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2018/05/16

テレビにまつわる雑感 2/2

★彡

TOKYO MX1という地方局で毎週月曜、律儀に再放送されている「ルパン三世(PART2)」を愉しみに録画している。PART2は宮崎駿らも制作に関係した、人気シリーズだ。
ハードディスクに録画してはブルーレイにぎっちり焼き込み、ここまで1年半かけて今週でようやく第74話。
全体では155話あるのでフィニッシュはまだまだ先だ。
完結までに大きな事件、災害が、とか、ミサイルが、等々で放送が飛んだりしないか心配だ。
飛ばないまでもニュース速報が画面上に乗ると、がっかりする。

もちろん、ニュース速報が大切なものであることはわかっている。
だが、何年がかりで録画を積み重ねたものに、プロ野球の新人が初ヒットを打った、程度のニュースで画面がちらつくのには脱力する。大雨波浪警報も、録画したものには不要ではないか。

テレビ界はなぜデジタル放送にした際に、そういったコメント系の画面と本映像とを2画面に分けなかったのだろう。テキストだけならそれほど情報量がかさばるわけもない。仕組みだって簡単だ。
そうしなかった理由が、もし、画面の上下、左右にのさばる同じ局の番組宣伝を消されないため──だったとしたら、うんざりだ。

★彡

黒いアナログ電話がデジタル化されたとき、電話は「もしもし」のツールから一気にモバイル情報端末にまで走り抜けた。
生まれたときすでに手元にスマホやパッドのあった子供たちは、黒電話と新聞しかなかった時代なんて想像すらできないに違いない。

テレビは、どうか。もちろん、リモコンのボタンで天気予報を表示させたり、クイズに応募したり、といった機能は付加されている……しかし、実はそれらはアナログ電話でもほぼ可能だったことばかり。誰も、ちゃぶ台をひっくり返してはいない。

もちろん、デジタル化によって画質は圧倒的に改善された。しかし、たとえば1950年代から放送された「ロッテ歌のアルバム」と、現在の「ミュージックステーション」の間に、どれほどの違いがあるというのか。

★彡

結局、少なくとも日本のテレビは、1950年代に地上波放送が開始されて以来、現在にいたるまで、とくに団塊の世代を対象に普及はしてきたものの、ある日静かに沈没していく、たとえるなら一時期ビジネスマンや女子高生に広く愛用されながらあっという間に消えていったポケベルのように、ただ一過性の花火なのかもしれない。
なにしろ、これほど手間暇、金をつぎ込んでこしらえ、これほど視聴者を引き付けながら、何かを後に残そうという意欲にまったく欠ける不思議なメディアなので。

2018/05/14

テレビにまつわる雑感 1/2

★彡

金曜日に地上波で放送された『パシフィック・リム』、(前回放映時、録画を失念していたので)わくわくと録画してCM、番宣をカットしたら、残ったものが92分。あの素晴らしい132分の映像のうち、40分もがどこかに消えてしまった。

いつも不思議に思うのだけれど、テレビ局には人様のクリエイティブな作品をぶち壊している、という痛覚がないのだろうか?

★彡

大雑把に、そういう傾向があるかもね、という話なのだが、

視聴率とかアンケートとか世論調査とか、そういったマーケティング手法を誰もが使うようになると、、、

たとえば車でいえば燃費がよくてあれこれ便利なミニバンがよく売れるもよう、という調査結果から、各社は似たようなミニバンばかり投入し、相対的にスポーツカーや特異なデザイン(ビートル程度であれ!)は駆逐されていく。
道路はお醤油顔のミニバンであふれ、めでたしめでたし、よかったね。

いや、よくない。
燃費や利便性ばかり追い求めた結果(それだけが理由ではないだろうが)、若者は「車」そのものへの夢や希望を見失ってしまった。だってそれでは冷蔵庫や洗濯機と同じだもの。

テレビドラマも同じだ。

2時間も3時間も茶の間(死語)に座り続けるのはつらい。1つのテーマや事件の結論、決着を次週、その次の週まで待ち続けるのはつらい。だから刑事もの、サスペンスもの、医療もの、はては恋愛ドラマさえ、毎週、1時間で心地よい決着をつけたがる。そのほうが圧倒的に視聴率がとれるのだし、それはそうだろう。

結果として目先の刺激に腐心し続けたテレビドラマは、ついに重厚なメディア文化たる地位を獲得しないまま終わろうとしている。いや、終わるかどうかは知らないけど。

ヘタなワイドショーより『相棒』や『古畑任三郎』の再放送のほうが視聴率とれるんじゃないの、って、古畑は最新話でも10年前。
その間、ドラマの担当者たちは何をしていたのか──たぶん、日々公表される視聴率を横目に、ミニバンのような、よくできてはいてもワクワクしない、驚異も不思議もない、そういったものの劣化コピーを繰り返していたのだろう。違うのかな。

2018/04/30

エピゴーネン 『タラント氏の事件簿』 C・デイリー・キング、中村有希 訳 / 創元推理文庫

Photoときどき、こういう困った本に出会う。

内容は、有能な日本人執事(実はスパイ)を従えた謎のディレッタント紳士が次々と怪事件を解き明かす、というもの。
1935年に発表された短篇集に同じ主人公が活躍する短篇4作が増補されている。

その謎、といえば、
  博物館の一室から忽然と消えたアステカの古写本
  ペントハウスで起きた密室殺人
  乗る者を死に追いやるボート
  路上で次々と発見される首なし死体
  古詩のとおりに消失と出現を繰り返す竪琴
  レストランで起こった加害者を特定できない殺人事件
など、など。

本シリーズを「クイーンの定員」に選んだエラリー・クイーンは「当代に書かれた中でもっとも想像力に富んだ探偵小説の短篇である」と高く評価したそうである。びっくりだ。

謎はそれなりに面白い。展開もそこそこサスペンスフルだ。しかし……。
密室殺人らしきものがあったらまずそこを建てた大工さんに聞きなさい、だし、ボートが危険なら自身で湖に乗り出す前にすみずみまで調べてみてはいかが、と忠告したい。首なし死体の凶器は、どう使ったら首が切り落とせるのかさっぱりわからないし、竪琴の隠し場所は気づかれないほうがどうかしている……。
さらに、最後の数篇は物理学すら放棄してオカルトに走っていってしまった。読み手への嫌がらせか?

この短篇集を読み終えて、しみじみと感心したのは、ドイルのシャーロック・ホームズがいかに時代を越えてきたか、ということだ。
(すべて、とまでは言わないが)ドイルの残した事件、トリック、推理の多くは、現在、小学生が読んでもそれなりに理解できる。
ガス灯の代わりにLED、馬車の代わりにハイブリッドカー、電報の代わりにスマホが使われたとしても、骨子たるストーリーはさほど崩れない。

結局のところ、ホームズのストーリーは人間性の観察から組み立てられたものであり、『タラント氏の事件簿』はすでに隆盛を迎えていた探偵小説を見よう見まねで再生産しただけだった、ということか。だから、不可能犯罪のアイデアをこねくり回すうちに、安直にオカルトに負けてしまうのだ。

2018/04/12

『三面鏡の恐怖』 木々高太郎 / 河出文庫

PhotoKAWADEノスタルジック探偵・怪奇・幻想シリーズ」の新刊。
想定外の面白さ。

殺人事件が起こるのは本文のおよそ3分の2、147ページにいたってから。そこまでの人物描写になんとも言えない味わいがある。

日本全土の電化を志す電球会社の社長、真山十吉
十吉の最初の妻は三升財閥の有力者の娘だったが、結婚2年後に亡くなっている
その妻の母 川辺友子、妹 川辺辰美は今も十吉と同居している
かつて十吉に捨てられた恋人、尾崎嘉代子
嘉代子は十吉と親しい弁護士平原勝之助と結婚、のち離婚、病死

物語は、この電球会社の社長十吉のもとに、亡くなった尾崎嘉代子の妹を名乗る尾崎伊都子が訪れることで動き出す……。

人間関係は結婚、死別、離別がからまってやや煩雑だが、文章で読む分にはすんなり腹に収まる。
たとえば十吉はかつての恋人の妹、伊都子と再婚するにいたるのだが、その過程がほとんど描写されなくともとくに気にならない。
出会った日の伊都子、十吉それぞれの言葉が豊かな水気をたっぷりと含んでいるため、その後二人が惹かれ合って結婚しようが、憎み合って殺し合おうが、なんら不思議に思われないのである。

タイトルにある「三面鏡」は、言うなればこの事件を女性目線で語るものといえようが、作品全体を電気事業の在り方や経営陣と組合活動の軋轢を(あっさりとながら)描いた企業小説と読むこともできる。さらに、終戦直後の1948年に書かれながら、ドライでクールな展開が妙に「昭和」を逸脱して不可思議。

事件解決はやや無理やりトリックを組み立てた印象で、推理小説としてかならずしも最上のものとは思えないが、ともかく読書の楽しみを味わうことのできる稀有な1冊。
なにより、登場人物の誰に感情移入するかによって、これほど意外性、サスペンス色の変わる作品も少ないのではないか。

2018/04/04

漆黒 『蟇の血』 近藤ようこ、『フラジャイル(11)』 恵 三朗

黒いマンガを、2冊。

Photo『蟇の血』 近藤ようこ、原作 田中貢太郎 / KADOKAWA BEAM COMIX

田中貢太郎による原作は創元推理文庫『日本怪奇小説傑作集』の第1巻に収録されている。そのままでも十分気色悪いが、転がるような展開の中に読み手の想像力に委ねる部位がまだ微かに残され、どこかしらファンタジーの気配があった。
近藤ようこはその原作に忠実にストーリーを展開しながら、妖異を描くことに容赦がない。
追い詰められる悪夢のようであり、また悪い夢では片付かない絶望感。
この十年、二十年に読んだマンガの中でも図抜けて気持ちが悪い。怖い。

『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(11)』 原作 草水 敏、漫画 恵 三朗 / 講談社 アフタヌーンKC

容赦ないといえば『フラジャイル』の新刊も凄い。
かつて新薬の開発をめぐって主人公と対立した元・製薬会社の幹部を主人公に、医薬界のダークサイドを描く。
描かれる「黒」は、色の三原色を混ぜ合わせることでできる濁った黒ではない。漆のような、まごうことなき「黒」であり、それはもはや敵味方、善悪などという生ぬるい評価とは途絶したところで読み手を魅了する。
スピンオフという扱いらしいが、ある意味、(子供の病気を扱った一つ前の巻などよりよほど)このシリーズを代表する1冊かと思う。

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«『ふるぎぬや紋様帳<三>』 波津彬子 / 小学館 フラワーコミックススペシャル