気味だっただけに)、この4巻にいたり、秀吉、ノア、ナポレオン、それにサヴァン症まで持ち出して「レインマン」の謎が一気に解明される。なるほど、さすがは剛腕星野、うっかり説得されてしまいそうだ。
CG動画を2次元のコマに描いてみせたような事実の改変アクションも凄まじい(大学の建物と癒着した大木の存在感!)。

ただ、双子の兄弟の対立が実は個人的、感情的なものから始まっていた、など、設定や映像が壮大なわりに一つひとつのアクションのきっかけは案外矮小なのが気になる。
並行世界をジャンプすることで世界を変えるほどの力があるなら、狭い一つ世界でにらみ合ってないでてんでに好きなジャンプ先で好きなことをすればよいだろうに──。

いや、それではエンタメにならないので、と対決モードやお邪魔な登場人物にこだわってしまう生真面目さがこの作者の魅力でもあり、また限界でもあろうか。

2017/04/13

真相はCMのあと 『出版禁止』 長江俊和 / 新潮文庫

Photoミステリではない。フェイクドキュメンタリーなるジャンル、とのこと。
(言い換えれば、ドキュメンタリーでも、小説でも、ない。)

7年前に起こった心中事件の真相を追うノンフィクション作家が、生き残った女性へのインタビューを重ねるうち、やがて──という枠組みに、騙し絵的描写やアナグラム、アクロスティック(折句)などの言葉遊びを駆使して表向きとは異なる真相を想起させる、そういう仕組みである。

ただし、二つの意味で、帯に煽るほどには面白くない。

第一、言葉のトリックで読み手を幻惑させる点において、『不思議の国のアリス』など、過去の怪作奇作に類する緊張感がない。言葉遊びに傾倒する書き手には、いずれもそれなりの必然性があるのだ。
第二、表向きの展開はもちろん、作品内作品が出版禁止にいたった顛末にもさほど感心しない。隠された情報をすべては読み取れてない、ということもあるだろうが、いずれにせよテクニック、ストーリー、ともに仰天するほどのものではなさそうだ。

作者は「奇跡体験!アンビリバボー」や「放送禁止」などの番組、映画を手掛けたテレビディレクター、ドラマ演出家、脚本家。
以前、秦建日子『推理小説』を取り上げた際にも感じたことだが、一部のテレビ関係者、脚本家による作品は、ただ刺激を付与することにのみポイントを置く傾向があるようだ。
映像なら、それで許されるかもしれない(YouTuberの人気作品など、冷静に考えればなんということもないのに、見ると驚く、楽しい、というだけで閲覧数が跳ね上がる)。
だが、似たような内容が文字、文章として提示されたなら、おそらくそれだけではまず通用しない。人は、文章に向かうとき、自動的にその情報を思索を司る脳の部位に紐づけるのではないか。

さらに、本作に好感がもてないのは、作中のノンフィクション作家の文章(そもそもの取材も)がだらしないためかもしれない。
その点、ノンフィクションとしてどうなのですか? いやこれはフェイクドキュメンタリーだから。
そもそも、ミステリとして体をなしてないのでは? いやこれはフェイクドキュメンタリーだから。

つまり、新しいジャンルに挑む気概より、甘えばかりが感じとれてしまうのである。
それは作者として、許してはいけないことだろう。

ちなみに、出版界は自粛自制で硬直したテレビに比べればまだよほど無神経無頓着で、よほどでなければ「出版禁止」などという扱いはない。A社でダメならB社、C社に持ち込めばよいのだ。それでもダメなとき、それは「出版禁止」でなく、単に「」という。

«あはははごめんごめん! 『ヒストリエ(10)』 岩明 均 / 講談社 アフタヌーンKC